旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

続台湾日記 自強號

2007-06-24 11:30:52 | 台湾日記

縦貫線 台北車站 (台北市中正區)

田中を発車した自強號。莒光號で隣の席だった女性について行き、また隣の席に座る。ただし今度は通路側。もう座席の指定は関係ないらしい。近くの席では小さな男の子が「ツーチャンハオ(自強號)、ツーチャンハオ」と言ってはしゃいでいる。台灣高鐵(新幹線)開業までは、自強號が一番の列車なのだろう。さて、今乗っている自強號は先程の莒光號の客を乗せる為の臨時列車ではない。田中発蘇澳行の自強號1024次という定期列車である。隣の女性が自分の切符を見せながら説明してくれる。この切符で目的地まで乗車できる事。また今座っている席の切符を持った客が現れれば、席を立たなければならない事。自由席はないから、どうにもならぬ。そうしたら○号車に移るように放送があったそうだが、莒光號の客が全て座れるだけの席はないだろう。ちなみに隣の女性とは英語と中文の筆談で話している。そして何故か「わかりますか?」ときれいな日本語で言う。でも日本語は話せない。台湾の若者における日本語はどういう位置にあるのだろう。

彰化を過ぎると、海線に入った。台中のある山線経由でなく、先ほどの莒光號が経由するはずだった海線経由の自強號だから都合がいい。海の景色が見たいが、西日を遮るためにカーテンを引いている。後龍で切符を持った若い女性2人がやってきた。席を立たねばならない。また隣の女性について、放送で指示されたという車両に歩いた。しかしその車両まで行っても座れないだろう。隣の女性はその車両へ歩いているが、自分は適当な車両の通路に立つことにした。台北まで2時間近く掛かるだろう。竹南で山線と合流した。新竹からは自強號の通過駅、すなわち莒光號の停車駅にも止まっている。隣の親切な女性が、本来は自強號の通過駅の楊梅で降りているのが見えた。席が空いても、すぐ切符を持った客が現れる。結局、座れないまま、台北に18時23分到着した。もうホテルで半井さんのお天気は見られないな。日本時間との時差は1時間。

莒光號の切符で改札(有人)を出る。捷運に乗り、民権西路へ(20元)。駅を出ると風が涼しい。秋の風情がある。南国から帰ってきたのだ。中2日で台北の定宿、東呉大飯店に帰ってきた。海外であまりクレジットカードは使いたくないのだが、このホテルは安全だろう。料金の1,960元をカードで払った。 (つづく)


東呉大飯店 (台北市大同區)
いずれも民國95年11月27日撮影

続台湾日記 田中

2007-06-14 15:00:11 | 台湾日記

縦貫線 台南車站 (台灣省台南市東區北門路)

駅売店で台湾ビールを買って改札から入場する。莒光號34次は12時06分に台南を発車した。席は希望通り窓側だが、進行方向左側、つまり西側なので日が差す。隣の通路側の席には先客の女性がいる。たぶん10代後半。会釈して窓側の席に腰を掛け、30代後半はビールを飲み始めた。駅まで急いで汗をかいていたので旨い。

莒光號は客車列車らしい走りだが、冷房は効いており快適だ。車窓には高鐵の高架が見えてきた。試運転の車両は見られなかった。結局、車両を見たのは一昨日の高鐵左營の車両基地だけ。今日は基地とは反対側の席に座っていたので見ていない。


車窓から見る高鐵の高架 (台灣省台南縣)

北回歸線紀念碑を車窓に見る。北回帰線は北緯23度26分22秒。これより赤道をはさんで南回帰線(南緯23度26分22秒)までの間が熱帯なのだそうだ。

列車は快調に北上を続けていたが、次第に速度が落ちて停止してしまった。駅ではない。すぐ近くで高速道路が線路を跨いでいる。快適だった空調が止まってしまった。何らかのトラブルに違いない。窓が開かないから、車内は蒸し暑くなってきた。停電かと思ったが、南行の線路を電気機関車が1両、警笛を鳴らして基隆方へ逆送していった。この列車を救援するのだろう。停電ではなく、この列車の電気機関車が故障したものと思われる。北行線だけが停電している可能性もあるが。車内放送で何か言っているが、分からない。他の乗客も話し合っているが分からない。情報が分からないのと、暑さとでイライラしてきた。

