旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

カリフォルニア紀行2000 再びロサンゼルス空港にて

2005-02-08 18:15:00 | 帰国5周年記念

Metro Blue Line, Rosa Parks
Los Angeles, California, January 29th, 2000


15.再びロサンゼルス空港にて

- Saturday, January 29th, 2000 -

今朝も起きると、モーテルで供されるシリアルやドーナツの朝食を食べる。そして懲りずに Decaf を飲む。部屋に戻り、くつろいでから荷物をまとめてチェックアウトした。部屋は広く、寝台も大きくて、よい宿であった。何より駅から近いのがよかった。フロントも親切でよかった。

Wilshire/Vermont の駅で切符($1.60)を購入。列車の時刻が判らないので、心許ない。Red Line から Blue Line と乗り換えて、空港に向かう。Blue Line から Green Line に乗り換え。列車を待つ Teenager の女の子がヘッドホンをして音楽(と思う)を聴いている。それは日本も同じだが、何故かCDプレーヤーを手に持っている。しかも水平にして。昨日もCDプレーヤーを手にして聴いている人を見かけた。そうするのが普通なのか、たまたまそうしていたのか。

Green Line から空港連絡バス(無料)に乗り換えて空港に到着。飛行機の出発時刻は正午だが、もう時間があまりない。搭乗手続をする。係員が何か質問をする。よく解からないでいると、武器を所持していないか、と日本語で書かれたカードを見せられた。持っとらんわい!搭乗口へと急ぐ。昼飯はサンフランシスコに着いてからだなと思う。しかし搭乗口では機内に案内をしていない。係員に聞くと、サンフランシスコ行の機材が到着していないので、出発が2時間遅れるという。日本で2時間も出発が遅れれば大騒ぎだろうが、ここは至って落ち着いたものである。とりあえず昼飯にしようと思う。

BURGER KING があったので、 WHOPPER($2.49) と COKE($1.79)を注文する。別に税(¢36)がかかる。BURGER KING の WHOPPER は美味しい。この時は、まさか日本からバーガーキングか撤退するとは思いもよらなかった。飯は食ったが、まだ時間がある。搭乗口前に戻り、椅子に腰掛け本でも読む。

客室乗務員の女性が2人、目の前を歩いて行く。手には BURGER KING の紙袋が。この人達もお昼は一緒だなと思う。搭乗口では旅客と思しき女性2人が、係員に「メキシコシティー行はここか」と聞いている。もちろん違う。「サンフランシスコに行くところだった」のような事を話ながら去っていったが、国外の行き先と間違えた旅客が搭乗口までやってくるとは、アメリカの空港、恐るべしである。どこからか飛行機が到着して、搭乗口から旅客が降りて来た。迎えの人も搭乗口まで来ていて、話をしている。当然、切符は持っていないだろう。日本の空港と勝手が違う。搭乗口が日本の鉄道の改札口くらいに思える。

まだ椅子に腰掛けて待っている。昨日買った Knott's BERRY FARM Premium Cookies BOYSENBERRY SHORTBREAD を食べる。目の前を男性が歩いて行く。ズボンの裾を折り返している。ほとんどの人がそうしている。自分がやると、相当折り返さなくてはならない。やはり裾は詰めてもらわないと。

ようやく搭乗の案内が始まった。係員はサンノゼ行と言っている。怪訝な顔をしていると、サンフランシスコ行と言い直した。海外の国内線に乗るのは初めてである。搭乗率はいいようだ。アメリカン航空2856便は定刻の12時00分から随分遅れて、サンフランシスコ到着時刻も過ぎてから、ようやく出発した。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 純豆腐

2005-02-07 12:00:04 | 帰国5周年記念
14.純豆腐

モーテルの部屋に荷物を置くと、食事に出掛けた。昨夜は Denny's だったが、今夜は BCD TOFU HOUSE という店に入る。漢字で書くと純豆腐(スンドゥブ)という韓国料理の店だ。韓国にも店舗がある。韓国のチェーン店がLAに店舗を出しているというべきか。

