旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

今年一番長かった列車の旅 京都→東京

2004-11-18 20:10:18 | 列車の旅
これから帰らなければならない。明日の晩は仕事に行かなければならない。今から新幹線に乗れば、2時間強で東京に着く。しかし疲れた。どこかに宿をとりたい。コンビニエンスストアの情報端末から京都周辺の宿を検索するが、観光シーズンとあって空室が無い。大阪ならあるようだが、東京と反対の見当である。少しでも東京に近づきたい。結局、電話で名古屋駅近くの宿を予約して、列車の旅を再開する。新快速(列車番号3492M)で京都発17時29分、混んでいて座れない。途中駅から補助席が使えるようになったので座る事が出来た。18時20分に米原着。ここで豊橋行の新快速(列車番号2254F)18時38分発に乗り換えるつもりだったが、目の前にJR西日本683系L特急「しらさぎ14号」(列車番号14M)が入線している。特急に乗っても名古屋到着が24分早いだけである。自由席特急料金(1,150円)が別途必要となる。結局、しらさぎ車中の人となった。米原を18時24分に発車した特急は関ヶ原を越え、名古屋に19時16分到着した。1時間足らずだが、快適な車内だった。

名古屋で途中下車、ホテルにチェックインして、地下街「エスカ」にある「双葉」で、みそかつ定食を注文する。店内には名古屋に出張で来たらしい客のほか、坊さんの客もいる。この坊さんはみそかつではなかったようだが、この店の味を誉めている。すぐ近くに有名店の「矢場とん」があったが混雑していたので、この「双葉」にしたのだが、店の選択は正しかったのか。初めてのみそかつは旨かった。生ビールも旨かった。店の選択は失敗ではなかったようである。まだ名古屋には「味噌煮込みうどん」や「ひつまぶし」といった、食べた事の無い料理が存在する。きしめんばかり食べてないで、今回のみそかつのように、いろいろ試してみようと思う。満足してホテルに戻り、就寝。

平成15年11月27日木曜日。ホテル1階で朝食。1泊朝食付きだったので利用したが、名古屋の喫茶店のモーニングサービスそのままで、コーヒー、トースト、ゆで卵、サラダ(少量)という内容。実際に宿泊客だけでなく、一般の客も利用しているようだ。ホテルでは朝食バイキングが楽しみなのに。9時過ぎにチェックアウトして駅へ。朝食に不満はあったが、駅前のホテルだけあって移動は楽である。新快速(列車番号2212F)で名古屋発9時27分、座って行けて浜松着10時45分。普通(列車番号748M)に乗り換え10時52分発、これも座れた。正午をまわり、静岡で駅弁でも買おうとホームに降りたが、見つけられずに車内に戻る。この後は富士山を眺めるも、ぬまづ食わずで沼津着13時01分。次に乗る普通(列車番号348M)は東京行である。二階建グリーン車も連結している。しかしグリーン料金を払うよりも、幕の内弁当だった。内容は格別でない。13時07分の発車を待たずに食べ始め、次の三島に着く前に食べ終えた。そして東京に15時17分到着。西鹿児島から1492キロ(営業キロ)を新幹線に乗ることもなく、無事に戻ってくる事が出来た。遠いようで大した事もない。こうして今年一番長かった列車の旅が終わった。 (おわり)

今年一番長かった列車の旅 京都

2004-11-17 08:50:02 | 列車の旅
岩倉実相院 (京都市左京区)

新大阪から旅を続ける。新快速(列車番号3448M)11時34分発の電車には座れなかった。京阪間の鉄道は京阪電車、阪急電車、JR西日本の東海道本線(JR京都線)があり、しのぎを削っている。特急料金が必要だがJR東海の新幹線もあり、こちらは約15分(自由席1,380円)。JR西日本の新快速は運賃(540円)だけで約27分、シートは良いが乗車率も良いので座れない事も多い。国鉄時代から力を入れている線区である。JRより時間がかかるが、阪急は梅田-河原町が390円、京阪は京橋-三条が400円と安く、ダブルデッカー車両もあるので、いろいろ乗り比べてみるのも良いだろう。京都11時57分着、途中下車してコインロッカーに荷物を預ける。大阪でウロウロしていたのでもうお昼である。郵便局に行き年賀はがきを買ったりしていて、更に遅くなってしまった。しかも京都なのに広島版を買ってしまう。

