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しょく日記。

三河地方をこよなく愛するしょくが、ささいな出来事から温泉レポ、旅日記、親バカ奮闘記などをつづった日記です。

長篠城址 その2

2010年01月06日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

では、長篠の戦いの最初の激戦地である、

『長篠城址』をご紹介します。

まずは長篠城縄張りです。

宇連川(うれがわ)と豊川(別名:寒狭川)に挟まれ、

また、野牛郭(やぎゅうくるわ)や本丸は断崖絶壁ゆえ

非常に攻めにくい城です。

 

下に見えるのが本丸跡地。まっ平です。

 

本丸跡地に降りてみました。

 

 

こちら、内堀を横から撮影してみました。

ここは他と思うと攻めやすい感じがしますが、

昔と今じゃまたちがうかな。

 

こちらが長篠城址・史跡保存館です。

もちろん入ってきましたが、館内は撮影禁止だったので

写真ありません。すみません。

 

 

長篠の戦で地元のヒーローが鳥居 強右衛門です。

(とりい すねえもん。詳しくはここをクリックしてね。

 

時間のある皆さん、一度歩いてみませんか? 

 

では。

 

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長篠城址 その1

2010年01月05日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

 

またまた東三河の城址巡りです。

皆さん、長篠の戦ってご存知ですか?

織田信長・徳川家康連合軍武田勝頼軍の戦いです。

日本で初めて鉄砲が主に用いられた戦い

言われています。

こちら、織田・徳川連合軍の配置図。

織田信長や羽柴秀吉はずいぶん山側に布陣していますね。

設楽が原の中心は徳川軍って感じがしますが・・・。

これも織田信長と徳川家康の上下関係が垣間見えます。

 

こちらは、武田勝頼軍の配置図。

 

さらに詳しく見るとこんな感じです。

次回、『長篠城址』については、

もう少し詳しく書かせていただきます。 

では。

 

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野田城址 その2

2010年01月04日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。では、後編です。

歴子と進んだ城址内は、

夏にこれば森林浴に最高な感じの場所でした。

冬だと寒い。

こけの感じがいいでしょ。

 

いきなり真っ赤な鳥居が・・・。

 

野田城稲荷だそうです。立て直した感じでした。

古いお社が右側に捨ててあったよ。

屋根は銅板って感じです。(あくまでも個人的見解

 

今回の一押しがこちら。

この先を進むと・・・。

井戸です。

でも、ただの井戸ではありません。

 

解説。

山梨県で金山を掘っていた人たち連れて来て、地中内の井戸水が

湧いてくる場所へ穴をあけ、井戸水が貯まらないようにし、

城内の兵士が水を汲めない様な状況を作った。

水が飲めない城兵たちは降参した。

 

これがその時の井戸。直径で2m位(もっとあったかも)の

大きいものであった。

 

へっぽこな絵で解説すると、こんな感じ。

赤線が武田の金堀衆。井戸のところまで掘ってきて

横っぱらに穴をあけ、井戸水(青線)が抜けてしまう。

なぜか、地道な作業で城を落していく武田軍。

もうすでに、武田信玄の身に何かが起こっていたとも言われている。

一番有力な説は結核にかかっていたため、

軍自体が進めなかったとも。 

その後武田軍は、信濃国飯田(長野県)へ引き返し、

途中で武田信玄は亡くなってしまった。

これ以上の詳しい話は調べてください。

 

と、言う訳で、ここは武田信玄が最後に戦った地でもあります。

地元のお爺さんより頂いた貴重な情報も活用させて頂きました。

その当時のままの井戸を見れて光栄です。

ありがとうございました。

では。

 

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野田城址 その1

2010年01月03日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

 

年末の休み中に、ちょっとマニアックな場所、

『野田城址』へ行ってきました。(嫁仕事故、しばらく父子家庭中。)

野田城址の解説は以下の看板を見てね。

 

 

武田信玄の上京を阻止したと言われる伝説のお城です。

そうです。野田の戦いの時に、武田信玄が笛の音色でおびき出され

鉄砲で撃たれ、この事が元で信玄が亡くなってしまった

言われるきっかけを作った場所です。

(他にも諸説あり。) 

 

 

ではこれから、歴女ならぬ歴子がご案内します。

右しょく家、歴子1号は刀を持ったポーズで、

左しょく家、歴子2号はなぜか敬礼のポーズ

 

こらぁ~。待てぇ~。

では。

 

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徳川家康の旗印 厭理穢土・欣求浄土

2009年11月30日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

今日はちょっと難しいお話を一つ。

 

皆さんは徳川家康の旗印はご存知ですか?