店に入ると、店員は韓国人(系)、客も韓国人(系)といった具合である。メニューは英語、ハングル、そして日本語で書いてある。しかし日本語が通じる雰囲気ではないので、とりあえず英語でシーフード純豆腐($7)を頼む。キムチ等の小皿が運ばれてきた。これらで一杯やりたいところだが、この店も酒類を扱っていない。信じがたいが仕方ない。麦茶を飲む。やがて白飯とぐつぐつ煮える豆腐鍋が運ばれる。匙をとり、鍋の汁を飲んでみる。非常に辛い。ちなみに箸は韓国のそれではなく、割り箸だった。テーブルに卵があるが、これは別料金なのか?店員に聞きたいが、英語で質問するのも面倒なので、辛さとの格闘しながら食べる。旨いのだが辛い。

相席となったテーブルでは韓国人(系)の年配の夫婦が食事をしている。奥さんの方がメニューを見て「イルボンマル・・・」とか言っている。メニューに日本語があることを言っているのだろう。まさか隣で辛さに四苦八苦して食べているのが日本人とは気がつくまい。口がヒリヒリするので麦茶のお替りが欲しくなった。しかし何といって店員を呼びかければ良いのか。日本語で呼びかけても、おそらく通じるだろうが、店内は韓国人(系)ばかりである。せっかくなので日本人である事に気付かれたくない。結局、英語で言うしかない。しかし英語で麦茶は何と言うのか。麦茶はお茶(Tea)ではないし・・・。どう頼んだか覚えていないが、麦茶のお替りを飲んでモーテルに戻った。

テレビをつけると映画「ゴーストバスターズ Ghost Busters」(1984)をやっている。当然、日本語字幕は無い。この映画は劇場やテレビで何度も観ているので内容は解っている。コマーシャルが随分頻繁に入る。日本で観ていた時に、セリフを聞いているアメリカ人と、字幕を読んでいる日本人で笑う箇所が微妙に違っていたのを思い出した。
(つづく)

カリフォルニア紀行2000 バスに乗ったが

2005-02-06 06:00:00 | 帰国5周年記念
13.バスに乗ったが

やってきたバスに乗り、運転手から乗り継ぎの切符を買う。この後、Wilshire/Western で Metro Red Line に乗り換えるからだ。だいぶ公共交通機関にも慣れてきた、と思ったら運賃箱に $1.60 のところ $1.70 を入れてしまう。釣銭は帰ってこない。余裕が出てくると、こうゆう失敗をする。

海外のバスに乗っているので、スリなどに気をつけねばならないのに、寝不足がたたって居眠りをしてしまった。ふと車窓を見るとMTAのサインのある建物が見える。運転士が「Wilshire なんとか」と車内に案内している。バスとの乗り換え駅(Wilshire/Western)に着いたのだと思い、バスを降りてしまった。思わず「すみません」と日本語で運転手に声を掛けてしまった。寝ぼけていた。

寝ぼけていたのが日本語で声を掛けた事だけならよいが、降りるバス停も間違えていた事に、バスから降りて気付いた。ここは乗換駅ではない。MTAのサインがあったのはバスの営業所であり、停留所の名前が「Wilshire なんとか」だったが、Wilshire Blvd. にあるバス停なので、Wilshire が付くのだ。京都でいえば、堀川通にあるバス停に「堀川今出川」「堀川丸太町」「堀川御池」と、堀川が付いており、自分の降りる予定とは違う「堀川なんとか」で降りてしまった具合である。

まだ先のバス停で降りるはずだと気付いたものの、乗っていたバスはすでに走り去った後だった。次のバスに乗ろうかとも思ったが、手元に乗り継ぎ切符がある。次のバスに別途運賃を支払うのも嫌である。乗換駅まで歩いて行き、そこからこの切符を使おうと思った。

