イコールの橋 くれはやし・しゅん

生きていくことの大切さを多くの若者に伝えたい!
そして、一緒に平等の橋を渡りたい・・・。

パンの講習

2012年05月31日 | 身辺雑記篇
広川町のあたりやにて、ドライイーストを使ったパンの講習
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ラーメン屋

2012年05月20日 | 身辺雑記篇
ログハウスのラーメン屋さん、輪喰(わくう)久留米市北野町
0942786787
大牟田から移転した
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大分日出

2012年05月12日 | 身辺雑記篇
響灘に面してバラ園が広がる
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由布岳

2012年05月12日 | 身辺雑記篇
いつ見ても、よい山だ
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妻と出かける

2012年05月12日 | 身辺雑記篇

現在、

現在、高速道路

移動中

大分の、大神ファームという

ところの

バラ園に向かっている。

日出の山の中にある。

2回目。

快晴

よっしゃ

 

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中富記念くすり博物館

2012年05月08日 | 身辺雑記篇
鳥栖にある
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太宰府天満宮にて

2012年05月08日 | 身辺雑記篇
仕事です。
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星の王子様

2012年05月08日 | 身辺雑記篇

1本のバラの花のために、

あるいは、1本のバラの花の大切さを知ったゆえに

星の王子様は、生まれた星に帰ります。

妻が、最近、バラの花をよく庭に植えます。

庭といっても、猫の額ほどの我が家の土地では、

いたしかたなく、鉢植えなどを楽しんでいるのですが

妻がバラを鑑賞などしなければ、

一本のバラの美しさにも、

気づかなかったかもしれませぬ。

還暦間際になって、

咲いている桜の花が美しいのではなく、

咲いている桜の花を美しいと感じる心が美しいのだと、

初めて理解できました。

ひとは、そんな単純なことに気づくまでに、

人生の大半を費やするのだ。

心の花、眼ある花々、天上の花・・・・。

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白玉屋新三郎商店

2012年05月04日 | 身辺雑記篇
八代で白玉とわらび餅をば食べる
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水俣ローズフェスタ

2012年05月04日 | 身辺雑記篇
薔薇の匂いに包まれた
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今、水俣へ

2012年05月04日 | 身辺雑記篇

高速

宮原

インターにて、

水俣のローズフェスタへ

妻と移動中です。

評価はのちほど、

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四ツ山灯台

2012年05月03日 | 身辺雑記篇
500ワットハロゲン球、光力は23万カンデラ
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たけのこ

2012年04月26日 | 身辺雑記篇

今年の春は

たくさん、もらいました。

しかも、ゆでてもらって。

うちは、いま、じゅうそうがないので、

お米を入れて、煮ています。

堺にいる娘にもおくりました、黒猫で。

季節の旬の野菜や根菜をいただくのは、

とても、うれしいですね。

感謝しています。

孤独ですが、たけのこをくれる

友人はいます。

ありがたい。

60歳になって、やっと他人に感謝できるようになりました。

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生きてます

2012年04月23日 | 身辺雑記篇

ブログの更新がないから、死んでたと思いましたと

道端であった友人が言いました。

昔、映画がありましたが

どっこい、生きてる。

いま、人吉に向かっています。

宮原サービスエリアのPCで打っています。

60歳に近いと常に

死ぬことを考えて生きているのは、

間違いがありません。

この間、散髪に行きました。

あと、何回生きている間に

床屋にくることができるだろうか?とか考えています。

まあ、死生観が固まりつつある、というところでしょう。

また書きます。

 

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往生できるのか?

2012年03月28日 | 身辺雑記篇

吉本が死んだ。

たかが人の死だ。たいしたことはない。しかし、やはり、人は死ぬんだ、ということを

改めて、吉本から学んだのだった。

「廃人の歌」から始まった私の吉本遍歴も、これで終わりだ。

私自身の「固有時」も、あと10年で、火葬場で崩壊する?

親鸞・・・悪人正機説は、いかがなものであろう。

親鸞を「解釈」の世界にひきずりおろすのか、それとも、

親鸞の宗教的センスを信じて甘露の土産に涙するのか?

*悪人正機説の、根本は、親鸞がつきつけた

「あなたは、悪人ですか? 善人ですか?」という問に、

いかに応えることができるか?ということにつきる。

悪人と答えれば、偽善。善人と答えれば、これまた偽善。

往生をばトグルために、「善人」とこたえれば、これまた悪人。

往生をばトグルために「悪人」とこたえれば、これまた善人。

善悪のあわいのただ中にあって、またそのねじれををば、超越できない

ぼんのうぐそくの我らの実存を認識する力、これこそが、親鸞の浄土に向かう

易行である。

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