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草臥れし吾にも靡け女郎花
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言葉遊びで一休さんの真似をすることが面白くて、一休さんの詩を辿っていると、知らない世界が次から次に展開されていって、知らない言葉もいっぱい知ることができて、その上、その時自分はどう考えて、どういう行動をするだろうと想像すると、今まで体験もしたことのない世界ですから、つい夢中になってしまいます。
初めてであった一休さんの道標さんたちが凡愚老仁には驚異の人たちです。その人たちのことを知るだけでも異次元体験の面白さがあるんです。今さらながら人間のすごさに感動してしまいます。
その知る楽しみだけでも十分三昧できるんですけれど、知ったことと言葉を遊びのツールにして、凡愚老仁の言葉遊びの世界を作りだそうと思い立ってしまったんです。
読書歴のほとんどない凡愚老仁の浅薄な理解力では、一休さんの根源には到底迫れるものではないので、学問的な関心はないので、遊んでしまうんです。
言葉遊びで一休さんの詩を遊ぶなんて、噴飯物どころか、その不遜さを断罪されるのかもしれませんが、鄙の瘋癲老仁の呟き妄想だと看過もしてもらえるでしょう。
『瘋癲老人日記』という小説があったようですけれど、妄想遊戯で一休さんの極めた至福の愛も遊んでみたいと念っています。
草臥れし吾にも靡け女郎花 仁
丘手媚連色和礼尼毛菜眉希雄水寧愛偲 仁
草臥れて、丘に坐りこむと、
媚びるような色を連ねて
誰かが手招きしているよ。
菜のような眉毛の尼が
和みの笑みをたたえて礼をする。
希望の光だ。。
だが、わたしは睡りに落ちた。
目が覚めると、傍らに、
女郎花が風にそよいでいる。
起死回生の妙を恵めよ
森女さんに、一休さんは弥勒菩薩さんの実存を観たのでした。
凡愚老仁は女郎花さんに、幻の女人を夢見たのでした。
★★★ 青のくさみ「森女」遊泳0203『 地獄をも天国にせよパラダイム 』wq05 への交心です。 ★★★
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ただ言葉色なき風に遊ばする
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遊呼さん、いつも交心ありがとうございます。
同じ言葉で、人は、違う世界を語っていることも多くあるんですよ。
夫婦だって50年連れ添っても相通じないことがいっぱいあるのですからね。言葉は生き物ですけれど、その発した人の心の反映なんです。心はスタンスの表明ですけれど、スタンスを必ずしも正確に語ってくれるものでもありません。まして言葉はその時その時の情の有り様でニュアンスも意味も違ってくるんですよ。その上自意識の計らいが入るから、その時の内実は、その言葉を使った本人さえ確認できにくいものになってしまうこともあるんです。けれど言葉が形で残されると、1+1=2と同じ働きをします。言葉が証拠として裁きの材料になるんです。訴訟社会になって人は言葉を恐怖していく風潮さえはじまっています。
そんな中で人を根源的に理解することはとても難しいことなんです。
言葉を超えて共鳴共振するスタンスの確かめ合いをするのが公案なのでしょうね。そこで確かめ合ったスタンスで実際どう生きぬいていくのかを具体化していくのが聖胎長養なのでしょう。
一休さんの<純老、天然、殊勝を憎む。>を、どんなスタンスで真似して生きていくのか大切なことだと念っています。
一休さんは、ただ、超糞真面目ですから、凡愚老仁に真似できることではありませんけれどね・・・
つまるところは凡愚老仁はただの言葉遊びを楽しんでいるだけなのですから、真偽是非のらち外にあることも、忘れないでくださいね。
ただ言葉色なき風に遊ばする 仁
言葉の軽さ身をも浮かする
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