「野毛にちぐさあり」と言われたほどのジャズ喫茶「ちぐさ」が、今月31日で閉店になると聞いたのは、去年の12月の初旬だった。
昭和8年の開店というから、73年も営業していたことになる。
まだ20代の頃、一度だけちぐさに行ったことがある。
店主の吉田衛さん、風貌は晩年とそんなに変わらなかったけれど、まだお若くて「怖い」という印象を抱いた。
カウンターの後ろにあるレコードの枚数に圧倒され、緊張しながらコーヒーを飲んだのを覚えている。
5年位前に鎌倉にあるジャズバー「IZA」で、マスターから吉田さんが亡くなったと教えられた。その後、妹さんがお店を引き継いだという話も・・・。
いつか行こうねとDH氏とも話していたのだが、閉店と聞けばいてもたってもいられない。何とか時間を捻出し、野毛へと向かった。
トリスバーのキャラ風イラストがかわいい看板。
昔っぽいけど、ほのぼのあったかい。
MJL=モダンジャズリーグの看板。
70年代、有名ジャズ喫茶が名を連ねていたMJL。
吉祥寺ファンキーや新宿DIGを筆頭に、老舗店オンパレードの広告がスウィングジャーナルに載っていた。
毎週欠かさず行っていた高円寺洋燈舎のマスターが、対抗して「MJML」モダンジャズマイナーリーグを作るって騒いでいたのを思い出した。
洋燈舎もいつの間にか閉店しちゃったけど、細田さん元気なのかしら・・・
あれ、こんなに小さい店だったかしら?と思ったくらいこじんまりしたお店です。
もっと広い店だとインプットされてしまっていたのは、多分吉田マスターの物言わぬ威圧感のせいでしょう。
20代前半の頃でしたからね。私も今よりは初心だったかと・・・。
今は常連さんたちがボランティアで店を切り盛りしてると聞いたけど、その人達も初老と呼べる年齢。
コーヒーを飲み終わるとすぐレコードリストが目の前に置かれ、リクエストは?と聞かれた。
昔のジャズ喫茶によくあった、布張りバインダーにタイプ文字のリスト。
どこに行ってもこのタイプリストだったな~と突然思い出す。
そういえば、鎌倉IZAもおんなじだったなどと、一瞬70年代に通ったジャズ喫茶に思いを馳せた。今はほとんど閉店したけれど、みんな懐かしい、そして、とても大切な思い出だ。
スピーカーから流れる音は、やわらかくてあったかい。いつまでも聴いていられる、疲れない音。
レコードのブチブチ言う音もそれほど気にならない。
いいな~、近くにあったら絶対通い詰めただろう。
レコードやオーディオはどうなっちゃうのか、こんないい音してるのに壊されちゃうのだろうか。誰かの家で鳴り続けて欲しいと、切に思いました。
帰りにマッチをいただきました。このマッチにもMJLのマークが・・・。
大事に持っていたはずなのに、今は手元に残ってないので嬉しかった。
昔と同じマッチだね。
↓ちぐさ全景
この小さいお店で73年間もジャズのレコードをかけ続け、日野さんやナベサダ、秋吉敏子など著名ミュージシャンの勉強を手助けし、応援し、そして惜しまれながら消え行く「ちぐさ」。
コーヒー、紅茶にコーラくらいしか出さず、お酒やつまみも置かず、ひたすら聴かせることに徹したお店は、今探してもあるかないか・・・ない確立の方が高い気もします。
だからこそ惜しいのだけれど、今にも落ちてきそうなプレーヤー上の天井部分なんかを見ちゃうと、もう潮時なのかなとも思ったりして・・・またひとつ日本のJAZZ文化が消えて行くのね。
野毛のちぐさ、今日31日が最後の営業日です。
新宿西口中央公園の向かい側が再開発される。
バブルの頃に地上げされた家々も一緒に、大きなビルに呑み込まれるらしい。
廃墟と化した一角に、猫がたくさん棲み付いていた。
カメラを向けると逃げるから、写真は撮れなかったけど、猫さんたちの居場所もなくなるんだね。
敷地面積12615平方メートル、地上48階建てですと。
ここにもたくさんの家が建っていた。路地裏に子供の声が響き、家々の台所からは夕飯の支度をする音やお惣菜のいい匂いが漂う。そんなごく普通の、市井の人たちの暮らしが営まれていたのだろう。何年も放置された空き家も、なんだか悲しそうだ。
置き去りにされた玄関前の自転車やベランダの物干し竿に、住んでいた人の思い出が染み付いてるように見え、淋しくなってしまう。
広場みたいで、猫さんにとっては住み心地のいい場所なんだろうなぁ・・・。
