★ 。・。・゜♪゜・。・。★ つけ句あそび575交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ つけ句あそび575交心v13r081505
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すむ空にさやけく添いしあきの雲
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> ふるさとに初秋の風ちぎれ雲 ☆♪~夢~♪☆
はぐるることもなくて漂う 仁
すむ空にさやけく添いしあきの雲 仁
こころなごみのふるさとの山
凡愚老仁はずーっと鄙暮らしで古里を離れたこともないのですけれど、やはり古里は好いですね。居心地がよすぎて怠け者になってしまいますけれど・・・齢と共に古里が広がっていっているようです。東の女山ゾヤマもその北の耳納連山も筑後川も、その西の背振の山々もその南の有明の海、普賢岳も四方見渡す限りが古里の山河になりました。その山河のど真ん中の田畑のひろがる平野が産土なんです。
若い頃はそんな山河が見えていなかったのに、今では、その山河の息遣いまで感じるようになっているような気がします。この日本がまるまる古里と感じられるまでに古里が広がるようになるとHappyでしょうね。
月山は遠い憧憬の古里です。
> 雲の峯幾つ崩て月の山 芭蕉
☆☆☆ 夢さんの『 月山にまだ雪がありました。 』 へのつけ句交心です。 ☆☆☆
上は、夢呼さんへのつけ句交心です。交心に心が躍動するともうなりきり芭蕉さんになって念は自ずと月山を遊泳しているのでした。
家に病み居成りの旅を遊泳す内は月山外は筑後路 仁
月山は標高1984㍍の雪渓の残る山だそうです。現代人は夏スキーを楽しみますけれど、芭蕉さんの時代には登頂するのも大変なことだったのでしょうね。今の凡愚老仁が登ったとすれば途中で死んでしまうでしょう。平地でも2時間歩くのも難しくなっています。もう旅のできない躰になっているんです。
若い頃には若年退職をして奥の細道だけではなく日本行脚するのを夢見ていたものでした。再雇用までして働いて、古稀を迎えたら歩行困難な躰です。ままなりませんね・・・
竜胆や夢よ異時空駈け回れ 仁
足跡辿りなりきりの旅
≪ 八日、月山にのぼる。木綿しめ*身に引かけ、宝冠*に頭を包、強力*と云ものに道びかれて、雲霧山気の中に、氷雪を踏てのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入かとあやしまれ*、息絶身こごえて頂上に臻れば、日没て月顕る。笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待*。日出て雲消れば、湯殿*に下る。 ≫ 。。。奥の細道
「息絶身こごえて頂上に」着いたんです。やっぱり芭蕉さんは凄い。命懸けですね・・・このパッションは何なのか・・・
坊に帰って、阿闍梨に頼まれたので三山順礼の句々を短冊に書いたのでした。雲霧の中を息も絶え絶え身も凍えて頂上に着いたんです。頂上に着くと雲霧が晴れて月が見えたと書いています。月夜になったわけではないでしょうね。着いた感動の中で瞬間的に見た月は言葉に尽くせないでしょう。六日の月です。まもなくまた雲霧の中に隠れます。この時代もう山小屋があったんですね。今と同じ処にあったといいます。でも寝袋は持って行っていないでしょう。笹を敷き、篠を枕にして一夜を過ごしたと書いています。寒くて眠れないでしょうけれど・・・
> 雲の峯幾つ崩て月の山 芭蕉
雲霧の間に見るあゝ月の神
雲霧に死ぬ思いを味わった芭蕉さんはこの月山という山は雲が積み重なって凍ってできた山じゃないのかと思ったのでした。だから遠くから見ると雲のように穏やかだけれど中に入れば立ちはだかる雲の壁、吹きすさぶ嵐です。崩れては起ち、起ちては崩れる雲の重なりです。そのしばしの間に月を観たのです。神を観た、そう思わざるをえません。
遙かなる陸奥夢路月の山 仁
往くは髑髏か還るも髑髏
心に髑髏抱き旅せん
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