市バス乗り場へ向かう。京都の市バスでもスルッとKANSAIが使える。紅葉も見頃とあって非常に混んでいる。何とか目的地へ向かうバスに乗り込む。京都駅から四条烏丸や三条京阪を通って有名な観光地まで経由するので、尚更いけない。乗降に手間取る上、道路も混んでいる。空いている時とは別の乗り物である。乗換えが無いから利用したが、混雑時は鉄道を利用するべきだったろう。一乗寺下リ松町で下車。寝台特急「なは」の車内でコーヒーとサンドイッチの朝食だったが、その後は淀屋橋でブルーベリーヨーグルトジュース、京橋でコーヒーと飲み物だけだったので空腹である。京都らしいものを食べたいが、今は何かお腹に入れたい。うどんの文字が見える。店に入ると、そこは私が週2回は利用しているなか卯だった。牛丼(ミニ)ときつねうどん(小)を注文、メニューも同じようだ。ネギだけが青い。味も関東の店舗と変わらない。

お腹は満足して、最初に訪れるお寺は金福寺。昨年のポスター「おけいはんの紅葉巡り。」で紹介されたお寺さんである。私が「おけいはん」が実在(?)する事を知ったポスターでもある。いつもはJR東海のポスターで紹介された社寺を訪れる事が多いが、今年は「おけいはん」紹介の紅葉を巡るとしよう。有名な詩仙堂の近くにある金福寺は小さなお寺さんで、観光客が途絶える事はないが、紅葉を見にきたのか人を見にきたのか判らないような事は無く、落ち着いてお庭や紅葉を楽しめた。貞観6年(864)創建で一時は荒廃していたそうだが、元禄の頃、復興したとの事。松尾芭蕉、与謝蕪村も所縁があり、芭蕉庵、句碑など寺内にある。

金福寺を後にして、今年の「おけいはんの紅葉巡り。」で紹介された実相院へ向かう。白川通を渡り、下校する中学生について行くと叡山電車の一乗寺駅に着いた。八瀬比叡山口行の電車を見送り、14時45分発の鞍馬行に乗車する。車内で車掌から切符を買う。岩倉駅まで260円。駅から実相院までは徒歩15分とある。バスの便もあるようだが、とりあえず歩く。本格的なカメラを抱えた人とすれ違う。紅葉の撮影だろう。五百円紙幣肖像の岩倉具視幽棲旧宅も岩倉にある。五百円硬貨になったのは昭和57年(1982)だったかと思う。やがて小さな金福寺とは趣の違う、実相院の前まで来た。

「おけいはん」ポスターも掲げてあった。枯れ山水の石庭と縁側に座る「おけいはん」である。靴を脱いで建物へ入る。タクシーで来たお客さんが運転手から観光案内をされているので、盗み聞きしている訳ではないけれど、私の耳にも自然と入ってくる。どのようなお寺か全く知らずに来たが、門跡ということで特別な寺格だという事だ。展示されているケースの中に、ここを訪問された東宮殿下の御写真もある。寛喜元年(1229)に小川通今出川に創建され、応永18年(1411)に今の寺地に移されたとの事。文化遺産が数多くあり、背負った荷物は手で持つよう注意書きがしてあるのは、襖絵を何かの拍子に破いてしまっては取りかえしがつかないからだろう。廊下から薄暗い板の間を挟んで庭の紅葉が見える。板の間に入る訳ではなく、紅葉が黒光りする床に写っているのを見るのだと、先ほどの運転手は説明している。三脚は使用禁止である。高感度フィルムを使うべきところだが、カメラの中には感度100のネガフィルムが入っている。プロのカメラマンも苦心しながら撮影している。それに比べて観光客の女性は Digital Camera で簡単に撮影している。弱い光でも奇麗に撮影出来るから便利ではある。

石庭ともうひとつの庭の両方を拝見する。眺めは良かったが、訪れた時間が遅かったなと思う。お昼の光線で写真を撮りたい。もう夕方も近いのだ。「おけいはん」の腰掛けていた縁側に自分も腰掛ける。線引きされた白い庭と紅葉が美しい。ポスターに偽り無し。これで「おけいはんの紅葉巡り。」を巡る旅は終わった。帰りは京都バスに乗って出町柳へ。準急で地下駅の出町柳発16時14分、丸太町、三条、四条、五条と各駅に停車する。七条、やがて地上へ、そして東福寺で下車、16時29分発。駅名の元となった東福寺は紅葉の名所で、以前に余りの人の多さに参ってしまった事がある。それでもここの紅葉は良かった。今日も東福寺は多くの人が訪れたことだろう。JR奈良線に乗り換える。ICOCAを初めて使ってみる。Suicaと同じで余り面白くない。次の京都行普通(列車番号1644M)は16時48分で随分と間がある。京阪特急が向こうの線路を何本も走りぬけていく。全く面白くない。ICOCAなぞ使わず、七条で降りて京都駅まで鴨川を渡って歩いた方が早かった。大分待って乗った列車は2分で京都に到着した。 (つづく)

