活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

水脈 「メディア・リテラシー」 内田 樹 

2007-11-09 00:17:36 | 活字の海(新聞記事編)
11月8日(木) 毎日新聞 夕刊 9面 文化 批評と表現より

ちょうど昨日UPした、「戦争する国、平和する国」の中で紹介した
サンチェス氏が若者に贈る言葉とシンクロニティを感じる記事を読んだ。

もっとも、同じ毎日新聞であることを考えると、偶然と決め付けるのも
どうかとは思うが。

内田氏が冒頭で紹介したフジテレビの株価が過去7年で1/10に
下がったと言うエピソードは、内田氏と同じく株に不見識な僕にとっても
初耳であった。

氏は、こうした事象が広く世間に知らしめられていないことを、
重視する。

すなわち、株価がそこまで下がっていることは、取りも直さず
マーケットはメディアの価値をそこまで値踏みしているという事実に
メディアが向き合っていないのだ、と。

それにより、そうした表面に出ない情報を鋭敏に知覚できる者はともかくとして、
大多数の国民にとっては報道されない=存在しない状態となってしまっている
とする氏の指摘は鋭いと思う。

メディア・リテラシーという言葉の定義は、
確かに情報の選別能力という意味を含むのだろうが、
真に人々に必要な能力は更に情報に含まれない何かを感知し、
その裏にある真実を見抜く眼力こそが、メディア・リテラシーの
真髄であるとする氏の言葉は、昨晩書いた

 「腐敗の中で最悪なのは、人々が聞きたがっていることを言うだけで、
  知る必要のあることを言わないことです」

に繋がる話だと思う。
#これでやっと冒頭のシンクロニティに繋げることが出来た…


同じニュースでも新聞によって扱いも解釈も全く異なることは、
よくある話である。

これはすなわち、在るべき事実と、伝え手の中の真実とは必ずしも
合致しない、ということであろう。
#真実でもない単にプロパガンダだとは、さすがに寂しくて思いたくない。

マスメディアでさえそうである。

ましてやネットに溢れる情報は、例えそれがどれだけ羊の皮を被っていても、
狼である可能性を念頭に置きながら読み解く目を、受け手に必要とさせる。

ウイキペディアなどは、その顕著な事例であろう。

勿論、そうした情報に罪がある、というよりは、
この情報の多元化社会にあってなお、そうした眼力を持ちえない人間は、
既に送り手の数だけ溢れる真実に流されていくしかないということだ。

もっとも、玉葱の皮のごとく、どこまでも剥いたその先に何が在るのかは
誰にも分からないことでもある。

結局、自分が感じた、自分が思ったことが正しいのさと割り切ることが
大切なのだろうなあ。いや、逃げではなく。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 戦争する国、平和する国 | トップ | 流れる海 ドキュメント・生還者 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

活字の海(新聞記事編)」カテゴリの最新記事