壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

冬の竹

2011年12月19日 23時05分41秒 | Weblog
 ――食事をすると、ところてん式にゲリラ攻撃が始まるので、昼食を抜いて、ある治療を受けに行った。やっとの思いで。
 下痢の原因は精神的なものであるが、とりあえず、毎朝ヨーグルトを200グラム食べてみて下さいとのこと。今日まで毎朝100グラム食べていたが、早速、明日から200グラムにしよう。
 この他にもいくつかアドバイスを受けたが、それらは又の機会に、ということで……


      六地蔵にまだ日のありて冬の竹     季 己

柿落葉

2011年12月18日 20時28分52秒 | Weblog
 ――本日も、今日の私の一句のみで、お許しを。


      雲水やはらはらはしる柿落葉     季 己

冬埃

2011年12月17日 22時30分04秒 | Weblog
 ――頻度はいくらか少なくなったが、相変わらずのダブル攻撃。また、『去来抄』を通説にこだわらず、虚心に読んだところ、疑問・問題が生じたため、後日に。


      ガジュマルも金の成る木も冬埃     季 己

『去来抄』16 続・月雪や

2011年12月16日 19時38分46秒 | Weblog
        月雪や鉢たたき名は甚之丞     越 人

 ――今日では耳なれない季語「鉢たたき」の形象化をめぐってのエピソードである。
 まず、「鉢たたき」から見ていこう。寒念仏で、空也上人の忌日の十一月十三日から大晦日までの四十八日間、半僧半俗の僧が、鉢や瓢簞を叩きながら念仏和讃を唱えて、京都市中を廻った、その修行。または、空也僧を直接指す場合もある。この一条に見える「鉢たたき」はいずれにも解せる。

 つぎに、越人の句の解釈であるが、これがまだ一定していないが、栗山理一説に賛同者が多いのではなかろうか。
    (栗山理一説)「月夜にも雪の夜にも修行に出るあの鉢叩きの俗名は
            甚之丞という者だ」
    (南 信一説)「毎晩めぐってくる鉢たたきは『月や雪や』と自然の
            美にあこがれ歩いているようだ。俗名甚之丞という
            何の風雅心もないものと思うのに」
    (岩田九郎説)「雪が降りつもっている。月の夜に、瓢を鳴らしながら
            鉢たたきがやって来た。実はその名は甚之丞という
            男である」

 「月雪や」の解釈であるが、栗山・南の両説とも賛成できない。越人の句は、月光の照り輝く雪路でのスナップ・ショットなのである。すると、次のような意味になろう。
           「月光の照り輝く雪つもる京の道を、瓢簞を叩き、念仏
            和讃を唱えながら鉢たたきが歩いて行く。その一人、
            一番目立つのが甚之丞という歌舞伎役者のような名前
            の男である」
 それだから、芭蕉も、「月雪といへるあたり、一句働(はたらき)見えて、しかも風姿あり」と評価したものと思われる。
 雪の上に立つイケメンの若者を照らし出す月光――こんな情景は、「風姿あり」との評言にふさわしく、そんな情景を創り出すことに成功したのが「月雪」の措辞なのである。

 思いつきや仕立て方が似ているから、ここでは入集を見合わせるが、越人の句は蟻道の句よりはるかによい、というのが芭蕉の評価であった。では、両句はどう違うのであろうか。

        弥兵衛とはしれど憐や鉢叩     蟻 道
        月雪や鉢たたき名は甚之丞     越 人

 蟻道の句は、廻ってきた鉢叩を見て、あれは弥兵衛だと分かっていても、しみじみとした気分になることだ、という意。ただ、この句では「憐(あわれ)や」と、単純に感情を露出させてしまったため、内にこもる情感が浅くなってしまった。
 「弥兵衛」と「甚之丞」、この名を聞いてどんな印象を持たれるであろうか。「弥兵衛」は、市井の老爺を、「甚之丞」は、美男の役者か若衆を連想するが、どうであろう。

 決定的に違うのは、芭蕉の言う「月雪や」という上五である。これが句の味わいに大きく関係している。これは技巧だけの問題ではない。ものをとらえるときの認識の深さ、感じ方の豊かさの差でもある。それが「月雪や」という詞になって出てきたといってもよいだろう。