今度は警笛を鳴らして南行の電車と莒光號が通過していった。この列車の扉は手動なので、南行線に乗客が降りていたら危険である。やがてこの列車に衝撃があった。機関車を連結したのだろう。空調は止まったままだが、列車はゆっくりと動き出した。30分以上は立ち往生していたのだろうか。林内に14時30分着。手元の時刻表では停車駅ではないから、臨時停車だろう。1分停車して林内を発車。もう普通の速度に戻して運転しているようだ。ただし空調は止まったまま。二水に14時38分着。下車した客のうち、改札で駅員に何か言っているのがいる。日本の国鉄・JRでは2時間遅れで特急券・急行券の払い戻しとなるが、台鐡はどうなのか。定刻より54分遅れの14時40分に発車。なお二水には自動改札機あり。

このまま終点の松山まで行くのかと思ったが、田中で運転をとりやめた。隣の月台に停車している自強號に乗り換えるのだそうだ。全く情報が分からなかったが、隣の席の女性が教えてくれた。親切有難い。この先も不安なので、この女性に付いて自強號に乗り換える。決してストーカー行為ではない。乗り換えた自強號は14時51分に田中を発車した。 (つづく)


縦貫線 田中車站 (台灣省彰化縣田中鎮)
いずれも民國95年11月27日撮影

続台湾日記 擔仔麵

2007-06-11 13:30:27 | 台湾日記

國家台灣文學館(正面)と台南市消防局(右)
(台灣省台南市中西區)


赤崁樓から歩いて行くと、日本統治時代の建物を数多く見掛ける。ひときわ立派なのが國家台灣文學館。台南州庁舎として大正5年(1906)竣工だから100年経つ。戦後は台南市政府などに使われた。手前の消防局は昭和13年(1938)の竣工。


擔仔麵(50元)に滷蛋(10元)をのせたの

台南名物と言えば担仔麵なのだそうで、その元祖という度小月を訪れる。店頭には「百年老店 清光緒甲午年 西元_1895年」と書いてある。老舗である。11時過ぎに訪れたが、開店は11時半からで、まだ準備中だった。店頭の随分と低い椅子に腰掛けて待たせてもらう。開店時間が近づくと、暑いからと冷房の入った店内に案内される。11月の会話とは思えん。

卓上に置かれた伝票の注文したい料理に数量を書き込み店の人に渡す。料理名には日本語も併記してある。「タンズーメン 擔仔麵」、「煮卵 滷蛋」を注文。日本語で「よく混ぜて下さい」と言われて、擔仔麵の椀を貰う。店の人の言に従い、よく混ぜて食べる。肉そぼろ、小エビ、おろしニンニクが入っている。香菜は入っておらず、美味しく食べられる。本当は入っているようなので、気を利かせて抜いてくれたのだろう。椀は小振りなので、ご飯ものを併せてとってもよかった。しかし、12時06分発の列車に乗らなければならない。もっと台南での滞在時間を確保するべきだった。1泊してもよかった。名残惜しいが支払いを済ませて店を後にする。また来よう。


度小月 台南總店 (台灣省台南市中西區中正路)


湯徳章紀念公園(民生緑園) (台灣省台南市中西區)
いずれも民國95年11月27日撮影

11時40分に度小月をあとにして、急ぎ足で駅に向かう。民生緑園のロータリーを大回りする。喫茶店の店頭のテーブルではニイチャンがお茶を飲みながら新聞を読んでいる。欧米を思わせるが、ご飯を食べるのもやはり店頭である。暑い土地柄だから屋外なのだろうか。汗だくになったが、無事に12時前に台南駅に到着した。 (つづく)

続台湾日記 台南

2007-06-11 10:45:35 | 台湾日記

縦貫線 台南車站 (台灣省台南市東區北門路)

台南を訪れるのは初めてである。駅舎は南国らしく瀟洒なもので昭和11年(1936)竣工。臺灣最西端的車站、台湾最西端の駅である。昨年、最北端の基隆を訪れ、昨日は最南端の枋山を訪れた。いずれ最東端の駅も訪れる事になるのだろうか。


ここにも自動改札機が準備中! (台南)


赤崁樓 (台灣省台南市中西區民族路)

