★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 瘋癲老仁妄句 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ 瘋癲老仁妄句zqr1607
――♪♪♪―――――――――――――♪♪♪――
和らぎのハート翔ばして花野行く
――♪♪♪―――――――――――――♪♪♪――
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ありがとうございます。
> あなたが自分の<独りであることを感じはじめるとき
他人というのはあなたの心マインドから完全に落ちている
それはもうあなたの夢に影を落とさない
それはもうあなたの純粋性に触れてこない
そうしたら、あなたは自分自身にハッピーだ
あなたは自分自身に恍惚としている
あなたは自分自身を楽しんでいる
いまや、生まれてはじめてあなたは自分の実存と
そして自分の非実存と同調している
あなたは<全体>だ
いまならあなたは愛することができる
いまなら愛は流れることができる 。。。パグワン『TAO』p398L05
恍惚と漂うごとし吾亦紅 仁
風に吹かれて吾も恍惚
和らぎのハート翔ばして花野行く 仁
相依る虫とハグハグ一会
以下、 【 転載 】 です。
★ 瘋癲老仁妄詩25-01hsr1301
もう、すっかり、酔芙蓉さんが消えてしまいました。
少し無惨な姿で、枯れた花が残っています。自分の姿を見るようで、ちょっとつらくなるのですけれど、車窓から挨拶送ります。
そうだね、もう、誰も振り向かない方がいいよね。
北風に晒されて、水気も栄養も抜き取られる前に、伐採されて、根っこだけで冬を越すのでしょうけれど・・・
また、春に逢おうね。
また、仁と遊んでくださいね。
燃え尽き症候群にならない前に剪定してくださいね。
それにしても、今年は、また、いっぱい、酔芙蓉さんと遊びました。
酔芙蓉さんは、ひと日ひと日を、せいいっぱいに燃えてくれました。命の切ない燃焼の中から、愛呼が誕生して、今では、自遊に、どこにでも現れるようになりました。
命の燃焼。
そして、命の反復。
愛呼とあそぶということは、今を、燃焼することだったんです。
無為を享受することだったんです。
だから、愛呼は、
酔芙蓉さんから湧いて出て、
今では、草さんからも、
虫さんからも、空さんからも、湧いて、現れてくれるんです。
わたしという現象は、ひとり遊びの中では、愛呼という現象に変わっていくこともできるようになるのでしょうね。
わたしが愛呼になり、愛呼が蜂になり、蜂が花になり、花が星になり、星が波になり、波が光になり、光が闇になり、闇があなたになり、あなたがわたしになり、わたしが風になり・・・
わたしが、もう、わたしであることさえ必要でなくなっていく終の世界へたゆたっていくのを感じます。
春を待つという酔芙蓉さんの眠りに入っていくような遊びを見つけているのかもしれませんけれど・・・
あるいは、もう、ずっと冬であってもいいよ、
という心象を彷徨っているのかもしれません・・・
以上、 【 転載 】 おわり。
> 恋人たちが出会うとき
必ずそこには誰もいない
ふたりの”誰でもない人”はふたりではありえない
どうしてふたつの<無>がふたりであり得る?
<無>には境界線なんかない
<無>とは広大なひろがりそのもののことだ
ふたりの<無>はひとつになる
が、ふたりの”誰かさん”はふたりのままだ 。。。パグワン『TAO』p087L05
ない混ざり新しくなれ秋の蝶 仁
愛呼も吾も命光合
酔芙蓉面目坊が見え隠れ 仁
無事が何より笑って和め
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 青柳仁リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★★★ 瘋癲老仁妄句zqs1403『 酔芙蓉幻視の果ての遠すぎて 』 へどうぞ!!! ★★★
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> あなたが自分の<独りであることを感じはじめるとき
他人というのはあなたの心マインドから完全に落ちている
それはもうあなたの夢に影を落とさない
それはもうあなたの純粋性に触れてこない
そうしたら、あなたは自分自身にハッピーだ
あなたは自分自身に恍惚としている
あなたは自分自身を楽しんでいる
いまや、生まれてはじめてあなたは自分の実存と
そして自分の非実存と同調している
あなたは<全体>だ
いまならあなたは愛することができる
いまなら愛は流れることができる 。。。パグワン『TAO』p398L05
恍惚と漂うごとし吾亦紅 仁
風に吹かれて吾も恍惚
和らぎのハート翔ばして花野行く 仁
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以下、 【 転載 】 です。
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酔芙蓉ひと日切なく燃え尽くす
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酔芙蓉ひと日切なく燃え尽くす
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もう、すっかり、酔芙蓉さんが消えてしまいました。
少し無惨な姿で、枯れた花が残っています。自分の姿を見るようで、ちょっとつらくなるのですけれど、車窓から挨拶送ります。
そうだね、もう、誰も振り向かない方がいいよね。
北風に晒されて、水気も栄養も抜き取られる前に、伐採されて、根っこだけで冬を越すのでしょうけれど・・・
また、春に逢おうね。
また、仁と遊んでくださいね。
燃え尽き症候群にならない前に剪定してくださいね。
それにしても、今年は、また、いっぱい、酔芙蓉さんと遊びました。
酔芙蓉さんは、ひと日ひと日を、せいいっぱいに燃えてくれました。命の切ない燃焼の中から、愛呼が誕生して、今では、自遊に、どこにでも現れるようになりました。
命の燃焼。
そして、命の反復。
愛呼とあそぶということは、今を、燃焼することだったんです。
無為を享受することだったんです。
だから、愛呼は、
酔芙蓉さんから湧いて出て、
今では、草さんからも、
虫さんからも、空さんからも、湧いて、現れてくれるんです。
わたしという現象は、ひとり遊びの中では、愛呼という現象に変わっていくこともできるようになるのでしょうね。
わたしが愛呼になり、愛呼が蜂になり、蜂が花になり、花が星になり、星が波になり、波が光になり、光が闇になり、闇があなたになり、あなたがわたしになり、わたしが風になり・・・
わたしが、もう、わたしであることさえ必要でなくなっていく終の世界へたゆたっていくのを感じます。
春を待つという酔芙蓉さんの眠りに入っていくような遊びを見つけているのかもしれませんけれど・・・
あるいは、もう、ずっと冬であってもいいよ、
という心象を彷徨っているのかもしれません・・・
以上、 【 転載 】 おわり。
> 恋人たちが出会うとき
必ずそこには誰もいない
ふたりの”誰でもない人”はふたりではありえない
どうしてふたつの<無>がふたりであり得る?
<無>には境界線なんかない
<無>とは広大なひろがりそのもののことだ
ふたりの<無>はひとつになる
が、ふたりの”誰かさん”はふたりのままだ 。。。パグワン『TAO』p087L05
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愛呼も吾も命光合
酔芙蓉面目坊が見え隠れ 仁
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