左/板で塞がれたアパートの玄関。手書きの表札のたどたどしい文字があったかい。
右/桜だろうか・・・立派な大木だけど、この木の命もあとわずか。
住む人はいないのに、貼られたお知らせは今年のもの。
西新宿6丁目、昔は淀橋町という名だった。
こんなに大きなマンションが、2つも取り壊されてしまうなんて・・・
不思議というか、計画が大きすぎてびっくりちゃん。
完成したらその大きさに圧倒されるかもしれない。
長い間見慣れた街並み。それが全く違うものになってしまうのが、何となく嫌だな。
1月6日のことです。
松も取れないので、お正月らしい町へ行きたいな、とDH氏。
上野、浅草、谷中、湯島・・・う~ん、どこも混んでいそうだなぁ。
じゃ近場でいいね、で神楽坂。
毘沙門天でお参り、そのまま牛込柳町の大黒天までお散歩。
天気はいいけど風が強くて寒~い寒い。
大黒天から運動兼ねて新宿目指すも、あまりの寒さに備後屋で一休み。
いろいろ眺めてたら、外が真っ暗になってた.....orz
ネコさんのタペストリーみたいなのを買って店を出ると、お隣は河田町の駅じゃん~。
寒いから電車で新宿コースに変更ね。
「こういう日はおでんがいいな、日本酒とね」とDH氏。
どこに行こうかしばし会議を・・・
黒いおでんより透き通った出汁がいいという結論に達し、クープシュの前の京風おでん屋さんに決定。
普通のおでん屋さんだと思ったら、あの十徳と同じお店だった。日本酒期待できるかも・・・ムフフ
2階が十徳で下がおでん屋さんなの。
まずはビールで乾杯。そしてポテサラちゃん。おいしいけどキュウリが入ってないのは残念。
暮れからお正月にかけて、キュウリ1本200円以上してたから、400円のポテサラには入れられないのかも。お正月だから仕方ないよね。それでもトロリとしたおいしい味付けでした。
さ、さ、おまちかねのおでんざんす。
大根とろろ昆布のせ、ジャガイモ、五目揚げ豆腐、いわしつみれです。
みんな200円台、お安いざんす。
これがイワシつみれ、柔らかくてすっごく美味しかった~。
ほろほろっと崩れるの。生臭さはゼロ。
燗酒を飲む予定だったんだけど、こんなのあったら一つずつ試したくなるよね~。
右から左に3つ飲みました。
真ん中の初孫がおいしかったな。
なみなみ~(ゴクリ
おでんをもう少しおかわりしたあとに頼んだのはナンコツから揚げ。
すごいボリュームでびっくり!450円という安さにもびっくり!
DH氏の好きなブリ刺しもオーダー。
関西のお正月はブリのお刺身がないと始まらないそうだけど、東京にはないものね。
ブリ刺しと書いてあっても、ハマチの大きいのみたいなのしか売ってないし・・・
ところがこのお店のブリ刺しはDH氏が一切れ食べて「うん、これは本物だ」と言ったくらいの絶品ちゃん。
「680円という値段だったから半信半疑だったけど、とても美味しいよ。やはりお正月はこれ食べないとだめだなぁ・・・」と大満足の鮮度なのでした。
最後は比内地鶏のつくねちゃん。
大ぶりのつくねで、これもおいぴ~。
いや~、飲んだ食べたでお腹がいっぱいになったのでした。
美味しい&お安い&温まる~、このお店オススメざんす。
ごちそうさまでした。
お屠蘇気分も抜けた1月5日、そろそろお外に出たいよねと、買い物がてら中野まで。
飲み屋さんのお正月休みも終わる頃だし、ちょっと寄ってく?で口開けの加賀屋。
5時ちょうどの開店です。
残念ながらお魚系の飲み屋さんは、まだお休み中。魚河岸が開くまでは無理なのかも・・・
加賀屋といえば煮込み、おかみさんが「いくつ?」と聞くのでつい2人前頼んでしまったorz
大杉君でしたわ~。
小さめとはいえ、土鍋だものね。一つで十分だったかも・・・でも美味しかった。
たっぷりのネギと大きなお豆腐が冷えた体に染み渡るよ~。
左/ポテサラなくて、マカロニで我慢・・・できなかったorz
右/柚子大根。大根を塩と柚子果汁だけで漬けた感じ。浅漬けだけどかなりスッパくてさっぱり。
初モツ焼きです。左はレバ右がタン。大ぶりなのに一人前3本とは・・・これもまた大杉君。
2人で来た人には少なめOKにして欲しかったよ~。
最初はビール、次はホッピー。ここのはレモン入り。串焼きは鶏ひざナンコツ。
関西ではナンコツ=ひざナンコツだそうで、DH氏は「美味しい~」とご機嫌。