 

今川義元が桶狭間の戦いで討ち死にした時、

今川軍に属していた松平元康(後の徳川家康)は、

尾張の国、大高城でこの知らせを聞きました。

 

使いが3回来るまで今川義元が討たれた事は信じませんでしたが、

(かなり用心深い。最初の方は敵の計略だと思っていた。)

織田軍の追撃を恐れ、その翌日月明かりを頼りに

岡崎の大樹寺へと引き揚げました

 

この頃、岡崎城には今川方の代官がいた為、

元康は遠慮して城には入りませんでした。

 

大樹寺は、三河統一を成し遂げた祖父の松平清康が建立した、

ある松平氏の菩提寺です。

 

周囲を織田軍囲まれ、前途を悲観した元康は、

祖先の墓前で自害しようと決意します。

そのとき、大樹寺の住職が言いました。

『厭離穢土(おんりえど)・

 欣求浄土(ごんぐじょうど)』指し示し、

争いで穢(けが)れた国土を、

住みよい浄土にするのがあなたの役目と説得し、

松平元康の切腹を思いとどまらせました。

それ以来、この言葉が徳川家康の旗印となりました。

(前説が長くてすみません。)

 

もう少し簡単に言うと、

「私利私欲のための戦いで穢(けが)れた土を厭(いと)い離れて、

永遠に平和な浄土を願い求めて、それを成す」という意味。

 

本物はこんな葵の御紋なんで付いていません。

真っ白な旗に黒字で書いてあるだけだったと記憶します。

 

で、これ800円した手ぬぐい。

僕は気に入っていますが、やっぱ高いですかね。 

では。

 

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浜松城内は原画の宝庫化になっていた!!

2009年11月29日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

タイトルにも書いてありますが、

ここで浜松城内の様子をお見せします。

この期間だけだったようですが、

マンガ『センゴク』の作者

宮下英樹さんの原画が展示してありました。

(ちなみにしょくは知りません。

 

左上の原画は本多忠勝や榊原康政が描いてありますね。

あとは徳川家康が描いてあります。

 

 

しょくが大好きな武将、武田信玄じゃありませんか。 

 

他にもこんな感じの物がたくさん展示されていました。

浜松城と言えば、三方ヶ原の合戦は外せませんから。

でも、もうこれ終わっていますので、

blog見てから行っても手遅れです。 すみません。

 

個人的には、その時代の資料などが飾ってあるのが希望でしたが、

こういうものもたまにはいいのかな。

では。

 

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浜松城へ登城!!

2009年11月27日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

浜松市にはよく行くのですが、

浜松城に行ったことが無かったしょく。

戦国ブームに乗っかって、浜松城へ行ってきました。

 

これ、浜松城公園の地図です。

       (リンクあり)

ここで情報を一つ。

浜松市立元城小学校の上に書いてある

駐車場、無料なんです。

行かれる方は是非ご利用ください。

ホテルコンコルド浜松の正面にあります。

 

 

若き日の徳川家康公。

29歳~45歳までの17年間、浜松城で過ごしました。

浜松で過ごした有名な出来事としては、三方ヶ原の合戦があります。

武田信玄と戦い、敗れて浜松城に逃げ帰った時、

全ての城門を開け、城門にたいまつを盛大に焚き、

「相手にどうぞ入ってください。」という

空城の計詳しくはここクリック。)を仕掛けた。

武田軍が逆に警戒し、

城攻めをせず退却したという話もあります。

 

かの有名な軍師、諸葛亮孔明もこの計略を使っております。

しかし、この計略は諸刃の剣(もろはのつるぎ)的計略であるので、

余りお勧めできない計ですね。

 

紅葉がきれいでしたので、一枚パチリ。

 