駅から地図を見ながら赤崁樓を目指す。三越のところを行き過ぎてしまい、多少迷いながらも目的地に到着した。入口で切符(50元)を買って中に入る。切符の裏には「赤崁樓是台南市最著名的古蹟與精神象徴」とある。明永暦7年(1653)、オランダ人はここに普羅民遮城(プロヴインシア城)を建造した。漢人には赤崁樓、番仔樓、紅毛樓などと呼ばれる。明の遺臣、鄭成功にオランダ人は追放され、ここは鄭氏政権の行政府となった。


鯉がちっと多過ぎんか? (赤崁樓)


海神廟 (赤崁樓)

現在の建物は清代のものである。海神廟は清光緒元年(1875)の建築。


鄭成功畫像 (赤崁樓)

建物に入ると日本人観光客がいて日本語ガイドの説明を聞いている。これを少しタダ聞きする。今日はちょくちょく日本人を見掛ける。この観光客が去った後で鄭成功の画を撮影。


文昌閣 (赤崁樓)

隣に立つ文昌閣は清光緒12年(1886)の建築。


羽鳥又男胸像 (赤崁樓)

建物内には一体の銅像があり、誰だろうと見てみると、日本人で羽鳥又男とある。羽鳥翁は日本統治時代最後の台南市長。昭和17年(1942)に就任し、戦時中の財政難であったが、赤崁樓を含め、台南の史跡の修復、保存に尽力されたそうである。


普城稜堡殘跡 (赤崁樓)

オランダ時代のレンガが残る。日本統治時代に発掘されている。


鄭成功受降圖 (赤崁樓)
いずれも民國95年11月27日撮影

台南は台湾最古の街だそうで見所も多いようだが、観光はここにとどめて、この後は台南の味を求めることにする。 (つづく)

続台湾日記 自強號

2007-06-10 08:40:53 | 台湾日記

凱得來大飯店 (高雄市新興區)

民國95年11月27日星期一(月曜日)。高雄のホテルで目覚める。テレビをつけると「おはよう日本」をやっている。全く台湾にいることを忘れてしまう。階下の餐廳へ降りて、朝食をとる。先客はいない。朝食は中式(中華)または西式(洋食)から選べるのだが、何も聞かれずに西式の朝食が用意された。ちなみに前回は聞かれたので西式を選んだ。トースト、目玉焼き、サラダなど、内容はごく普通である。コーンスープがあるのだが、これが塩気が無くて微妙な味である。台湾料理は塩味控えめなんだそうだが。口に合わないスープだったが、残さず平らげる。コーヒーはミルク、砂糖入りで供されたので、普段は砂糖を入れない自分にはちと甘い。餐廳には蚊がいたので気になっていたが、脚を喰われてしまった。

部屋に戻りテレビを見る。総合テレビそのままだなと思ったが、「生活ほっとモーニング」が終わると別内容となり、「みんなの体操」や「もっと知りたい」の放送はなく、「おはよう日本」の再放送となった。もう午前9時半のつもりだが、台湾のテレビに変えると午前8時半である。双子の姉妹が朝の情報番組をやっている。「もっと知りたい」も双子の兄弟だし、ちょうどいいか。午前9時過ぎにホテルをチェックアウトする。


高雄願景館 (高雄市三民區)

列車に乗る前に駅前を散策。高雄車站の旧駅舎である高雄願景館。昭和15年(1940)の建築で帝冠式。高鐵(新幹線)、捷運(地下鉄)の整備に伴い、民國91年(2002)には82.6mも駅舎を移動させている。そこまでして保存する高雄の人々には頭が下がる。


高雄車站の駅頭 (高雄市三民區)


建設中の高雄捷運高雄車站 (高雄市三民區)

高鐵左營站や高雄國際機場が結ばれる予定。工事は遅れている。


剪票口(改札口) (高雄)

切符に鋏を入れてもらい入場する。僅か30分余りの乗車なので便當は買わない。月台には列車を待つ人たち。若い女性の旅行者2人が日本語で話している。恐らく日本人だろう。何か場違いな気もするが、違和感がない気もする。やがて自強號が入線してきた。


台鐡 縦貫線 自強號 1012次 (高雄)

車内に入り、席につく。希望通り窓側の席である。高雄9時28分発。愛河を渡り、北へ向きを変え、高鐵左營站との接続駅、新左營を通過していく。電車のような乗り心地である。快適な車内だが、もう降りなければならない。台南10時01分着。今日は先ずこの街を観光するつもりである。 (つづく)


台鐡 車票
いずれも民國95年11月27日撮影