活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

プロムナード  賭

2009-06-09 00:04:19 | 活字の海(新聞記事編)
2009年6月6日(土) 日本経済新聞夕刊 5面らいふより
筆者:菊池信義(装丁家)


本好きな人ならきっと。
お気に入りの本屋、というものを持っていると思う。

新刊書店でも然りだが、店主の意向をより色濃く打ち出し易く
なる古書店なら、尚のこと。

自分の好みの本が並んでいると判っている書棚を眺め、そこに
出現する予定調和な作品と、その間隙をつくように意表を突いた
作品に見(まみ)えることに恍惚とする時間の、なんと至福な
ことか。


ネットでは、こうはいかない。
確かに、リンクを辿っていくことで、思わぬ作家に行き着く
ことや、もう手に入らないと諦観していた本に巡り合う僥倖は、
ネットならではのものだ。
購買実績に応じてポイントが還元されることも、素直に嬉しい。
ある程度の量となれば、送料無料で送ってくれることも助かる。


だが。
町の本屋にあって、ネットには決して無いもの。


紙とインクのそれが交じり合った、独特の匂い。
手に取って見たときの本の触感や、重み。
視野一杯に広がる背表紙から、まるで「私を読んで!」と言わん
ばかりに眼に飛び込んでくる本達の色の洪水。
思いもかけない雑誌の表紙に心引かれ、パラパラとする立ち読み。
立ちっぱなしの足が少し痛くなり、手に持ちきれない戦利品の
中から、どれを峻別すべきか、いやいっそ全部持ってレジへ
直行すべきかと悩むひと時。


そういった一切が渾然となって、本屋の雰囲気を醸造している。


正に視覚、嗅覚、触覚という、五感のうち三つまでも動員して
マルチに楽しむことが出来る。

これが、ネット書店には無い、町の書店の喜びである…。



そこいらにいる本好き(僕のことである)でさえ、本屋という
ものに、こうした思い入れを持っているのだ。

一万数千冊の本を装丁してきた、言わば本のプロ中のプロである
筆者の眼力に適った書店といえば、どれほどのものなのだろう。

その疑問に応えてくれるのが、今回のコラムである。

筆者のお気に入りは、鎌倉駅西口にある「たらば書房」。

たらばの語源は、なんとタラバガニだとか。
タラバガニの足が蠢くところから、この書店には何かがのぞのぞと
蠢いているぞ、という意を籠めた名前らしい。

これだけでも十分に個性的だが、やはり本屋は名前ではなく、
並んでいる本で勝負だ。

雑誌、児童書、実用書、文芸、人文、コミックと、凡そ代表的な
ジャンルはきっちりと網羅している。

にも拘わらず。
そこに並んでいるのは、ありきたりの取次ぎから配送されてきた
お仕着せの本ではなく、すべからく店主が気に入り、これはと
思い入れた本のみというのだから、恐れ入る。

そのラインナップや、本のプロである氏をして「(自分の興味に)
縁の無い棚からも漲(みなぎ)る力を感じる。」と言わしめる程
である。

ちなみに、サブタイトルの「賭」は、筆者が密かに行っている
たらば書房との賭を意味する。
すなわち。
筆者が気になって買い求めたい本が有るかどうか?だが。
実際には「必ずといっていいほど、たらばにある」とのことで、
賭は不成立となるらしい(笑)。


そういう本屋を、身近に持ちたい。
いやいっそ。
自分がそういう本屋を営んでみたい。

そうした想いを、古今どれほどの愛読家が抱いてきたことだろう。

それを、この書店の店主は具現化しているのだ。
詳しい経営の背景は知る由も無いが、それで売り上げもきっちりと
出しているならば、それはもう神業といってもいいだろう。

ネットで検索してみても、特にホームページ等も持っていない
ようだ。

ならばと、ストリートビューで見て見れば、なんの変哲も無い、
一見普通のどこにでもある町の書店ではないか。

この面構え(失礼!)で、筆者をここまで唸らせるようなライン
ナップを実現しているとは。

げに、書店道、奥深しといったところである。

(この稿、了)

(付記1)
それにしても、この筆者。
へめぐるという表現には参った。
経回ると書いて、へめぐると読む。
さ迷い回ることだが、この書店の中を散策する言葉を表わすのに、
なんと相応しい表現を見つけてくることか!


(付記2)
Mixiの書店員さんが集まるコミュニティのメンバーとなって
いる。
そこに寄せられた、書店員の皆さんの苦悩と怒りと喜びの声は、
昔書店でバイトしていたものとしては、涙無くして読むことは
出来ない。
書店員のみんな、頑張れ!




装幀とは、装丁のこと。
1万冊以上の本を飾り続けた筆者の想いが結実した書。
真白な表紙に、装丁のプロとし想いが凝縮されている。
装幀思案
菊地 信義
角川学芸出版

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あの、「裁判長、ここは懲役3年でどうですか?」の北尾トロ氏も
噛んでいるこの書。「理想の本屋って、どんな本屋なんだろう?」
というキャッチコピーがいやが上にも気を向けさせる。
新世紀書店--自分でつくる本屋のカタチ
北尾 トロ,高野 麻結子
ポット出版

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本屋といったって、こんなに違う!
自分好みの本屋を探す旅のお供に。
本屋さんに行きたい
矢部 智子
アスペクト

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