ごちそうさまでした。お年賀にライターまで頂きました(タバコ吸わないのに…)、ありがとう。
ここまででだいぶお腹いっぱいになったんだけど・・・初飲みだもの、どうしても食べたいじゃん~。
と言いながらブリック目指してトコトコトコ。
そ、どうしても食べたかったのは
ポテサラちゃん
カウンター席バーテンダーさんの真ん前だったので、写真は撮れませんでした。
トリハイとポテサラ、カニクリームコロッケを堪能して満足満足。
新年初飲みは無事終了~。
と思いきや・・・
家に戻ってから届いたメール、「12時頃中野に行くので出てきませんか?」
ということで、マイミクDさんIさんとこんなものやあんなものやあれこれあれこれ。
Iさんには心温まる素敵なプレゼントをいただいて、帰りにずうずうしくもお宅までお邪魔してジントニックをご馳走になり、みかんと柚子のお土産まで・・・モウシワケナカッタデス・・・・
家に着いたのが3時過ぎという久々夜中モード、楽しい夜だったなぁ。
というわけで、記念すべき2007年初飲みを大好きな石松で締めることができたのでした。
普段、大晦日は家で過ごすことが多いが、今年はブルーノート東京でのカウント・ベイシー・オーケストラのカウント・ダウン・ライブの魅力に惹かれ1ヶ月前に予約。大掃除に忙しい暮れではあったが、期待に胸を膨らませてブルーノート東京に向かった。
でも、トパーズさんは年末のお節料理作りで忙しく、二人がブルーノート東京に着いたのは10時半。
既に客席はほぼ満席で、ステージに向かって右端の、ボントロ・セクションのすぐ横当たりの席に案内された。見えるのは、バス・トロ、バリサク、ラッパの横姿で、ブッチ・マイルスはまったく見えない。残念。家で年越し蕎麦を食べて来たので、つまみは甘エビのカルパッチョだけで、ワインはさっぱり系のフュメにした。
フュメを1杯飲みほした頃から、一人、また一人とメンバーがステージに登場。むむっ、サックスと一緒に大きな鞄を抱えて来て、面譜台の下に入れている人を発見。楽屋には置いておけない貴重品があるのがろうか?
舞台左手から拍手がわく。見えないけど、ブッチ・マイルスの登場だろうか?
フランク・フォスターのディスコ・モーションで演奏がスタート。
1曲目から急速テンポで、ぐいぐいぐいぐいとスウィングする。サックスのソリ、トゥティともに、まさに一糸乱れぬ迫力の演奏だった。しかも、余裕シャクシャク。自然と、足がリズムを取り、体が揺れる。
早いテンポの曲を中心に、どんどん演奏は進むが、とにかく一分の隙もない演奏だ。しかも、不思議だけど、聴いていると、どんどん、どんどんと、幸せな気持ちになってくる。ブッチ・マイルスのハイハットとリムショットがさらにバンドをつんのめるように前へ、前へとドライブさせる。このスウィング感がベイシーだ。テナー陣2人のソロも、フランク・フォスターを彷彿とさせてカッコいいし、ラッパのハイノートも決まっている。もう言うことなし。
途中、メルバ・ジョイスという黒人の女性ボーカルが入って、ペーパー・ムーン、ボディ&ソウルなどを、ブルージーに聴かせてくれた。
エラとダイナ・ワシントンを足したような感じのベテラン歌手で、ベイシーにはぴったりのシンガーだった。
そして、最高の気分でいよいよ12時を迎えた。クラッカーが打ち鳴らされ、シャンパンで乾杯。
ハッピー・ニュー・イヤーの声が客席から、そして、ステージから飛び交い、クラッカーの紙吹雪が銀色の雪となって舞う中、演奏された曲はエイプリル・イン・パリ。もちろん、何度もワン・モア・タイム。
アンコールでは、バンドのメンバーにもシャンパンが出され、ジャンピン・アット・ウッドサイド、ウィンド・マシン、ワン・オクロック・ジャンプが演奏された。
ジャンピンでのテナー・バトル格好良かったなー。
最後は、もちろん自然と湧き上がるようなスタンディング・オベーション。
最高の大晦日、そして、新年をありがとう。
ベイシー亡き後のベイシー・オーケストラには余り興味がない人も多いかとは思うが(僕がそうでした)、今のベイシーは、パブロ時代を彷彿させる、最高の状態だと僕は感じた。ベイシーのDNAは健在。
2005年の仙台でのライブを録音した最新作「ベイシー・イズ・バック」も聴いてみようと思う。
~素敵なクリスマスをありがとう~
この日はクリスマスのイブイブ。
