猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

桐島洋子さんの話に納得

2007年04月06日 | Weblog
作家の桐島洋子さんがテレビで「若いですね、と言われるのは好きではない。歳を取ってゆくというのは、ワインで言えば熟成してゆくことであるから、喜ぶべきである」と言うような話をしていた。

確かに近頃の人たちは「若いことがいいことだ」と考えているのか、しわや白髪を嫌がって髪を染めたりヘアーピースをしたり、化粧品にお金をかけたりしているようである。
それもいいだろうが、外見だけを気にするのではなく、歳を取ることの「良さ」という事をもっと評価すべきだと思う。
経験の蓄積によって、判断力が冴えてきて世の中がますます面白くなってくるのも、歳を取ることの大きなメリットである。
そして、そういう重みが顔や姿に現れてきて味が出てくるのである。

と言うことは、それなりに考えながら歳を取って行けば、いい顔立ちや姿になってゆくが、そうでなかったら嫌な顔立ちで嫌な振る舞いをする年寄りになってしまうのではないだろうか?
それもこれもすべて自分の責任なので、致し方ないことなのである。

残りの人生はわがままに生きたい!

2007年04月05日 | Weblog
世はまさに花見の季節で浮かれている。
自分は、あと何回花見が出来るのだろうか?
そういう考え方をすると、生きるということがあまりにもはかなく思えてくる。
反面そういう見方によって、”後の人生を大切に生きなくては”という気持ちが起こってくるのも確かだ。

考えてみると、今まではこれといった才能もない自分は、経済的には一家を支えてゆかねばならなかったためか、自分を世の中の流れに合わせて何とか生き延びてきた。
しかし、現在は会社という支えもなく完全に自力で生きてゆかねばならないのだから、持って生まれた自分の(僅かな)才能を信じて、大いに自由気ままに誰にも遠慮せずに生きてゆきたいと思っている。

世の中の義理を欠くことになってもいい、あいつはわがままな奴だと思われてもいい、この世に一人しかいない自分らしい生き方を押し通そう。

毎年桜の季節に思うことである。


商売上手のコツは人を楽しくさせること!

2007年04月02日 | Weblog
自分が行く床屋さんはなかなかの商売上手である。

お客の髪型のカルテを作って、いちいち注文しなくても今までどおりに仕上げてくれるので実にありがたい。
そして、若い従業員が皆明るく、その対応が実に気持ちがよい。
なんといっても圧巻なのは、マスターの魅力である。

マスターは物腰が柔らかだけでなく、お客の話を盛り上げて聴きだす能力に秀でているのである。
自分などは、床屋に行くと頭を綺麗にしてもらっただけでなく、気持ちまでがスッキリして帰ってくるのである。

彼は世の中の動きに対して、実に感心を持っているだけでなく「なるほど!」と思うような独自の考え方を持っているのだ。
だからついつい話が盛り上がってしまうし、こちらの考えも話してしまう事が多い。
商売上手というのは、結局は「客がそこに来るのが楽しくなってきて、楽しいからまた来たくなる」ような雰囲気を作ると言うことではないかと思う。

一昔前までは、競争が厳しくなかったためか、例えば喫茶店のウエイトレスは荒っぽく水の入ったコップを置いて「なんにしますか」とふてくされたような言い方をしたものである。
また、タクシーの運転手は近くで降りるとわかると、乗車を拒否したり一言もしゃべらないで、ぶっすっとしていたりで、本当に気分を悪くさせられたものである。

この床屋のマスターのような商売をやっていたら、繁盛すること間違いないと思う。
さすがに床屋(理髪業)さんだけあって「りはつ(利発)な人」である。

日本の風景を取り戻そう!野放図な看板や建築規制

2007年04月01日 | Weblog
名古屋国際空港へ行く道である、知多半島有料道路の広告の看板を規制することになったようだ。
日本は景観にはあまりにも無頓着すぎはしないだろうか?

ドイツの鉄道沿線には看板広告が一切ないし、家の形や色彩そして家並みも揃っていて、気持ちが癒されるのである。
西欧は全体の景観を大切にしているので、家の形や高さや色などかなり規制されていていると思う。
それに引き換え我が日本の新幹線から見た車窓の風景は、看板だらけで自然の風景とがあまりにもマッチしていないと思う。
そして家も個人の自由裁量がまかり通っているので、屋根の色や壁の色が風景となじまないのである。

日本人は個人の自由をあまりにも優先し過ぎてしまっているためか、せっかくの日本古来の風景が台無しになってしまっている。
いかに全体を見てコントロールできない国民かがよくわかる。

将来的に日本の風景をどうしたらよいのかとか、そのためには日本の風土や暮らしにあった家並みをどうするのか、というような全体を考えた俯瞰的なプランがどこかで考えられているのだろうか?