ジョンソンタウン
1.ジョンソンタウンの歴史
昭和11年磯野商会が製糸会社の磯野農園として20万坪を取得する。昭和13年陸軍航空士官学校の将校用住宅として磯野商会が50戸を建設する。昭和20年太平洋戦争終結により陸軍航空士官学校や飛行場を米軍が接収しジョンソン基地となる。昭和29年朝鮮戦争による基地増強により、米軍ハウス24棟建設する(現在は23棟)。昭和53年返還により自衛隊入間基地になり、日本人向けに賃貸を行うが、荒廃化し、スラム化が進んだ。平成8年磯野達雄が兄から、磯野商会を引継ぎ社長に就任し、復興策の検討を開始する。平成14年渡辺治が、磯野商会から新米軍ハウスと米軍ハウスの改修とまちの計画を依頼される。平成15年平成ハウス1号を新築し、本格的に磯野住宅の再生とまちづくりを開始、以降、約16年をかけて米軍ハウスを改修、平成ハウス39棟を新築する。平成21年磯野住宅からジョンソンタウンへ改名、商標登録を行う。平成27年都市景観大賞(国土交通大臣賞)を受賞する。
2. 米軍ハウス
昭和24年朝鮮戦争勃発時に米軍基地を増強すべく、米兵の家の不足を補いために昭和28年に建築される。米軍ハウスは、GHQが建てたものと、高額な家賃を支払うことを前提に民間誘導型で建築されたものがあり、ジョンソンタウンは後者になる。GHQは、進駐軍のための住宅を建築させることで、日本の産業や経済を立ち直らせるだけでなく、新たな住宅産業になり、日本の復興を意図していた。米軍ハウスは、建築を独学で学んだ建築家吉沢誠次氏のオリジナルティが生かされている。
1.ジョンソンタウンの歴史
昭和11年磯野商会が製糸会社の磯野農園として20万坪を取得する。昭和13年陸軍航空士官学校の将校用住宅として磯野商会が50戸を建設する。昭和20年太平洋戦争終結により陸軍航空士官学校や飛行場を米軍が接収しジョンソン基地となる。昭和29年朝鮮戦争による基地増強により、米軍ハウス24棟建設する(現在は23棟)。昭和53年返還により自衛隊入間基地になり、日本人向けに賃貸を行うが、荒廃化し、スラム化が進んだ。平成8年磯野達雄が兄から、磯野商会を引継ぎ社長に就任し、復興策の検討を開始する。平成14年渡辺治が、磯野商会から新米軍ハウスと米軍ハウスの改修とまちの計画を依頼される。平成15年平成ハウス1号を新築し、本格的に磯野住宅の再生とまちづくりを開始、以降、約16年をかけて米軍ハウスを改修、平成ハウス39棟を新築する。平成21年磯野住宅からジョンソンタウンへ改名、商標登録を行う。平成27年都市景観大賞(国土交通大臣賞)を受賞する。
2. 米軍ハウス
昭和24年朝鮮戦争勃発時に米軍基地を増強すべく、米兵の家の不足を補いために昭和28年に建築される。米軍ハウスは、GHQが建てたものと、高額な家賃を支払うことを前提に民間誘導型で建築されたものがあり、ジョンソンタウンは後者になる。GHQは、進駐軍のための住宅を建築させることで、日本の産業や経済を立ち直らせるだけでなく、新たな住宅産業になり、日本の復興を意図していた。米軍ハウスは、建築を独学で学んだ建築家吉沢誠次氏のオリジナルティが生かされている。