クリスマス時期の良いレストランは混んでいるので、家ご飯にすることが多いのだが、シェリル・ベンティーンのクリスマス・ディナー・ショーに心が動き、たまにはちょっとロマンティクで豪華なクリスマスにしようかなということになり、少しおめかしして丸の内コットンクラブに向かった。
トパーズさんはいつものダウンコートとは違って、有閑マダムの雰囲気漂う豪華な毛皮のコートを着用、うーん、素敵だ。
舞台左手のボックス席につき、まずはモエ・エ・シャンドンで乾杯。そしてクリスマス・ディナーが順次運ばれる。フォアグラとヘレ肉のステーキがなかなか美味だった。ワインはピノ・ノアール、ステーキにぴったりと合う、しっかりとした味だ。
さて、デザートを食べ終わる頃にライブが始まる。
まずは、バック・バンドで1曲やり、それからシェリル・ベンティーン登場だ。
太った!!
昨年マントラで見たときよりも確実に太っている。お互いウェイト・コントロールには注意しなければ。
バック・バンドのメンバーはCorey Allen(p), Kevin Axt(b), Dave Tull(ds)。
途中のメンバー紹介で分かったのだが、ピアノのCorey Allenはシェリル・ベンティーンのご主人ということだった。
シェリル・ベンティーンは上手いのはもちろんだけど、とにかく歌に余裕がある。そこが、ロバータ・ガンバリーニとの決定的な違いだと思う。
アップテンポの曲でのスキャットなんかは、シェリルだったらもっと華麗なテクニックを見せつけて長尺のスキャットを楽々とできると思うけど、そんな野暮なことはしない。ちらっとおいしいフレーズを見せるだけだ。
ハウ・ハイ・ザ・ムーンでは、エラばりの華麗なスキャットを聴かせるかと思っていたら、意表をつくように、ドラムのDave Tullがエラを完コピした見事なスキャットを披露してくれた。
なかなかアメリカのショービジ世界の奥は深い。
また、バラードでの彼女の表現力の奥深さは、まさに一流の域に達している。
特に、アイム・ア・フール・トゥ・ウオンツ・ユーは素晴らしかった。
僕はビリー・ホリデイみたいと思ったけど、トパーズさんはシナトラみたいと言った。
確かにビリー・ホリデイのようにストレートに感情を表出するのではなくて、内に秘めた感情が歌の中に自然と沁みだすような歌い方だった。
いつもながらトパーズさんの鑑賞力には脱帽。
アンコールでは「サイレント・ナイト」をしっとりと歌ってくれた。
まさに、素敵なクリスマスをありがとうだ。
さて、仕事が忙しいのを言い訳にここまで書けなかった(書かなかった)ライブ・リポートを、大晦日の今日、一気に書き上げた。
今から、カウント・ベイシーの年越しカウントダウン・ライブに行きます。
では、皆様良いお年を。来年もよろしくお願いします。(とはいっても、これがアップされるのは年が明けてからですが。)
大好きなビール「琥珀の時間(とき)」で喉を潤し、シャンパンで再会の余韻を味わったあと、いよいよお料理に合わせたお酒が出されることに。
炙ったカラスミにはこれ、田酒純米大吟醸「華想い」幻のお酒だそう・・・。
詳しくないのでわからないのが悲しい私。
情報収集よりも、呑んでみて美味いか不味いかで判断する動物的な飲み方してきたのをチョイ反省。
なぜって、行くのは大抵居酒屋だから、そのクラスまでのお酒しかわからないってことだからさ。
ご一緒したIZAさんが「きれいなお酒」と評していましたが、その通り。
透明感があって決してカラスミの邪魔をしない、というより香ばしさを引き立ててくれるような、そんなお酒でした。
2度と飲めないかも(笑)なので、じっくりじっくり味わったぞぃ。
行く前にNTVのグルメ番組で紹介された村祐。
「和三盆」のような味を目指していると紹介されていたけれど、口に含むとまさに「糖水」。
え、これがお酒?と、皆でしばし村祐談義。
しばらく置いてから嗅ぐと、ちゃんとアルコールの香りがするんだけれど、頭にインプットされてるお酒の味じゃない。不思議な感覚でした。
続けて飲むにはちょっときついかも。1杯だけで十分なお酒、デザートワイン風。
お○○ちゃんがニコニコ笑いながら赤い袋を抱えてきた。中からでてきたのがこれ、八海山特別限定チタンボトル。
聞いたのも見たのも初めて。
これが、これが・・・
うっまーっ!
