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ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

1000分の1の確率

2011年03月11日 | 中国、海外のフルス事情




三池山の山腹、普光寺の梅の花は今年もきれいに咲いた。
臥龍梅は一番上の段。来年はこの花が咲く頃、
三池初市で一緒に吹きましょう。

 

新しくフルス教室を始められた成都支部長のちーふいさんからメールが来た。その一部を紹介しよう。
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初めての授業が終わったあと、5月か6月頃に日本に帰国予定の方が、「もっと早くフルスに出会っていればよかった...」と、さみしそうに言われたので、「日本へはどこへ帰られるんですか?」と聞いたところ、「福岡」だと。

私が「もしかして大牟田じゃないよね!?」と言ったら、彼女は思わず立ち上がり、「えぇーーっ!!! 大牟田だよ! 大牟田でフルスができるの!!?」と、びっくりしておられました。
「これから楽しみもなくて、どうしようと思ってたのに...」「まさか、あの何もないところでフルスができるなんて... 帰国してからの楽しみができた~!!」と、涙ぐみながらの大喜びだったので、今日1日、忠野さんの活動の話をさせていただきました。
「何か運命的なものを感じるわ~。」と、大感動でした。
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この話を大牟田の会員の皆さんにしたら、やはり、大感動だった。

大牟田は12万人の小都市だ。日本の人口の1000分の1に当たる。中国にいる日本人でフルスをやっている人は1000人はいないと思うが、その中で1000分の1の確率で大牟田の人に当たったという計算になる。
よくもまあ、こんな偶然があるものだと、みんなで感心して喜び合った。これからもきっと、いいことがあるに違いない。

「今年も普光寺の梅の花がきれいに咲きましたよ。大牟田で待っていま~~す!」


大統領や首相と同じ中国服

2011年03月05日 | 中国、海外のフルス事情




小泉首相もブッシュ大統領も同じ服で写真に写っている
江沢民さんは赤で、お客さんは青である。

 

三池初市の写真の中で、男性の中国服は中国紋の入った服だ。
これは前回泰安に行ったときに仕立ててもらったものだ。当初男性用の中国服をたのまれていたので、街に出るたびにしかるべき店を探していた。ところが、いくら探しても見つからなかった。

ただ、近くの写真屋さんが写真撮影用に服を仕立てると聞いたので、そこで聞いてみた。考えていたのは胸の前に2頭の龍が向かい合っているデザインのものである。上白川フルス愛好会ではそのデザインの服をすでに持っている人がいるので、それで統一しようかと思っていたが、写真やさんではその布地が手に入らぬと言うことだった。龍のデザインは専用の布地でなければならないと言うのだ。

それで、どんなのがいいか、分からなかったので、インターネットで「唐装」で検索したところ、いろいろと出てきた。その中でブッシュ大統領や小泉首相が中国を訪問したとき、江沢民書記と中国服を着て一緒に写っている写真を見つけた。それでその写真を写真屋で見せたら出来ると言うことだったので、同じデザインで作ってもらうことにした。

袖の先に折り返しをつけてもらったのと、裾をちょっと長めにしてもらったのが違うところだ。通常「ぶら下がり」を買えば100元あまりで買えるところを250元したが、それでも日本円にすれば4000円以下であり、日本で買うより格段に安い。


動物園にパンダはいなかった

2011年02月17日 | 中国、海外のフルス事情




動物園にはパンダの絵が描いてあるんだけどなあ。



竹林と孔雀はフルスの曲テーマの主役だ


もう一つの目的地は青年路あたりにある楽器屋さん街と、その周辺にあるフルス工房である。

青年路は昆明の中心地の東側を南北に走る道路だ。南から北の方に歩き始めた。やがて、それは街路樹のある高級ブティック街となりヨーロッパの都市の雰囲気になった。そして、そのうちに普通の中国の通りとなり  その先の十字路で青年路は終わっていた。その間、楽器屋さんはなかった。まあ、いいか、李春華先生と王科さんに出会えたことで、今回の目的は
十分果たしたし と言う気持ちになっていた。