      骨盤をはしる痛みや空つ風     季 己            

優しい人

2011年12月15日 22時51分15秒 | Weblog
 ――無理してでも行ってよかった。念願の「木原和敏 個展」を観ることが出来たのだ。
 明日から在廊のはずの木原先生が、ニコニコしながら迎えてくれた。体調を気遣ってくれ、先ず休んでから観て下さい、と優しい言葉。
 ついで、「武田さんのブログ読みました。注目の4点てどれですか」と尋ねられた。逆に「先生、当ててみて下さい」と言ったところ、見事に4点とも的中させた。完全に私の好みが分かっていらっしゃる。感激である。
 先生は日展会員で、「内閣総理大臣賞」まで受賞された方なのに、少しも偉ぶるところがなく、素人の私の意見にも、謙虚に耳を傾けてくださる。
 ところで、注目の4点のうち2点は売約済になっていた。残る2点のうちの1点が特に素晴らしい。座右に置いて愛でていたい作品である。
 「木原和敏WEB美術館」(金子さん主宰)で、拡大画像をさらに拡大して、楽しませてもらっていた。それでもやはり、実物にお目にかかりたい一心で、途中、トイレ休憩をしながら「木原ワールド」を堪能させてもらった。
 皆さんに心配をかけてはいけないと思い、帰宅後すぐに『画廊宮坂』へ電話を入れた。ついでに例の作品が欲しいと言うと、「いや、無理をしないで。確かに素晴らしい作品だが、そのお金で世界一周旅行をした方がいいですよ」と宮坂さん。これまた相手を思いやる優しい人だ。
 その後、金子さんが、体調のすぐれない私に観せたい、とお忙しい中、会場風景の写真を撮りに来られたとか。何と優しい人なのだろう。涙が出るほど嬉しかった。金子さん、ありがとう。


      冬ぬくく語りはじめの病かな     季 己 

耐へてゐて

2011年12月14日 22時40分02秒 | Weblog
 ――毎週水曜日は、ボランティアの『日本語サロン』の日。外国人の方に日本語を教える日である。今朝からの「ゲリラ攻撃」の間隙をぬって、拙宅から10分ほどの会場へ行く。
 外国人の方が1名、ボランティアの方が7名見えたので、「失業」を覚悟した。その後3名の方が来られたが、結局、私の出番はなさそうなので、責任者にお断りして早退することにした。もちろんトイレに入ってだ。
 帰宅後も攻撃は止まず、ついに、下痢止めの薬を飲んで、今これを書いている次第。


      耐へてゐてつひに流るる冬の星     季 己

「木原和敏 個展」

2011年12月13日 22時51分21秒 | Weblog
 ――「木原和敏 個展」が、今日から銀座の『画廊宮坂』で始まった。体調がよければ、毎日でも通ってじっくり観たいのだが、神も仏もそれを許して下さらない。
 腰の重だるさは、いくらか良くなったのだが、相変わらず「ウン」につきまとわれている。
 そういうわけで今日は、『画廊宮坂』のホームページで、木原ワールドを楽しませてもらった。全部で11点の出品のようだが、そのうちの4点に特に注目している。作家在廊日の金・土・日の三日間は、何とか通いつめたいと念じている。
 体調はあまり良くはないが、コレクター魂はまだまだ健全である。妹からは、今ある作品を処分して世界一周旅行でもしてきたら、と言われる始末。確かに残されても困るだろう。だが、〈三度の武田〉としては、欲しい作品は欲しいのである。
 木原先生は人気作家だから、注目の4作品も、私が行くころには売約済みとなっていることだろう。嬉しいような、寂しいような、複雑な気持である。


      銀座へと青空をとぶゆりかもめ     季 己 

銀杏降る

2011年12月12日 22時59分30秒 | Weblog
 ――どうしても外せない用事のため、池袋まで出かけた。必死の思いで。
 ガリガリに痩せたためか、尻の肉が落ち、筋肉も衰え、歩くことがこんなに大変なことなのか、と痛切に感じた。
 途中、何とかこらえられたが、目的地に着くやいなやトイレに飛び込んだ。所用中にもまたトイレ。5時20分頃に用事が済み池袋駅へ向かう。アブナイと感じ、丸井へ入り、トイレだけ拝借。
 これだけ〈ウン〉がつくのだからと、バスの待ち時間を利用して、ジャンボ宝くじを購入。
 6時30分頃帰宅したが、その後も、ひっきりなしにトイレ通い。この分だと1等が当たるかも……