 

先頭にもありましたが、浜松城天守閣です。

現在工事中だ。

わざと撮ったのですが、この写真、やはり行けてませんね。

 

こちら、なんでしょうね。

       

       

 

       

 

       

正解は井戸水でした。

籠城する場合でも、水の確保をしていたようです。

 

こちら、浜松城天守閣です。 

天守閣って意外と狭いんです。

 

これ、浜松城内で貸してくれる刀と兜。

さっそうと借りて写真撮影だ。

下の子には、短刀でも長すぎます。

笑えました。

あと2回ほど、浜松城の続きをやらして下さい。

今回個人的にはものめずらしさがあったけど、それ以外で幻滅した、

浜松城内の展示物を紹介します。 

では。

 

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大垣城へ出陣だ!!

2009年09月12日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

今日デジカメの修理見積金額の電話がありました。

約35,000円也。

車でいえば、全損ってところですね。

かなりテンションが下がりました。

 

流石にこの金額なら修理はやめます。

新しいのを買おうと考えています。 しかし、ショックだな。

 

さて、関ヶ原を見たしょく一行は近くの大垣城へ。

 

若干ショックだったのは、

よく見ると大垣城の天守閣の窓

サッシなんです。 そりゃないよ。

 

江戸時代初期の頃の大垣城図。

川や堀に巡らされて、なかなか攻めにくいお城ですね。

さらに規模も大きく感じます。

 

途中写真も撮らずに見学してしまいました。

かなり自分の世界に入ってしまった。

これ、天守閣内の様子です。

 

大垣城のパンプレットです。興味のある方は見てください。

 

参考までに。

高校生以下無料、それ以外の方は100円と、

かなり安いのも魅力的でした。

 

では。

 

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撃沈!! 関ヶ原の戦い!?

2009年09月11日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

元々戦国時代が大好きなしょく。

その影響が子供にも出ていまして。

せっかく養老まで来たので、関ケ原の戦いがあった場所を

見に行くことにしました。

そしてここが関ケ原古戦場決戦地です。

 

りっぱに撮れていますよね。

しかし、ここで悲劇が…。

オイラ、デジカメ落してしまった。

デジカメはここで討ち死です。

(電源入れても蘇りませんでした。)

 

現在エイデンへ修理に持ち込んでいますが・・・。 

まだ治りません。

 

えー、左側は、石田三成が愛用した「大一大万大吉」 です。

「一人が万民のために、

万民は一人のために尽くせば、

天下の人々は幸福(吉)になれる」という意味だそうです。

まさに豊臣思いな三成らしい言葉を選んだ感じですね。

右側は皆さんご存じ、徳川家の「葵の御紋」です。

 

我がご先祖様は松平家譜代家臣であります。

自動的に徳川家になるんですけどね。

 

私が住んでいる安城市は、元々松平家ゆかりの地も多く、

松平宗家(安祥松平)をはじめ、桜井松平家(安城市桜井町)、

藤井松平家(安城市藤井町)、福釜松平家(安城市福釜町)と、

とにかく松平家にゆかりがある土地なのです。

家の近くには松平宗家があった安祥城址もあります。

なので完全にオイラは徳川びいきですよ。 

 

話が横にそれました。すみません。

で、関ヶ原決戦地からさらに西に400mほど行くと、

石田三成が陣を引いた、「笹尾山」があります。

笹尾山の麓がココ。 

 

尾山を登ってみました。

いやー、疲れました。

気分も ですので、余計。

関ヶ原を遠くまで眺めれる場所でした。

いい場所に陣はひいたんだけどね。

人望がなかったので、味方を真の味方につけれなかった分、

負けてしまったね。

もう少しじっくり見たかったけど、

他の家族はもう歴史の事はお腹いっぱいだったようで、

やもなく関ヶ原を後にしました。

次は関ヶ原の戦い前に出てくるお城です。お楽しみに。 

では。

 

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東海道松並木

2009年04月15日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

 

やっと花さんに見せる事が出来ました。

安城市の旧東海道松並木です。 

 

ここ、安城市尾崎町。

安城市では旧東海道の一番東にあたります。

 