十字路の先に動物園があった。地図によると動物園のところにパンダの絵が描いてある。ここで、パンダに会ってパンダとの対面の記録を伸ばそうと思い、入場門に行った。

私は中国で4回パンダを見ている。四川省のパンダ保護区にあるパンダ研究所と、南昌、上海、四川省省都の成都の動物園だ。パンダ研究所はその奥にある大姑娘山に登ったときのことである。そこで数多くのパンダを間近で見た。雰囲気も大変よかった。
しかし、その後四川地震があり被害に遭った。中国広しといえどもどこにでもパンダがいるわけではない。だから、全部の動物園のパンダに会うことも不可能ではない。

動物園の入り口には、老人は無料と書いてある。しめしめと、係員にパスポートの生年月日の欄を指さしながらフリーパスで入場した。勇んで入園したのはいいが、どこにもパンダに関する情報はない。雲南省は四川省のすぐ隣の省だからパンダがいてもふしぎではないのだが、隣だからいないのかもしれない。そのかわり、大量の孔雀がいた。孔雀はフルスの曲によく出てくる。地図に孔雀の絵でも描いていたらようさそうなものだ。

結局、園内をくまなく歩いた。そして、こうなれば最後まで歩けとばかり その足で、ホテルまでの十数キロを歩いて帰った。おかげで、昆明の都市の構造が大体つかめた


フルス屋さんには李春華先生の写真が

2011年02月16日 | 中国、海外のフルス事情




フルス屋さんには李春華先生と店主と一緒に写った
写真が飾ってある。エン先生との写真もある。



翠湖のおみやげ屋さんは2軒ともフルスが主役


フルス屋さんは老街の花鳥市場の中に4~5軒ぐらい、その周辺にも同じくらいあった。フルス屋さんは必ず、フルスによる演奏のCDかDVDの演奏をかけてあるので遠くからでもすぐ分かる。

フルスをたくさん並べてあるが、ピンからキリまでである。おみやげ用が主なので、気をつけなければならない。結局は値段で選んで、あとは吹いてみて気に入れば買うといい。ただ、私自身はここで買う必要はない。買いたいときは王科さんにたのめば、ていねいに作った最高級のフルスが手に入るはずだ。

店の中には李春華先生とあるいは李春華先生の師匠であるエン先生と店主が並んで写っている写真が掲げてある。中には両方とも飾ってある店もある。あたかも先生方が推薦している信用できる店ですよという言い方である。

値段は高いのが600元ぐらいだ。日本円にすると9000円。日本でインターネットで買えばこんなものは25000円ぐらいするので、いくら高く買ってもこちらで買った方が安い。

少なくとも音楽用として使いたいならこちらで200元以下のものは買うべきではない。出来れば300元以上のを買って、自分で吹いてみて 納得して買うべきだ。まして20元や30元のものは絶対に買ってはいけない。あれはおもちゃだ。


老街の花鳥市場に行った

2011年02月15日 | 中国、海外のフルス事情



老街の花鳥市場といえばすぐ分かったのだが……




市場内には花や鳥はもちろん
いろいろな衣料品やおみやげ屋さんがあった。


陳さんがいなくなったので、昆明の町に一人で出かけた。目的はフルスやさんや工房を訪ねることだ。聞いていた情報は花鳥市場にフルスやさんがあると言うことと、それに 青年路の楽器屋さん街の周辺にいくつかの工房があるということだ。

まず、花鳥市場に行くことにして、タクシーを止めた。手を挙げるだけなので、ここまでは簡単だ。ところが陳先生がいないとこれからがやっかいだ。
花鳥市場へ行ってくれと言ってもなかなか通じない。電子辞書で示してももうまく分かってくれない。

実はこのブログで「(私は中国人に)○○と、言った。」と書いているのはみんな嘘で、正確には「○○と、言ってもらった。」と、書くべきところである。

仕方なくそのタクシーはあきらめ2台目のタクシーを止めた。2台目のタクシーには地図で示して、このあたりに行ってくれといった。今度は、何なく了解してくれた。あとで分かったことだが、花鳥市場というのはいくつもあって、どこの花鳥市場なのかが分からないと言っていたようだ。

目的の花鳥市場は老街というところにあってたくさんのテント張りや露天の店舗がが並んでいた。老街の花鳥市場といえば何でもなかったのだ。


陳さんは頼りになる

2011年02月14日 | 中国、海外のフルス事情



陳先生は聡明な人だ。研修生あがりの日本語教師だが、
もともと、日本語研修センターでは研修生の中でも
特に優秀な人材をピックアップして採用する。
今回の私の通訳では大きな働きをしてくれた。