      銀杏降る白山上の真昼どき     季 己

冬ざれの

2011年12月11日 22時32分39秒 | Weblog
 ――本日もまた、今日の私の一句のみです。お許し願います。


      冬ざれの青汁にあるブロッコリー     季 己 

冬満月

2011年12月10日 23時10分58秒 | Weblog
 ――体調が一日中すぐれず、今、パソコンの前に座った次第です。今日の私の一句のみ記しておきます。今後も続くかも知れませんが、お許し願います。下痢と腰痛のダブルパンチなのです。


      冬満月諸相ありありうかびをり     季 己

『去来抄』16 月雪や

2011年12月09日 21時43分29秒 | Weblog
        月雪や鉢たたき名は甚之丞     越 人

 『猿蓑』を編集していた時、私は、
    「このごろ、伊丹の作者の句に、弥兵衛とはしれど憐れや鉢叩、という句が
     あります。越人の句を入れるのはどうしましょうか」
と尋ねた。
 先師は、
    「越人の句は、月雪、と言ったところに、創意工夫が見え、しかも全体に
     趣もある。伊丹の作者が平板に、しれど憐れや、と言い流したのとは格
     段の違いだ。だが、どちらの句も鉢叩の俗人の姿をもって趣向を立て、
     俗人のときの名を使って句を飾るという手法は同じだから、やはりこの
     句を入れることは止めた方がよい。越人の句は、また、集に入れる機会
     があろう」
と言われた。


      パソコンの座椅子のきしみ底冷す     季 己

『去来抄』15 続・散銭も

2011年12月08日 22時19分19秒 | Weblog
        散銭も用意がほなりはなの森     去 来

 ――先ず、去来の一句から見ていこう。「散銭」は「賽銭」と同意で、神仏に参詣して奉る銭のこと。芭蕉は、言っていないが、この句の表現で面白いのは「用意顔」であろう。他に類例を見たことがないが、どうであろうか。おそらく、去来、得意の表現であったと思われる。そこで一句は、
        「花盛りの森は、花見の人々で賑わっている。花見のついでに、
         森の中にある神社にお参りしようというのであろう、皆が皆、
         賽銭を用意しているといった顔つき、その用意顔が面白い」
と、いうほどの意味であろう。

 ところが、芭蕉はこの句に対し、不可の評価を下したのである。「はな(花)の森」という措辞がおかしいというのだ。「森の花」というべきだというのである。
 今ふうの感覚から言えば、「花の森」と「森の花」とでは、イメージ的にかなり違った印象を受ける。「花の森」の方が、はるかに華麗である。
 芭蕉が指摘するように、「花の森」なる措辞は、古典作品に見当たらない。芭蕉の姿勢は、徹底して、歴代の俳人たちの必読書であった藤原定家の『詠歌大概』冒頭の「情(こころ)は新しきを以て先となし、詞(ことば)は旧(ふる)きを以て用ゆべし」を遵守しているのである。
 たしかに、新奇な言葉の使用によって、一句のインパクトが増す場合がある。しかし、芭蕉の「詞を細工して……拙き事、云ふべからず」との発言には耳を傾ける必要があろう。新奇な言葉を追うあまり、、内容が希薄になる危険性は大きいのである。

 俳人協会の発行する「俳句文学館」の12月号が今日届いた。その第一面は、俳人協会会員を対象とした「第18回俳句大賞」の結果発表である。
 大賞には、
        道を訊くために花買ふ巴里祭    「沖」 上谷昌憲
が、選ばれた。どうです、新奇な言葉がありますか。上五・中七が「巴里祭」という季語と響き合っています。「何をするにも心が浮き浮きするという華やぎが〈巴里祭〉に出ています。いい感じです」という選者の山本洋子氏の評が、正鵠を得ていると思う。


      寄せ鍋の煮えてメタボの時のあり     季 己

『去来抄』15 散銭も

2011年12月07日 20時49分14秒 | Weblog
        散銭も用意がほなりはなの森     去 来

 先師は、
   「花の森、とは聞きなれない言葉だね。そういう名所でもあるのかな。
    古人も、森の花、とは言っているが、花の森、とは言っていない。
    言葉を細工して、こういうまずいことを言っちゃあいけないね」
と、評された。


      大雪の雪なき宵や雨戸繰る     季 己

 ――今日、12月7日は、二十四節気の一つ、「大雪(たいせつ)」である。年によっては8日、つまり開戦日と重なることもある。また、12月8日は、納めの薬師、針供養なども行なわれる。

