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メディア時評<10月> 少年法と表現の自由

2009-10-19 23:38:34 | 活字の海(新聞記事編)
2009年10月10日(土) 琉球新報 21面 文化欄より
記:山田健太(専修大学准教授・言論法)
サブタイトル:問われる原則と公益性
       出版差し止めには違和感



旅先で、たまたま目にした琉球新報。


この新聞は、沖縄ならではの屋号その他のキーワードに溢れている
お悔やみのページが、重要なのだとか。

このページを見ることで、自分に関係のある方のご不幸の報を知り、
必要な手立てを打つことが出来る。

そう、泊まった宿の女将さんから伺った。


地域によって、様々な新聞の使い方があるものだと感心しながら
読ませてもらった際に、目に留まったのがこの記事。


去る10月7日に発売されたルポルタージュ「○○君を殺して
何になる」増田美智子著が取り上げられている。

※ 記事本文中では名前の部分は伏字となっています。
  ただ、ネットでは既に著者名で検索すると、この本が多数
  引っかかることもあり、そのうちのかなりの部分が表紙を
  そのままUPする等、実質上は公開状態であることも事実
  です。

  ここでは、一応伏字にしておきますが。


この記事の論点は、まとめると以下のとおり。

基本は、報道の自由が尊重されるべき。
その上で、人倫上、安全上の事由等により、更改を見送られる
場合には、自主規制の形で行われるべきである。

それを、弁護団が司法に出版差し止め処分を申請したことは、
司直の手を介入させることであり、情報統制への閾値を下げさせる
ことにも繋がる。

そのことを、各々の当事者はよく考えるべきだ。


その論点については、示唆に富んでいる。
出版物にとっては、第二次大戦という暗黒の時代を経て、ようやく
日本人が手に入れた表現の自由というものを。

著者が、あるいは出版社が。
そしてまた、出版差し止め請求を行った弁護団が。

きちんと向き合って考えるか?という問題提議には、納得させられる
ものがある。


だが。
で、あればこそ。

安易に実名を著書名に冠した著者は、その真意を問われることに
なるだろうし、その事由を開示し、賛同の意を得る必要があるだろう。


それなのに。

筆者は、上記の問題定義を伝えることで今回のコラムを閉じてしまい、
本書そのものについての是非論は言及していない。

言及しない旨が明言されていることからも、確信的にそのことを
論じることを忌諱したのは明白である。

そこに、僕としては物足りなさを感じざるを得ない。



なぜなら。

なぜ、今。

このタイミングで、著者がこういったタイトルの本を書き、それを
当該の出版社が刊行したのかという点について、きちんとその真意を
つまびらやかにする必要があると思えるからだ。

僕自身は、本書を未読である。
ネット書店や大手書店でも、出版差し止め請求の動向を待ってから
販売を開始するというスタンスのところが多く、入手はなかなかに
困難でもあることがその理由の一つだが。
(ネット書店でも販売中のところはあり、入手は不可能ではない)


もっとも大きな理由は、そこに読む価値を感じられないからである。

標題からして、本書は犯人である元少年を弁護しているようにも
見受けられる。

ネットで本書の所感を検索してみる限りでは、別に逆説的な意図を
持ってこのような書題をつけた訳ではなく、著者は真意としてこう
考えているということらしい。


そうである場合。

著者が、元少年の指名を開示する理由には、どのようなものが
考えられるだろうか?


その1 話題つくり

 これはもう、実も蓋も無い。
 でも、一番可能性が濃厚と思われる理由でもある。
 元少年とは、実名開示について合意が取れていたと著者が主張する
 に至っては、今回の件は場合によっては著者と弁護団の出来レースか?
 とさえ思えてしまう。

 一つは、著者の売名行為のため。
 そしてもう一つは、世間の耳目を今一度この事件(と自分達)に集約
 させるため。

 そう考えるのは、穿ちすぎだろうか?




その2 少年への懲罰と反省の促し

 死を問われるほどの事由が、元少年にあるとは思えない。
 が。
 その一方で、彼が二人の命をその手で奪ったこともまた、事実である。
 で、あれば。
 相応の罰を、彼は甘受する必要がある。
 そして、それを反省の刻印として、自らの心に烙印するために。
 自らの氏名を開示し、今後の人生における十字架を背負う必要がある。

 う…ん。自分で書いていても、あまり説得力があるとは思えない。
 真摯に少年が反省しているのならば、みすみす更生を困難にするような
 実名開示なぞわざわざすることなど何も無いのだ。

 まして、それを。
 何の権限も無い一個人の判断でしてしまうなんて。
 傲慢というよりも、驕慢にしか思えない。


と、まあ。
僕なりに考え付く如何なる理由をもってしても。
両者のいずれかしか実名を出すに足る理由が無いと思える以上。
どちらの理由にしろ、それは読書欲をそそるものとは言えないのだ。



自分で買う気はおろか、読む気さえ沸かない本書である。
このコラムの筆者には、是非読んでもらい、その目で本書の実体を
明らかにしてほしかったものだ。


最初の問題提議が分かりよかっただけに、尻切れトンボに終わった感の
あるラストが、残念なコラムだった。


(この稿、了)



(付記)
ちなみに、本書。
AMAZONでは購入できないが、オンライン書店bk1では
購入可能である。
お望みの方は、こちらをどうぞ




かつて評した本書の方が、まだ救いが有ると思うのは、僕だけだろうか?
なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか
今枝 仁
扶桑社

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2 コメント

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Unknown (シャドー81)
2009-10-31 00:04:02
先日よった本屋に山積みされてました。

何だろうと、手にとってパラパラ。そう言えばニュースでやっていた本かと思ったしだい。

単純に、耳目を集めたい・・だけのような気がする。
返信する
Unknown (MOLTA)
2009-10-31 06:25:58
ほうほう。
ということは、弁護団が行っている出版差し止め請求に、何らかの進展が有ったのかな?

でも、シャドー81さんの所感が全てな気がします。
返信する

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