通訳代わりの陳先生は翌朝の早い飛行機で泰安に帰った。仕事がつかえているのに無理をして来て頂いていたのでしかたがない。

朝 起きたら 私の部屋にフルスが入った紙バッグがあった。ちぃふいさんが、忘れて帰ったのだ。まもなく電話がかかってきた。昨日の晩、別れるときからの記憶が全く飛んでいるという。きっと、あの甘いお酒が効いたのだろう。

ちぃふいさんが朝起きたら大事なフルスがなくて、持って帰ったのはサインをしてもらった本やCD、それに私(忠野小路)の名刺だけだったという。どうして私の名刺があるのか分からないという。何か失礼なことはなかったでしょうかと、しきりに心配していた。別に何もなく、酔っぱらっているようすでもなかったので、心配要りませんよ、と答えた。

その名刺は 食事会の時、陳先生が大変日本語が上手なので、ちぃふいさんが感動して、しきりに陳先生についての情報を詳しく聞いていた。陳先生は名刺を持たないので、泰安の日本語センターの住所が書いてある私の名刺の裏に陳先生の情報を本人に書いてもらって渡したものだ。

陳先生は私とコンビで研修生に日本語を教えている。陳先生は基本的な文法や練習問題、研修生の生活指導まで全てにわたって担当している。私はもっぱら会話力を高めるための日本語の特訓をしている。それに陳先生はこのやっかいな日本人おじいさん先生のお世話までしているのだ。

陳先生は 大変お世話の届く人で、彼女には実質 日本フルス普及会の中国総支部長、北京支部長、中国連絡員、通訳の仕事をしてもらっている。近々そんな名刺を作って送ってやろうと思う。

陳先生が北京支部長というのはちょっと説明がいる。 私は泰安で陳先生にお世話になったが、彼女は北京の研修生派遣事業の日本語教育を担当しており、本拠地は北京だからだ。実際、私が泰安での仕事を終えて日本へ帰ったあと、彼女はすぐに北京に戻り、北京の研修センターで仕事をしている。


ホテルで現物を見てもらった

2011年02月13日 | 中国、海外のフルス事情

 

王科さんは酔っぱらって研究します、と言ったが、
甥子君は真剣にやってみます、と言った。

シドまで出るフルスを見てもらうためにホテルの部屋まで来てもらった。
見本のフルスは天津製だ。実はシドまで出るフルスはもう一つ雲南のメーカーが作っているのだが、そちらより、この天津製の方が構造が簡単なので、こちらが参考になるかと思い、持ってきていたのだ。

王科さんと甥子君は見るなり、管の部分は竹では出来ないと言った。そのことは私はすでに知っていた。竹はレバーを取り付けたり、機械的な加工をしたりするときに割れるからだ。

私はフルスは竹の管が一番いいとは思っていない。むしろ音的には木製の方が好きだ。だから、全然問題はない。雲南のメーカーの製品はあとで日本から送ることにして、両方のいいところを取り入れて、王科さんの技術で日本人の厳しい耳にも耐える試作品を作ってもらいたいと、お願いした。王科さんは研究してみますと言ったが、何せ、かなり酔っぱらっていたので、どうか分からない。しかし、甥子君はしっかりと、やってみますと意欲を示した。フルスが国際楽器になるかどうかはこの若者にかかっているかもしれない。

今回の私の昆明訪問の一番大きな目的は信用できるフルスを作る工房を探すことと、日本での使用に耐えるフルスを開発する足がかりを作ることだったので、100点満点で目的を果たしたわけだ。お世話をして下さったちぃふいさんに感謝したい。


王科さんは興味を持った

2011年02月12日 | 中国、海外のフルス事情




シドの出るフルスは3つのレバーが特徴だ


中国では 1999年に昆明の世界園芸博覧会のときのイベントで フルスを吹いたのがテレビで全国中継され、それをきっかけに一気に全国に広まったという。それこそ、爆発的に広まったようである。

中国でそうだったのなら国民全員が縦笛を吹けるという最高の条件が整った日本でフルスが広まらないはずはないと考えている。それこそ、一度、テレビで取り上げられると、中国以上の速さで「爆発的に」広まるものと思う。