京都岩倉実相院 http://www.jissoin.com/


今年一番長かった列車の旅 大阪

2004-11-16 09:30:28 | 列車の旅
佛日山金福寺 (京都市左京区)

9時26分に寝台特急「なは」(列車番号32)は新大阪に到着した。狭いもののB寝台一人用個室「ソロ」は快適であった。新大阪にいるが、このまま新幹線で東京まで行ってしまうのではない。私は京都で春は桜、秋に紅葉を見る事にしている。鹿児島まで出掛けたが、本来の目的は京都へ行くことであり、鹿児島へは京都へ行くついでに行ったまでの事である。随分と遠い寄り道だが、昨年秋には京都へ行ったついでに東北へ寄っている。その時に乗車した線区は、常磐線、東北本線、東海道本線、湖西線、北陸本線、信越本線、羽越本線、奥羽本線、東北本線、常磐線で、東日本を大きく一周した片道乗車券を使った。

東北新幹線の八戸開業で廃止された特急「はつかり」に乗りに行ったもので、今回の九州新幹線開業前にL特急「つばめ」に乗ってきたのもまた同様である。盛岡ではぴょんぴょん舎の冷麺が旨かった。平泉では中尊寺の金色堂が見られて良かった。仙台では久しぶりにきすけの牛たんを食べて満足した。寄り道は楽しい。無くなるものには興味を示すが、未だに東北新幹線「はやて」には乗っていない。九州新幹線「つばめ」も楽しみだが、乗車の時期は未定である。

今回の切符は単純に往復するだけなので、途中で道草をしようと思う。乗車券の経路は往路が、常磐線、東北本線、新幹線、鹿児島本線で、復路は、鹿児島本線、山陽本線、東海道本線、東北本線、常磐線となっている。往路と復路との違いは新幹線利用の有無。実際に新幹線に乗車したのは岡山-広島間と徳山-博多間だけだが、複雑な往復乗車券をJR東日本の駅員が発券できなかったので仕方が無い。往路では2回、途中下車したが、復路ではまず新大阪で途中下車する。

地下鉄に乗り淀屋橋へ。京阪電車の駅構内にある京阪ジューサーバーでブルーベリーヨーグルトジュース(200円)を飲む。最近は京阪沿線だけでなくJR西日本、JR東日本、東武鉄道にも出店している。京橋へ移動し、駅事務室で「おけいはん」のチラシをもらう。京阪電鉄のイメージキャラクターの「おけいはん」が11月で交代となるので駅構内のポスターも撮影しておく。さて大阪での用事を済ませ、後は京都へ行くばかりである。「京都といえば、おけいはん。」だが(しかも京阪の駅にいるのだが)、西鹿児島→新松戸の乗車券があるので、京橋から天満橋まで移動し、更にポスターの写真を撮って、地下鉄で新大阪に戻った。京阪電車も地下鉄もJRを除く関西のほとんどの鉄道をプリペイドカードスルッとKANSAIで利用できるので便利だ。これに遅れて関東でもパスネットが登場したが、スルッとKANSAIはバス路線でも利用可能でき、残額10円でも入場できるなど、はるかに使い勝手は良い。JR東日本ではICカードのSuicaが好評だが、JR西日本でもICカードのICOCAが登場となった。現在は東が東京・仙台地区と東京モノレールとりんかい線での利用、西が大阪地区のみだが、相互利用も可能とするそうである※。私鉄でも使えるようにするそうで、早く1枚のICカードで済むようになって欲しいと思いつつ、JRの京橋駅でICOCAを購入した。 (つづく)

※平成16年8月1日より、ICOCAで首都圏・仙台エリアのJR東日本線、東京モノレール線、東京臨海高速鉄道線(りんかい線)の各駅が、Suicaで近畿圏のJR西日本線の各駅が利用できるようになりました。

ICOCA(JR西日本) http://www.jr-odekake.net/guide/icoca/
Suica(JR東日本) http://www.jreast.co.jp/suica/


今年一番長かった列車の旅 西鹿児島→新大阪

2004-11-15 11:05:03 | 列車の旅
寝台特急「なは」 (新大阪)