八海山の吟醸や大吟醸とは全く別物のお味。
日本酒の極めつけではないかと思いましたワン。
帰ってからネットで調べたら、これ1本(610cc)で2万円近くするのね。
今はプレミアムついてもっと高いだろうし。こんな高級なの飲んじゃっていいのだろか・・・。
もったいないのでチビチビチビチビ飲んじゃった。ヘヘヘ
地元のお酒、開運だけど、ただの開運ではございません。
ラベルに書かれているのは、作った杜氏さんのお名前「波瀬正吉」。
能登の杜氏波瀬さんを静岡に呼んで作らせたから、能登流なのだそう。
「2・へ」はロット番号らしい。
おいしかったけれど、八海山の印象が強烈過ぎ、記憶が霞んでしまっている・・・○| ̄|_ザンネン
<意志をもって常温で20年寝かされた生酒>だそうです。
これが日本酒?日本酒も熟成されるとこんな香りを放つのかぁ・・・と驚かされた。
アルコール分は変わらないのだろうけれど、とても濃い感じがしたのは何故だろう?
びっくりの初体験。それでいて色は日本酒なのも不思議だった。
古酒が続いて、こちらは達磨正宗の昭和50年純米酒の澱。
澱です、澱よ。香りも色もすごい、老酒みたいな香りがしました。
古酒と並行して、ワインもいただきます。
いつも1種類のお酒で通しちゃうけど、こうやってお料理に合わせて色々飲みながらっていうのも楽しいね。言い訳するわけじゃないけど、決してチャンポンではありませぬ。(キッパリ
もっと大人飲み、フフフ多分だけど・・・。(大人のつもり)
程よい飲み頃まで開いたサンテ・ミリオン、おいしかった~。鴨にもよく合ってたし・・・
ところがここで、ブルゴーニュを飲みたいとDH氏が言い出し・・・
こちらもいただくことに・・・。ニュイ・サンジョルジュ
このラベル好き・・・って関係ないが、おいしかったです。
でもね、飲んでるうちにお食事が出ちゃって、「お新香とは合わ~んっ!」と泥酔院さんが叫んだのがおもしろかった。
ここで宴はお開きに・・・二次会へ突入します。
二次会はなんと・・・お店の3階で・・・。
元々はお○○ちゃんの自宅だった場所です。
今は新しいおうちに引っ越されたということで、お部屋に残されていたのは彼の趣味の品ばかり・・・
彼の趣味=私の趣味=JAZZ
わお~っ!突如 「JAZZ BAR 弁いち」 開店です。
チック・コリア&ボビー・エンリケス、W・マルサリス、ケニー・カークランド、etc etc飲みながら、映像と音楽の両方を堪能。
もちろん聴くだけじゃなくて、懐かしい話やジャズ四方山話で盛り上がる盛り上がる。
彼が学生時代に行った、クラブのアメリカツアー演奏のテープまで飛び出してきて、ごめんなさい、ワインはそっちのけの私でした。
しかしあのスペイン、プロ級ですごかったなぁ。
その上その上、生ベースソロまでご披露していただきました。
すぐにでもトラ(エキストラ=代役)で演奏できそうな、昔と変わらぬ腕前にうっとり。
ロン・カーターみたいに細くてきれいで長い指&オーソドックスな奏法(私はこのスタイルが一番好き)。いやー、楽しかった~。時間が過ぎるのが早いこと早いこと、気付けば時計は午前1時を回っていた。