尾崎町熊野神社周辺から、知立、名古屋方面を眺める

 

尾崎町熊野神社周辺から、岡崎、豊橋方面を眺める

この辺りは尾崎町の郷よりちょっと離れた感のある場所です。

この辺りはまだ道が広いんですが・・・。

郷中に入ると、車がすれ違うには

ちょっとえらいんじゃないか

(「大変ではないか」という意味)という道幅しかありません。

その割になぜか

道の真ん中にオレンジの線が・・・。

 

 

熊野神社前にある、一里塚跡です。

当時のものはいずこへ・・・。

 

昔は鎌倉街道でもあったんですね。知りませんでした。

しかし、鎌倉街道のルートがいまいち読めないしょくです。

西別郷町→山崎町→大和町桑子

それらしい道があった事にびっくりです。

 

安城市浜屋町と東栄町の境位です。 

この辺りはしっかりとした松並木ですね。

 

東海道松並木の会の方、ご苦労様です。 

 

 

そして急にワープする感じになりましたが、

知立市来迎寺町の一里塚です。

 

さすがに全部の並木道はご紹介出来ませんでしたが、

ちょっとだけ誇れる街道でした。

 

P.S

この辺りで一番立派な松並木は、現愛知県豊川市御油町にある

御油の松並木です。

気になる人は探してみてね。

 

では。

 

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第一岡崎海軍航空隊

2009年04月13日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

ちょこっとぶらぶらしていたら、こんなものを発見してしまった。

昔聞いた事あったけど、ここなんだと感心しました。

 

『第一岡崎海軍航空隊』

今回写真大きさは、gooで取り込める容量により近付けた

大きさにしております。 

もっと詳しく知りたい方は写真をどうぞ!!

 

 

親などには、

『三菱自動車岡崎工場の近くに、零戦が離着陸する飛行場があったんだよって

言う話を聞いていたのですが、

はっきりした場所を確認できたので、ちょっとスッキリ。

 

 

 

戦争が来ないことを祈っております。

頼むぞ!!北朝鮮。 

では。

 

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甲冑で結婚式はいかが?

2009年01月16日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

あーあ。明日仕事なんだよな。嫌だけど、頑張ります。

 

ちょちゃんから甲冑をつけての結婚式情報をGET。

ちょっと載せちゃいます。

徳川 家康

家康さんはもう一種類、甲冑もあるのですが、

徳川家康と言ったらこの兜ですね。お見事です。

 

 

武田 信玄

この武田信玄もよく復元されている。

信玄大好きなしょくとしては、これつけてやりたかった。

 

織田 信長

若き日の織田信長の甲冑ですね。

火縄銃を知った彼はその後、

火縄銃の弾が貫通しない甲冑に変わりました。 

 

伊達 政宗

東北の英雄、独眼流政宗です。

五月人形でも人気がある武将です。

 

 

福島 正則

ちょっと2流な武将ですね。

豊臣秀吉に育てられた賤ヶ岳の七本槍武将の一人。

関ヶ原の戦いでは、東軍(徳川家康)につき、

勝利を呼び込む戦ぶりでした。 

 

直江兼続

NHKの大河ドラマ、「天地人」の主人公です。

上杉謙信の家臣であり、兜に「愛」の文字を掲げた人物。

歴史に詳しい人は知っていたと思うが、

大河ドラマで全国区になってしまったね。

 

最後のこれは…。

なんかぺっぽこ足軽武将って感じだ。

 

武田家家臣、飯富 虎昌(おぶ とらまさ)や

山県 昌景(やまがた まさかげ)が赤備え(あかぞなえ)と称して

朱色の甲冑部隊を編成したのが始めだよね。

赤備えは特に武勇に秀でた武将が率いていた事が多いので

赤はいい色なんだよね。

他には、井伊直政や真田幸村も赤備え部隊を編成していたけど、

ここではこれ以上詳しい話は長くなるので避けます。

 

甲冑の詳しい事は 

丸武産業の楽天市場に出ている内容を見てね。

丸武産業のホームページも参考にしてね。

では。

 

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山本勘助生誕の地から香月堂アウトレットまで

2008年05月02日 | 歴史
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こんばんわ、しょくです。