工事中の西鹿児島駅前電停に到着。新幹線開業までに駅前も整備中である。何やら大きな建物も建築中だが間に合うのか。これから乗る寝台特急「なは」(列車番号32)の発車時刻まで時間があるので、駅前にあるファミリーレストランのJoyfull(本社大分市)に入り、年賀はがきを絵葉書代わりに書こうと思う。西鹿児島の駅名は新幹線開業時に鹿児島中央となる予定だが、ここの店舗は鹿児島中央駅前店である。このあと車内で夕食の予定なので、ここでは食事はしないつもりである。冷奴(199円)と生ビール(299円)を注文する。このファミリーレストランは実家の近くにも店舗があるのだが、価格が非常に安い。店内は高校生が多い。間食ではなく夕食のようである。家に帰って食事をしないのだろうかと思う。焼酎のお湯割り(199円)を追加注文する。

駅の側の鹿児島中央郵便局で風景印を押してもらって葉書を出す。デザインは西郷さんと桜島。駅に戻り買い物。土産物屋の人に新幹線試運転列車到着の音が聞こえると教えてもらう。すこし酔ってきたので言われるまで気がつかなかった。新幹線開業後にまた来ます、といって店を出る。駅名が変更となるので、みどりの窓口で入場券を購入。帰りの乗車券を自動改札機に投入し、改札機に入らない「なは」の特急券・B寝台券は駅員に入鋏のスタンプを押してもらう。ホームに下りると「なは」は入線していたが扉は開いていない。発車案内の行き先には博多、新大阪の文字があり、そこだけは新幹線のようである。通勤・通学の客で人が溢れている。「なは」と同じホームの向かいの線からL特急「つばめ26号」(列車番号26M)が遅れている普通列車の接続を待って発車する。続けて普通列車が入線して多くの人が乗車してホームが落ち着く。「つばめ」の発車前にいた駅弁売りがいなくなったので、ホームから改札階に戻り弁当を買う。調製元が駅弁業者でなく、JR九州の関連会社だがしかたない。ホームに戻ると「なは」の扉が開いている。私は「なは」の個室の切符を持っている。さっそく自分の部屋へ。狭いながらも個室は嬉しい。西鹿児島を18時54分発車。さっそくビールを飲みながら弁当を食べる。とりめしとおかずが入っている。車掌がきたので箸を置いて切符を見せる。JR西日本京都支社みやこ列車区の車掌である。終点までご利用いただきありがとうございます、という。個室の扉を閉め、本格的にくつろぐ。車窓は真っ暗である。しかし停車駅ではホームに人がいるので、だらしのない格好は出来ない。シーツを敷いて寝床の準備をする。なかなか快適で川内を過ぎると寝てしまう。熊本で増結の為、長時間停車するので飲み物を買おうと思っていたが、面倒くさくて寝ていた。

日付変わって平成15年11月26日水曜日。深夜の博多に停車。「つばめ」より1時間以上も遅い。どうにものどが渇いたので飲み物が欲しいが、自動販売機が何号車にあるのか判らず、門司で機関車を替える時にホームの自動販売機で購入する。西鹿児島から門司まで牽引した機関車はご苦労さんであった。関門トンネルを抜け、本州に戻って下関で再び機関車を替える。また寝てしまったが、岩国通過は見ていたい。岩田の手前で起きたので、ここから寝ないようにした。3時55分岩国通過。小瀬川を渡り、広島県へ入ったので本格的に寝た。広島で運転停車したような気もするが、よくわからない。夜が明け、目を覚ますと兵庫県に入っていた。姫路を過ぎるとホームも列車も通勤・通学客で溢れている。車内販売が乗ってきたのでコーヒーとサンドイッチを買って朝食とする。上りの「なは」の車内販売は朝の姫路以降である。予め何か購入して乗車しないとひもじい思いをする。やがて明石海峡と明石海峡大橋が車窓から見える。

平成7年(1995)の震災の数週間後、神戸の街を通過した事がある。広島から新幹線に乗り姫路で下車した。その時新幹線は新大阪~姫路間が不通となっていた。在来線は芦屋~神戸間が不通だった。普通列車の神戸行に乗り換えた。車窓にあまり変わった様子もない。屋根瓦がずれたり破損したりしているので、応急処置の青いビニールシートが目立つくらいか。建設中の明石海峡大橋が見える。神戸市内に入った。止まったままの貨物列車を見つけた。やがて一面の焼け野原。息を呑んだ。他の乗客も食い入るように車窓を見ている。ここが震災後に発生した火災で焼き尽くされた長田だった。恐ろしい景色の中を走り、神戸に着いた。JRはここまでしか走れない。被災している地下街を通って高速神戸駅へ、そして阪神三宮で下車。こんな中でも通学客はいた。ここから大阪方面へは大渋滞の道路を超満員の代行バスで行くか、歩くしかない。被災地の中を歩いた。とにかく埃っぽい。鉄筋コンクリート造の建物が傾いている。倒れかけた木造家屋が家の前の電柱に寄りかかった状態になっている。信じられないような風景だったせいか、10数キロの道のりは非常に遠く感じられた。ようやくたどり着いた芦屋から大阪へ。暖房の効いた快適な電車で到着した大阪の街は、震災が嘘だったかのように普段通りだった。8年後の神戸を「なは」は走っている。焼け野原はない。新築の建物ばかりなのが、被災地の証だ。三ノ宮を発車した「なは」は、瓦礫の中をたどり着いた芦屋を足早に通過していくと淀川を渡って大阪に着いた。もう一度淀川を渡って9時26分、終着の新大阪に到着した。14時間32分の列車の旅だった。 (つづく)