そろそろ帰らねばの時間です。お店の玄関まで、お見送りされて「感動の再会、7時間半の宴」は幕を閉じたのでした。下のワインは二次会でごちそうになったもの。ありがとうございました。また行かなきゃね。
シノン、初めて飲んだけれど、おいしかったです。
ボーヌ・ロマネ。IZAさんが「澱が、澱がー」と叫んでいたのが印象に残りました。
濾過されていないワイン。
奥はチーズ。
お料理、お酒、JAZZと、とても中身の濃い、浜松小旅行でした。改めて泥酔院さんに感謝します。
浜松に着き、まずはホテルでチェックイン。
日帰りは無理なので、泥酔院さんがビジネスホテルを予約してくれたのでした(感謝)。
荷物を置いてから、お店へGO~。
お店の名前は「弁いち」。これは看板。
お店正面の写真はうまく撮れなかった。
落ち着いた佇まいで大人の雰囲気がする素敵なお店です。
泥酔院さんが個室カウンター席を予約してくださった。4人だけのカウンター、素晴らしすぎ。
そしてお○○ちゃんとのご対面、ドキドキドキ・・・
「いらっしゃいませ~(微笑)」
「わぉ!久しぶり~」
30年ぶりの再会なのに、2人とも、ついこの間「またね~」と言って別れたみたいに自然と話ができちゃうのが不思議といえば不思議。同級生感覚?タイムスリップしたみたいで違和感ゼロ。
お互いちょっと(いっぱい?)年取ったけど、それが年月を感じさせるだけで・・・。
以前と同じ雰囲気が保てて、なんだかとても嬉しかった。
ちょっとビールで喉をうるおしてから、シャンパンにいきま~す。
ルイ・ロデレール ブリュット・プルミエ
ボトルの後ろに写っているのがお○○ちゃんです。
お料理はおまかせ、もちろんお料理と一緒のお酒もね。
泥酔院さんがお願いしていた赤ワイン「シャトー・ボーセジュール・ベコ」は、すでに開栓した状態で置かれていました。丁度飲み頃に開く時間を計ってくれる、その心遣いが嬉しいなぁ。
左/「おそらくこういう料理をうちの店で出すのは初めてかと・・・」と出されたのが<ぶり大根>。
「120人前のお刺身が取れる鰤でも、ブリ大根は4人前しか出来ない」という言葉に納得。
何か最初の一品から感謝だなぁ~。
ブリも大根もとってもいいお味。
大根は金沢の「源助大根」という品種だそう。
三浦と青首くらいしか知らなかったけど、しっかりしていて味染みのいい大根。
ブリは柔らかくて脂が乗っていて、もう一品目からノックアウト気味。
右/自家製カラスミの炙り。焼いたのを食べるのは初めてだったけど、日本酒に合う合う~。
チビリチビリと食べながら日本酒をクイッ・・・う~ん極楽至極だね~。DH氏好みの器も素敵。
蒸し物。この蓋物のなんてきれいなこと、欲しくなります。
つきたてのお餅で鰻を巻いて蕪のおろしをのせて蒸したという説明だったような・・・。
張られた出汁もとってもおいしくて、しみじみしました。が・・・だんだんお腹いっぱいの雰囲気に・・・ヤバ
これもDH氏の大好きな器。見た途端持って帰りたいとブツブツ。
お造りです。ブリにヒラメ、ヒラメの肝、焼き〆てあるのはカマスだそう。
こんな大きなカマスは初めてだけど、とってもやさしい味がしました。
添えられていたのは、紅芯と緑芯の大根、京人参かな?