アメリカの治安は悪いという話である。しかもここはLAである。京都ではない。何故、夜道を歩こうと思ったのか、今になってみれば自分でも分からない。走っている車が止まり連れ去られるかもしれないとか、路地に連れこまれ有り金を奪われ殺されるかもしれないとか、最悪の事態ばかりが頭に浮かぶ。だいたい道を歩く人なぞ見当たらない。途中のバス停に人がいる。バスを待っているだけの普通の人たちをギャングなのではないかと思ってしまう。

何故こんなに不安なのかというと、夜に1ブロック先の商店に出掛けるだけでも犯罪被害に遭う、という話を鵜呑みにしているからである。1ブロックどころではなく、Wilshire Blvd. を約40分くらい歩きつづけて、無事に目的に駅にたどり着いた。実際の時間よりも大変長く感じられた。Metro に乗ってしまえば、何事もなかったかのごとく、朝出発した Wilshire/Vermont に帰ってくる事が出来た。 (つづく)



カリフォルニア紀行2000 サンタモニカヘ

2005-02-05 12:00:00 | 帰国5周年記念

Santa Monica, California, January 28th, 2000

12.サンタモニカヘ

無料バスで Metro Green Line の駅に向かう。列車に乗ってもよいのだが、駅からは Santa Monica 行のバスが出ている。Santa Monica Municipal Bus Line (Big Blue Bus)でBBBという。バスの近くにいた男性を休憩中の運転士だと思い話し掛けるが違うと言う。本物の運転手がいたのでビーチに行くバスか尋ねると行くと言う。運賃は Two Quarter と言う。¢50をそう表現するのだ。こちらの運賃も安い。

バスは Lincoln Blvd. を行く。道行く車の中にはナンバープレート(License Plate)が枠に入れられて、その枠の部分には文字が書かれている。販売店の名前の物もあるが、なかなか格好がよい。後で調べたが License Frame という。そのまま日本に持っていったら文字が見えない部分も生じるので駄目だろうなと思う。

バスの前後、横面に行き先が表示されているのは日本と同じだが、この文字が行き先だけでなく、HAVE A GOOD DAY などと表示が変わる。夕方には「運転には気をつけて」のような内容も表示されていた。なかなか味な事をするもんだと感心した。

バスは Santa Monica Beach に着いたようだ。Santa Monica Pier に近いところで下車する。なんと日本人が多い、と思っていたら聞こえるのは韓国語。韓国人が多いのだ。今はそうなのかと思う。ガンバレニッポン(意味不明)。観光客も多いが、砂浜を走ったり運動しているアメリカ人も多い。こんな環境がLAという大都市のすぐ近くにあるのだ。東京では考えられない。

マクドナルドで遅い昼食。Coca-Cola Classic (Small) と Double Cheese Burger で、代金は $2.19 だった。飲み物はスモールでも日本より量が多い。バケツ一杯コーラを出されても困るので、常にスモールサイズにしている。レジ横にクッキーが大量に置かれている。日本マクドナルドでも置いていてよさそうだが、クッキーは置いていない。コーヒーも大きなサイズを用意して欲しい。

ところで、サンタモニカは ROUTE 66 の終点である。起点はシカゴ(Chicago, IL)。昭和元年(1926)開通のかつてのアメリカの大動脈も高速道路にその役目をゆずり、旧道となっているそうである。この旧街道に敬意を払い、終点を見て来る。単なる交差点だが、付近にそれを示すプレートがあった。

LAに戻るべく、MTA Line 304 のバスを待つ。時刻がわからないので随分待った。日も暮れてきた。バス停の側にあるレストランのテーブルに蝋燭の灯りが見える。一度こんな店で食事をしてみたいと思うような雰囲気の店だが、今回の旅では縁遠い。サンタモニカで食べたのは結局チーズバーガーだけだった。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 Spanglish