今年一番長かった列車の旅 桜島

2004-11-14 10:22:13 | 列車の旅
第五櫻島丸 (※鹿児島県鹿児島郡桜島町)

ここまで来たからには桜島に渡ろうと思う。桜島フェリーは2度利用した事があるが、定期観光バス、乗用車での乗船で、徒歩での乗船は初めてである。このフェリーは橋のない鹿児島と桜島の間を終夜運航している。深夜・早朝は1時間に1便だが日中は10分毎で、12分毎の常磐緩行線より便利である。立派なターミナルである。エスカレーターで乗船口へ向かう。飲食店、土産物店、売店等あるが、切符売り場がない。運賃は下船後、桜島で支払う旨の張り紙がしてある。フリーパスで船に乗りこんでしまう。

船旅は風に吹かれて心地良い。徒歩の旅客は少ないようだが、観光バスで乗船してきた客がデッキに上がってきて賑やかになった。久しぶりに他人の記念写真のシャッターを押す事になった。短い船旅で13分である。乗船した第五櫻島丸はすぐに到着した。桜島港のフェリーターミナルに入った処に改札口があり、運賃150円を徴収される。鹿児島のターミナルより小ぶりだが売店もあったので、絵葉書でも買おうと覗いてみると年賀はがきを発売している。鹿児島県版は「桜島と九州新幹線」であったので3枚購入しようとすると、まだ1枚も販売していなかったようで、200枚の封を開けてもらった。図柄は手前に九州新幹線「つばめ」、煙を上げる桜島、錦江湾にはヨットが見える。

さて、徒歩の客は下船してターミナルで支払うが、車で下船した時はどうするのか。これはフェリーから上陸して一般道に出るまでの間に料金所があるのである。通行料金ではないから車長、何人乗っているかを職員が確認して運賃が請求される。車検証を見せる事もない。明石海峡大橋開通前に明石から岩屋へのフェリーも料金所で運賃を支払ったが今はどうなのだろうか。

桜島は西半分が鹿児島県鹿児島郡桜島町、東半分が鹿児島市となっており、フェリーは桜島町の町営である。昨今の広域合併で鹿児島市との合併の賛否を問う住民投票が行われる旨の垂れ幕が港にあった。その島の東側は大正3年(1914)の噴火で流れ出した溶岩が海を埋め、大隈半島と陸続きとなった。つまり鹿児島の街から船に乗らずに桜島へ行くことが出きるが相当の遠回りとなる。島内ではこの時の噴火で埋没した鳥居などみる事が出きるが、港から遠いようである。近くにも溶岩が流れたところがある。公園として整備されているが、溶岩の中に入っていくと全く人気がない。平日だからだろうか。ちょっと不気味である。このあたりに烏島が埋没しているのだろうか。それでも、散策する人は数組見かけた。

明日はもっと歩かなくては行けないかもしれない。大事をとって散策はこれで終わりとし、港へ戻った。運賃150円を払って船へ。第十八櫻島丸で往路の船より新しいようだ。乗船時間は短いが、うどんも食べられるし、売店も充実しているのだが、自動販売機でコーラを買って桜島を正面に見る席に腰を下ろした。桜島が遠ざかってゆく。鹿児島本港到着後、下船。同じ道を西鹿児島駅へひき返しても面白くないので、鹿児島駅へ向かう。駅は港から近かった。構内は広いが駅舎はこじんまりしている。階段を上がり改札階へ。西鹿児島までの運賃は200円であるが、しばらく発車する列車はない。しかたがないので駅前にある市電のりばへ向かう。こちらは電車の本数も多く、運賃も160円(全線均一)と安い。鹿児島の中心部を通って西鹿児島駅前電停へ行く。交差点で電車が右折すると、何故か函館の市電に乗っているような気がした。ただ函館より活気がある。そして暖かい。人口、函館市28万人、鹿児島市55万人。 (つづく)

※桜島町は平成16年11月1日、鹿児島市に編入。