そして、浜名湖の青海苔を寒天で固めたもの。
どれがじゃなくて、どれもおいしい。
完食したかったけど無理そうなので、泣く泣くDH氏に半分食べてもらう(エ~ン)
そして出てきた焼き物ちゃん、柳鰈です。
女性陣は小さいのを選んだのですが、それでもこの大きさ。
昆布出汁に漬けて半干しにしたと言っていたような・・・違っていたらごめんなさい。
身は締まっていて程よい味加減で、その上炭火焼なんて素晴らしすぎ。
口直しは柿の酢漬けみたいな・・・。これがさっぱりしていてグー。
濃厚な(塩がきついのではなく出汁の味と鰈の旨味が濃い)のを食べて柿でさっぱり、う~む絶妙だなぁ~。
「わ~ん、家では出せない味だ~」と言ったら「おあしを頂いてるんですから・・・」と返されたけれど、おあしを頂きながら、そうじゃない仕事をしている料理人が山ほどいるのも事実なわけで・・・。これはやはり彼の志の高さじゃないかと、素直にそう思いました。友達自慢できるのが嬉しい、ウフフ。
だが、これも半分近くDH氏の元へ・・・あぁ~
最後は「北海道の鴨」、飛んでいた鴨らしい。マデラ酒風味。
臭みはなく、でもしっかり野生の滋味、噛み締めると漂う旨味がたまりましぇ~ん。
なんて幸せなのでしょう、赤が進みます。上にのっているのは牛蒡のカリカリ。鴨と牛蒡の相性抜群。
そしてお食事。
特注の土鍋で炊いたご飯にお味噌汁。炭焼きのししゃも(北海道産)に香の物。
お味噌汁の具は卵豆腐だと思ったのですが、もしかしたら卵豆腐の舌触りを持った絹漉し豆腐かも・・・。このお味噌汁、出汁はもとより、お味噌の味が・・・。
白味噌仕立てのお雑煮から甘味を引いたような味といえばいいのかしら。
こっくりしていて、後に残るまったり感。思わずふ~っと声が出るような、でも塩分は丁度いいのよね。
何と言うか、飲み終わった時の満足度が違うんだなぁ。
書いてるうちにまた飲みたい気分になってきましたわん。
そしてデザートは生クリームを葛で固めたのかしら?堅めのババロアみたいなのに林檎のソースがかかっていました。
この器も素敵、というか器だけでお腹いっぱい。ごめんなさい、ちょっと残してしまいました~。
おいしいほうじ茶をいただいて、第1部は終了。このあと第2部へ突入します・・・・が、まだお酒を紹介していませんよね。
書き切れないので、お料理とお酒を分けさせていただきました。
引っ張ってるわけじゃないけど、お楽しみの素晴らしいお酒満載は、「歓喜のお酒篇」へと続きます。
学生時代、「ジャズ喫茶」まではいかない「ジャズのかかる喫茶店」でアルバイトをしていた。
当時の「ジャズ喫茶」は『お喋り禁止』が常識で、飲み物をオーダーするのに声を出さず口パクで「コーヒー」とゆっくり言うと、ウェイトレスのお姉さんがそれを読み取ってくれるなんて店がたくさんあったから、聴きながら話ができたその店は「ジャズのかかる喫茶店」なのだと思う。
W大学のある街にあったので、店にはジャズ研のメンバーがたくさん来ていた。
スパゲッテイやピラフなどの軽食もあり、ご飯食べてはレコード聴いて、クラブの練習が始まるまで時間を潰す、なんて光景が普通だったなぁ。
そんなメンバーの中から、カウンター越しに話をする仲良しさんが何人かできた。話といってもジャズ話。聴くだけの私なのに、ほぼ同年代の気安さもあり、演奏する彼らに結構生意気なことを言ってたと思う(スミマセン)。定期演奏会や学祭でのライブなどを聴きに行ったりもした。
その仲良しさんの1人にお○○ちゃんがいた。彼にはクラブ内で呼ばれているカッコイイニックネームがあったのだけれど、私だけは第一印象で浮かんだお○○ちゃんという呼び名で通していたの。
楽器はベース、いつもアルコのケースを抱えて、好きなのはロン・カーター。
学年は私より上だったから、卒業する時も見送った記憶がある。就職はしないで家業を継ぐと言っていた。
「家業はなぁに?」と聞いたら、彼じゃなくて違う人が「こいつの実家、料亭なんですよ」と教えてくれた。
「わぁ、すごい~、いつかお料理食べに行きたいな~」と言ったはず、多分だけど。じゃなきゃ、こんなに鮮明に覚えていないもの。実家&お店が浜松駅からすぐ、というのも聞いたけれど、彼とはその後会うこともなく・・・。
昔、昔のお話です。
それから何十年も経ち、仲良しの女友達にミクシィなるものに誘われて登録。
ブログを始めて色々な人とコメントなどを通じてお知り合いになったり、偶然行ったお店で出会ったりと自然にミクシィ仲間が増えていき、ミクシィってすごいのねと思っていたのだけれど・・・ジャズ友が増えない、足りないのはジャズ友だねとDH氏とも話していたそんな時・・・・。
めったに開かない足あとページに、知らないハンドルネームを見つけた。
たどってみると「居酒屋礼賛」浜田さんの出版記念パーティーでお会いし、マイミクになっていただいた泥酔院さんのお仲間だった。
何でたどったかというと、そのハンドルネームがカウント・ベイシーの名曲のタイトルと同じだったから。
ビッグバンドジャズなどという地味な分野から名付けるなんて、これは相当なジャズファンかもしれない。
そう思った私は、なぜかその方に「マイミクになってくださいメール」を送ってしまいました。
足あとに知らない人を見かけても、一度もこちらから行動を起こしたことがない私がメール書いちゃうなんて・・・「迷惑だったらどうしよう」と返事が来るまでドキドキドキドキ。
マイミクになりましょうのお返事を頂き、そこに「学生時代はW大学のHSオーケストラに所属していました」の文字が、さらに「仕事のHPにもジャズの話題がありますよ」とURLが記されていました。
ではでは、とお仕事HPを覗いてみると、本業は日本料理屋さんの経営者&板前さんでお店の住所が浜松になっているではありませんか!
