『運命の法則』を読む02
<第1章 共時性の法則
宇宙には、目に見える物質的な秩序の背後に、目に見えない「精妙な秩序」が存在する。これは、日常生活の中で、「共時性」として観測できる。その「精妙な秩序」の法則性を見いだせば、「運命の法則」にアプローチすることが可能になる。>
<【共時性】・・・同じ意味を持つ、ふたつあるいはそれ以上の、因果的に無関係な出来事の同時生起>
「目に見えない精妙な秩序」と「あの世」を重ねて、膨大な宇宙生成の源泉が想定される。TAOの根源と重ねて理解できる。生の次元で云えば<空即是色を生きる>スタンスだろう。はじめっから根元的生の探求エリアへ拉致されたような感じだが、これを日常の次元で検証しようというのだから、天外さんらしい大胆な問題提起だ。
愚仁、、老仁、廃仁が新仁として蘇生するためにはこのエリアを通過しなければならないという必然性みたいなのは昔から感じていたのだが、無知のまんま、ワープされた次元から発想したり、放言したり、行動してきたりしていたので、それは唯我独尊の破天荒だったり、その昔くれはやししゅんさんに「観念肥大症候群患者」と揶揄・断罪されたエリアだった。そこを、あのころ、本気で、愚仁として、生きていたら、つまりは空即是色を生きていたら、今では共時性の時空を自在に語れたことだろうとちょっと悔しい思いもする。幻視したが、生きなかった老仁となってしまった。幻視して、そのビジョンを生きた人たちは数知れず。いま、身近に、そんな人の一人として、くれはやししゅんさんを見ることができ、感受できるのはとてもハッピーなことだ。
変身 譚 春秋
もっとそれを感受しながら、「共時性の法則」を日常の中に見つけ出していこうと考えている。愚仁の放談は観念肥大症候群現象のひとつだから、しゅんさんからは辟易されるだろうけれど、それどころか、同レベルに失墜させられると拒絶・糾弾されるかもしれないけれど、廃仁の妄想裡のしゅんさんを引き合いに出させてもらいたいと願う。
これは実際のくれはやししゅんさんではありません。愚仁の妄想・フィクションとしてのしゅんさんです。という前提を表明しておきたいが、混乱を招かないように、これから語る妄想のくれはやししゅんさんを愚仁は、以後、<新暁>さんと呼ぶことにします。
鬱の魔窟から日常を見ると日常世界が魔界に見えてくる。かって類人猿であった地球人が現生人類になった謎が、今の現生人類が新生人類に変貌していく謎として見えてくることに通じるのかもしれない。共時性を生きる新生人類はもうすでにじつぞんしているのだ。
老仁は妄想でしかその存在に出逢うことができないので、<新暁>さんを妄想していこう。
<第1章 共時性の法則
宇宙には、目に見える物質的な秩序の背後に、目に見えない「精妙な秩序」が存在する。これは、日常生活の中で、「共時性」として観測できる。その「精妙な秩序」の法則性を見いだせば、「運命の法則」にアプローチすることが可能になる。>
<【共時性】・・・同じ意味を持つ、ふたつあるいはそれ以上の、因果的に無関係な出来事の同時生起>
「目に見えない精妙な秩序」と「あの世」を重ねて、膨大な宇宙生成の源泉が想定される。TAOの根源と重ねて理解できる。生の次元で云えば<空即是色を生きる>スタンスだろう。はじめっから根元的生の探求エリアへ拉致されたような感じだが、これを日常の次元で検証しようというのだから、天外さんらしい大胆な問題提起だ。
愚仁、、老仁、廃仁が新仁として蘇生するためにはこのエリアを通過しなければならないという必然性みたいなのは昔から感じていたのだが、無知のまんま、ワープされた次元から発想したり、放言したり、行動してきたりしていたので、それは唯我独尊の破天荒だったり、その昔くれはやししゅんさんに「観念肥大症候群患者」と揶揄・断罪されたエリアだった。そこを、あのころ、本気で、愚仁として、生きていたら、つまりは空即是色を生きていたら、今では共時性の時空を自在に語れたことだろうとちょっと悔しい思いもする。幻視したが、生きなかった老仁となってしまった。幻視して、そのビジョンを生きた人たちは数知れず。いま、身近に、そんな人の一人として、くれはやししゅんさんを見ることができ、感受できるのはとてもハッピーなことだ。
変身 譚 春秋
もっとそれを感受しながら、「共時性の法則」を日常の中に見つけ出していこうと考えている。愚仁の放談は観念肥大症候群現象のひとつだから、しゅんさんからは辟易されるだろうけれど、それどころか、同レベルに失墜させられると拒絶・糾弾されるかもしれないけれど、廃仁の妄想裡のしゅんさんを引き合いに出させてもらいたいと願う。
これは実際のくれはやししゅんさんではありません。愚仁の妄想・フィクションとしてのしゅんさんです。という前提を表明しておきたいが、混乱を招かないように、これから語る妄想のくれはやししゅんさんを愚仁は、以後、<新暁>さんと呼ぶことにします。
鬱の魔窟から日常を見ると日常世界が魔界に見えてくる。かって類人猿であった地球人が現生人類になった謎が、今の現生人類が新生人類に変貌していく謎として見えてくることに通じるのかもしれない。共時性を生きる新生人類はもうすでにじつぞんしているのだ。
老仁は妄想でしかその存在に出逢うことができないので、<新暁>さんを妄想していこう。