2005-02-04 11:00:00 | 帰国5周年記念

The Los Angeles Memorial Coliseum
Los Angeles, California, January 28th, 2000


11.Spanglish

The Los Angeles Memorial Coliseum は説明するまでもないが、昭和7年(1932)の第10回および、昭和59年(1984)の第23回オリンピック・ロサンゼルス大会の会場となっている。John williams 氏のテーマ曲が記憶に新しい。第22回モスクワ大会を日本はボイコットしていたため、次の大会である第23回大会の印象が強烈である。ちなみに第10回大会ではバロン・ニシと呼ばれた西竹一男爵が馬術で優勝している。

中に入るための下調べはしていないので、まわりを一周する。見物はこれくらいにして、水でも買うべくampmに入る。ガソリンスタンドに併設されている。むろん私は徒歩である。コンビニエンスストアというよりは商店といった趣である。PEPSI 12 OZ と CRYSTAL GEYSER 500ML そして Knott's BERRY FARM Premium Cookies BOYSENBERRY SHORTBREAD 2 OZ を購入。冷えた PEPSI を飲む。SHORTBREAD は初めて口にするが、なかなか旨い。

さて、バスで空港に行こうと思うのだが、行き方が判らない。近くのバス停にいた女性に尋ねる。こちらは英語で質問している。むこうも英語で答えてくれている。しかし、ほとんど聞き取れない。私の英語力の無さによるものではない。相手が英語を話しているようには思えないのである。どうも Spanglish のようだ。言葉ではどうにもならないので、メモ用紙に簡単な地図と地名を書いてもらった。空港に行くには「キンブレラ」というところで乗りかえれば良いと言う事だけ、辛うじて聞き取れた。それにしても英語もろくに話せない旅行者に対して大変親切に教えてくれた。Hispanic の人に好感が持てる。

バス停から、まずMTAのLine 204のバスに乗る。鉄道の Metro と運賃体系は同じである。今回は乗り換えするので $1.60 の切符を運転手から買う。すぐ次のバス停が King なんとかであった。「キンブレラ」と聞こえたのは King Blvd. (Martin Luther King Jr. Blvd.)の事であった。Spanglish 恐るべし。

次に乗ったLine 42は空港行で Downtown とを結んでいる。ビジネス路線かと思いきや、車内は落書きだらけで汚らしく、かつての New York, NY の地下鉄を思わせる(いった事はないけど)。よく見ると乗客は黒人ばかりである。落書きのせいで不安に感じる。途中から東洋人が一人乗ってきてホッとした。偏見はよくない。昼間のバスだし犯罪に巻き込まれる事もないだろう。自分もとても金のありそうな格好はしていないので、巻き込むだけ無駄だろう。

このバスは直接、空港ターミナルに乗りつけるのでなく、LAX City Bus Center が終点となっていて、バスセンターとターミナル間は別の無料のバスが結んでいる。これは昨夜乗った Metro Green Line の駅とを結ぶ無料バスと同じシステムである。空港からは、バスに乗りたい人はバスセンター行きの、鉄道に乗りたい人は鉄道駅行きの無料バスに乗ることになる。乗り換えの不便はあるが、空港の複数のターミナル毎にあらゆる方面行のバス停を設けないのでスッキリしている。

3本のバスを乗り継いでようやく空港に到着した。アメリカン航空 (American Airlines) のカウンターに行き、明日のサンフランシスコへの切符を買う。バス運賃は安いがこちらは高い。運賃は$120.93 だが、税金やらで $135.50 になっている。鉄道なら $100. もしないのに。所要時間は格段と早いのでお昼前の便にした。昨日は手荷物で世話になった担当者にお礼を言う。明日はアメリカン航空の便に乗るのだと航空券を見せる。しかし昨日到着して、明日出発とは、何のためにLAに来たのだろうか。 (つづく)