皆さん、以前NHK大河ドラマでやっていた山本勘助覚えています

今回嫁さんとぶらり旅をしたのですが、山本勘助生誕の地と言われる

マニアックな場所へ行ってきました。

それも今回行くつもりはなかったのです。

たまたま道を走っていたら見つけただけです。

すっごく狭い道でした。

写真右奥の道から来たのですが、よく見ていないと

木で石碑が見えません。 行き過ぎたし。

ずいぶん淋しいところでした。

詳しい事は写真を読んでね。

 

今回の目的地はここでした。

香月堂アウトレット。

バウムクーヘンなので出る くず を安く販売しています。

私何度もご利用させて頂いております。

ただ、ここ午後からオープンなので、勘助ちゃんは時間つぶしです。

11時半頃ついたのですが、もうすごい行列でした。

購入後もこんなに並んでました。

 

最後にポンポコラーメン買って帰りました。

 

P.S このネーミングのお店ってどう思います?

    武田信玄つながりなら分かりますけど・・・。

では。

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安城合併の歴史から小さな歴史遺産「七つ井」まで

2008年04月09日 | 歴史

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こんばんわ。しょくです。

 

今日は珍しくまじめな歴史のお話です。

私の住んでいる安城市はいろいろな町村が合併して出来ました。

安城合併の歴史は以下の通りです。

 

①1906年(明治39年)5月1日

  安城村・里村・箕輪村・福釜村・赤松村・今村・古井村・平貴村と、

  長崎村篠目

  碧海郡安城町が誕生 

②1952年(昭和27年)5月5日

  碧海郡安城町が市制施行。安城市誕生へ 

③1955年(昭和30年)4月1日

   碧海郡明治村の一部(大字東端、根崎、榎前、和泉、城ケ入、石井)

   碧海郡依佐美村の一部(大字井杭山、二本木、高棚)

  安城市に編入 

④1960年(昭和35年)1月1日

   岡崎市の一部(尾崎、柿碕、橋目、宇頭茶屋、河野)

  安城市に編入 

⑤1967年(昭和42年)4月1

   碧海郡桜井町

  安城市に編入 

 

このように合併を繰り返して大きくなった安城市。

なので合併以前(かなり前だけど)私が住んでいるところはが、

安城の最南端地域でした。

 

その安城南部の古い井戸の話がこちらです。

       『 七 つ 井 』

その昔、安祥城二代当主 松平 長親(松平家では 五代目)

茶道で使う水を求め、安祥城近くの綺麗な湧き水が出る井戸

七つ選び、その名が付きました。

 

安祥城は歴史の詳しい人ならわかりますね。

織田信秀軍(織田信長の父)と今川義元軍が戦った

安祥合戦(安城合戦とも言うみたい。)の記録があります。

家康四天王の一人、本多忠勝の

本多忠高が戦死した戦いでもあります。(分かりにくいかな

でも、 市の文化財指定を受けていないと思われます。

なんてったって、うちの近くの井戸なんて跡形も有りませんから。

僕が子供の頃、ある会社の倉庫が出来たときに埋められてしまいました。

石碑も何処へ行ったのやら。

子供でありながらかなりショックを受けました。

うちに井戸あるから、たぶん埋められたここと同じ水脈かなとは

勝手に思っています。 

ささいな歴史物ですが、

こういうのも大切に残して欲しいものですね。

 

あなたの町の小さな歴史遺産何かありますか?

では。

 

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孫子の旗 『風林火山』

2007年04月01日 | 歴史

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どもども しょくです。

 

NHKの大河ドラマ風林火山も盛り上がってきました。

私の尊敬する武将は武田信玄。

(徳川家康もご先祖様の影響で好きです。

 ご先祖様は徳川家康のおじいさん、松平清康の時

 仕えていた記録があります。)

 

脱線しましたが、こんなものをblogに載せます。

そう、『風林火山』の旗です。

布の大きさは、縦約150センチ、横約50センチ。

ナイロン製です。結構大きいです。

旗さし部分を入れるともう少し大きいです。

 

おまけ。

これも購入しました。

こちらの絵皿は小さいですよ。

では、

 

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