『去来抄』14 続・大歳を

2011年12月06日 22時26分33秒 | Weblog
        大歳をおもへばとしの敵哉     凡 兆

 ――このエピソードも、上五の置き方が問題になっている。
 この句、最初は、
        恋すてふおもへば年の敵かな
の句形で、去来の句であったという。
 この一句で理解に苦しむのが、一句の眼目である「とし(年)の敵(かたき)」という言葉の意味内容である。
 従来は、「年の」の「の」は、所属を示す格助詞の「の」、つまり、「私の本」の「の」と同様と考える説がほとんどであった。では「年」とは何か。最も多いのが「命の敵」説。これはおそらく去来自身の言葉、「いまだ身命のさたに及ばず」に着眼したものであろう。
 また、「年来の宿敵」などという解釈もある。これは、芭蕉の「誠に、この一日千年の敵なり」との言に注目してのものであろう。このように「としの敵」、何とも解釈しにくい措辞である。

 変人は、「年の」の「の」を、主格を示す格助詞の「の」、すなわち「…ガ(年が)」と考える。そう訳さないと一句としての文章構成上、不自然だと思う。つまり、「年」を「年齢(老齢)」と解している。
 では次に、「年齢(老齢)」と解して、去来の原句、信徳および凡兆の置いた上五で、それぞれの句の解釈を記しておく。

        恋すてふおもへばとしの敵哉
         「恋をしてしまった私にとって、わが身の老齢が、
          敵のようにいとわしく思われてくる」

        恋桜おもへばとしの敵哉
         「桜が好きで好きでたまらないが、この老齢の身では
          桜狩りもままならぬ。こんな我が老齢が、我が身な
          がらも敵のように思われてくる」

        大歳をおもへばとしの敵哉
         「今日は大晦日。明日になるとまた一つ年齢を加える
          ことになる。若い時はそうではなかったが、老齢と
          なると、我が年齢ながら敵のようにいとわしく思わ
          れてくる」

 以上の三種類の上五の中で、信徳の置いた「恋桜」に対して、原句作者の去来は「あさま(あらわなこと・浅薄なこと)」との評価を下している。自句「恋すてふ」の「恋」は、想念の世界のものなので、老齢でも恋は可能である。事実、歌題にも「老恋」がある。しかし、「恋桜」となると「(山野を行き惑う)桜狩り」であり、肉体的な老いは、致命的となる。ストレートに過ぎ、オーバーでもあるので、それが「あさま」の評価となったものであろう。
 芭蕉が「いしくも(よくもまあ)置きたるもの哉」と面白がったのは、凡兆の「大歳を」の上五であった。その結果、芭蕉は、一句を凡兆の句としてしまった。原句作者の去来としては、意外であり、釈然としないところがあったに違いない。

 ちなみに、「大歳を」の句の一般的な解は、つぎのようなものである。
         「大晦日にはいろいろなことが重なりあって、それを思うと、
          命がちぢまる思いだ。まったく命にとっては、敵のような
          ものだ」


      極月の日を茫々と去来抄     季 己
 

『去来抄』14 大歳を

2011年12月05日 16時32分56秒 | Weblog
        大歳をおもへばとしの敵哉     凡 兆

 この句は、もとは上五を「恋すてふ」と置いた私(去来)の句である。まだ自分の句であった時、私が「この句には季がない」というと、信徳は、
   「それなら上五に、恋桜、と置くがよい。花は風流人の切に心を寄せるものであるから」
といった。
 私は、
   「ものには釣り合いということがある。むかしの文人たちが桜にあこがれ、夜の明ける
    のを待ち焦がれ、日の暮れるのを惜しみ、桜にことよせて人の世のはかなさを恨んだ
    り、花を尋ねて山野をさまよったりしたが、いまだかつて、そのために命をどうこう
    したということは聞かない。だから、上五に恋桜と置けば、かえって、としの敵哉、
    というところが露骨になろう」
と、賛成しなかった。
 信徳はそれでも納得しない。このことを重ねて先師に語ると、先師は、
   「そのへんの作句の微妙なところは、信徳にはわかるまいな」
といわれた。
 その後、凡兆が「大歳を」と上五を置いた。すると先師は、
   「まことにこの一日は、千年の敵のようなものだなあ。よくもうまく置いたものだ」
と大笑いされた。


     冬の服買ひたし腰のまだ痛し     季 己