中国では中国民歌を中心に李春華さんがテキストを作り、それにより、今でも少数民族の民歌が多く吹かれている。中国ではそれでよかろうが、日本ではそれだけでは無理がある。したがって日本の歌などを吹くようになるのが自然だ。その場合、ファがなかったり、音域が狭かったりすると吹ける曲数が少なくなるので、王科さんがシドまで、出るフルスを作ってくれないだろうかと呼びかけた。

実際にそのようなフルスが天津と雲南の大きなメーカーで作られている。ただ、どちらも、まだ一般の人にお勧めできるほど、完成されたものではない。例のごとく、音程が悪い。それに、シドもやっとこさで出るという程度だ。そこで、普通のフルスをあのくらい立派に作れる王科さんだったらできるだろうから、是非研究して欲しいとたのんだのだ。

王科さんと甥子君は身を乗り出して聞いてくれた。やっぱり、ちぃふいさんが言ったとおり「爆発的」が効いたようだ。

そして、実は見本をホテルに置いているので、出来れば見に来てほしいとたのんだ。創作意欲旺盛な二人は喜んで見に行くといってホテルについてきてくれた。


フルスは日本で「爆発的に」広まる

2011年02月11日 | 中国、海外のフルス事情




果実酒のような甘いお酒はだまされる

私は日本にフルスを普及させるに当たって、中国のフルスに大変不満を持っている。ただ、実際はフルスは中国でしか生産されていないので、そのことは中国の生産者に言うしかない。中国の生産者といえば目の前にいる王科さんもその一人だ。

とにかく、音程が不正確だというのが一番の不満だが、そのことに関しては王科さんは合格水準にあるから言っても仕方がない。

李春華先生と会ったとき先生はフルスを国際楽器にして競争させたくないといっておられた。これは私の考えと少し違うので、王科さんも、もしも李先生と同じ考えだったら私の考えを言っても仕方がないなあと思いつつ、躊躇していた。

日本人は昭和25年生まれ以降の人はだれでもリコーダーが吹ける。少なくとも小学校3年生から6年生までは音楽の時間のみならず、運動会でも、学芸会でもいつも吹いてきた。こんな国はどこにもない。日本はれっきとした縦笛先進国なのだ。だから、リコーダーと吹き方がほぼ同じのフルスは日本日本人には抵抗感がないはずだ。きっかけがあり、少し知られれば爆発的に広まるはずだ。

そんな話をちぃふいさんにしたら、ちぃふいさんは「言ってよ、言ってよ。言いたいことを直接王科さんに言ってくださいよ。」と、私に勧めた。そして、さらに爆発的にというところを強調して通訳してくださいと、陳さんにもたのんだ。

ちぃふいさんも大体中国語をしゃべれるのだけど、陳さんほどではない。それに、お酒を飲みながら中国語でしゃべると酔いやすいのだそうだ。

実際にこの機会に言わないと永久に言えないかもしれない。それじゃ、ということで、私の思っていることを王科さんに話し始めた。


夜の歓迎食事会

2011年02月10日 | 中国、海外のフルス事情



工場長の王科さんが私たちの歓迎の夕食会をしてくれることになった。
昼の食事もお世話になっている上にフルスも頂いている。おみやげは本当につまらないものだったのに申し訳ないとは思ったが、喜んで参加することにした。ちぃふいさんはすでにこの工房に2回来て、そのたびに歓迎会を開いてもらっていて、これが楽しみなんですと、美味しい料理と家族ぐるみの歓迎が気に入っておられることを聞いていたからだ。

聞いていた通り おいしい料理と皆さんの心のこもったおもてなしの気持ちがひしひしと伝わってくる。王科さんは本当に開けっぴろげな方で、心からの歓待の気持ちを直接伝えて下さる。お酒は甘い果実酒だった。甘いけど結構アルコール度は高く、ぐびぐび飲むわけにはいかない。

日本でのフルスの普及活動の実際を話すと 王科さんは身を乗り出して聞いてくださった。
たとえば私が2年前に活動を始めたときには全国で4人だった会員が、今では160人になったこと。
私の町大牟田では5人で発足した愛好会が今では2グループ23人になっていること。
会員の皆さんには練習曲集と、伴奏曲CDを提供していることなどいろいろ話すと、すごく感動して聞いてくださる。

そのうちに、 酔いもだんだん回ってきた。