旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

カリフォルニア紀行2000 サンフランシスコの夜

2005-02-10 11:00:15 | 帰国5周年記念
17.サンフランシスコの夜

地下駅となっている Powell St. から地上に出てくる。BARTは Market St. の地下を走っており、同駅は Powell St. との交差点に位置する。サンフランシスコ名物のケーブルカーもここから出ている。

とりあえずホテルへ。予約はLAの時と同様、日本からファクシミリでしてある。街は人通りが多い。駅から歩いてすぐにホテルに着いた。入口にはカギがかかっている。ブザーを鳴らし、開けてもらう。フロント氏(ラテン系?)に話しかけると、日本語で応対をする。別に日系のホテルでもないのだが、これはありがたい。市内の地図をくれて、どの地区も安全だという。しかし Civic Center 付近は変質者がいるという。チェックインを済ませると、フロント氏が2つのカギを渡す。ひとつは部屋のカギだが、もうひとつはホテルの玄関のカギだという。宿泊者のみが出入りできるようにするためらしい。警備員がいないのだろう。安全とはいえ、日本ほど治安はよくない。

ホテルというより、雑居ビルという雰囲気である。部屋に入ると、まさに小さな事務所のようである。バスタブやトイレはとって付けたようである。古い建物とガイドブックにあったが、本当に古い。部屋も狭い。しかし料金はLAのモーテルより高い。そもそもサンフランシスコのホテルの料金は高いのだそうだ。窓からは日航ホテルのロビーが見える。別世界のようである。これから3泊することになる。料金は税込で $256.50 であった。

部屋に手荷物を置いて出掛ける。サンフランシスコにはBARTのほか、Muni (San Francisco Municipal Railway) の運営する鉄道がある。路面電車、バスのほかケーブルカーの運営もここが行っている。 Market St. の地下は多層に鉄道が走り、最も深いところにBART、その上にMuniが走り、地上となる。地上には路面電車の軌道も見られる。切符($1.)を買い、自動改札を抜けて、プラットフォームへ。街の中心部では路面電車が地下を走るのだが、これがそうである。したがって編成は短い。終点の Embarcadero で下車する。BARTも直下を走っているが、同区間の運賃は $1.25 と、Quarter (¢25硬貨)1枚分高い。

フェリービルディングまで歩く。文字通り、フェリーが発着するが、Amtrak の連絡バスも発着していて、4年前にサンフランシスコを後にしたのはここである。今日は飛行機に乗ってしまったが、本当は鉄道と連絡バスで来たかったのだ。何はともあれ、4年振りに戻ってきた。ベイブリッジも見える。もう日も落ちているので、散策は明日にしてMuniでホテルの近くに戻る。

ガイドブックに紹介されていたレストラン、というかカフェで食事をする。メニューが英語なので読むのが煩わしい。ペスカトーレと Budweiser を注文する。旨いビールではないが、成田-バンクーバーの機内で飲んだワイン以来のアルコールなので嬉しい。ペスカトーレのパスタはきしめんのような平打ちで、ムール貝らしき貝が沢山入っている。サンフランシスコ独特の酸っぱいパンも添えられている。まあ満足した。ウエイトレスを呼ぶと、「ビールをもう1本か」と聞いてくるが、コーヒーをもらっておしまいにした。チップを含めて $18.34 だった。

4年前にも来た事のある酒屋で CRYSTAL GEYSER と絵葉書を5枚買って $2.25 払う。日航ホテルが近いせいか、日本酒や、カップめんも並ぶ。絵葉書も日本のはがきサイズのものもある。付近には小料理屋もあり、日本料理の店も多い。

ホテルに戻り、寝る事にする。しかし外が騒々しい。ホテルの裏が何の店だか知らないが、大きな音が漏れている。ときおり、車上荒らし対策のアラームが鳴り響く。土曜の夜の繁華街なので、いつまでもうるさい。そもそもホテルの建物が古くて、防音がされていないからうるさいのだ。ここに3泊もするのである。LAの清潔で広くて静かなモーテルが思い出される。騒音で寝ては起き、寝ては起きで一夜を過ごすはめとなった。 (つづく)