「もしかして、もしかして、この方はお○○ちゃんでは?」「そんな偶然があるわけないよね」相対する気持ちを抱えたまま再度メールを書いていました。
結果は・・・・ピンポーン!
ブログ&ミクシィつながりで、30年ぶりに彼とウェブ上で再会できたのです。
こうなったら今年中に会いに行きたい、彼の作ったお料理を食べたいという気持ちになるのは当然のこと。泥酔院さんにその旨を伝えると快く受けてくださり、12月16日の夕方、私とDH、泥酔院さんとそのご友人IZAさんの4人はクリスマスイルミネーションが光り輝く浜松駅に降りたのでした。
=怒涛のお料理&お酒篇へ続く=
僕は30歳代の10年間は、いわゆるワールド・ミュージックに傾倒して、ほとんどジャズを聴くことはありませんでした。そんな時に大好きだったのがポルトガルの民族歌謡ファドであり、ファドとクラシックの融合を図ったグループであるマドレデウスでした。
ファドとは運命とか宿命とかという意味で、民族音楽というより、リスボンで生まれた民族歌謡といったほうが当たっているような気がします。
マドレデウスは5年程前に渋谷のオーチャード・ホールで見ましたが、場所柄のせいか、今回の観客の平均年齢は前回よりも随分と高め(50歳代か?)のような気がしました。
メンバーはテレーザ・サルゲイロ(ヴォーカル)ペドロ・アイレス・マガリャンエス(クラシックギター)、ジョゼ・ペイショート(クラシックギター)、フェルナンド・ジュディス(ベース・ギター)、カルロス・マリア・トリンダード(キーボード)。
クラシックのコンサートのように燕尾服に身を包んだバック・メンバーによる、クラシックギターを中心としたミニマル音楽風の演奏にのせて、テレーザのどこまでも透明で繊細だけども、とても力強い歌が響きます。
僕は、このテレーザの声と独特の節回しがとにかく大好きです。
冬の夜空のようにどこまでも透明な高音はもちろん、低音部の表現力が一段と増しているのに少し驚き、やっぱりテレーザはいいなと嬉しくなってしまいました。テレーザの歌は慈愛そのものです。
マドレデウスのライブではいつも舞台の両脇上部に設置された掲示板に訳詩がでるんですが、この歌詞がまた好きなんです。 こんな感じの歌詞です。
たとえ何があっても 私はここにいる
たとえ何があっても 貴方を待っている
私は知っている 貴方が私にとって誰なのかを
たとえ何があっても 私は貴方を待っている」(たとえ何があっても)
来て 一切の孤独を超えて
貴方の命の光を失った私は 地平線を失ったのと同じ
いいでしょう 気が済むまで進んでいって
だが その後には この悩む心を癒しに来て欲しい」(願い)
まぁ、単純と言えば単純かもしれないけど、何か僕の心に突き刺さります。
何だか「サウダージ」を感じませんか?
決して取り返す事の出来ない時間、人、心。
僕はファドを聴くといつもそんな喪失感、底知れぬ哀しさ、そこから生まれる力強い希望を感じます。
心に沁みる良いコンサートでした。
ポルトガルと言えば、最近聴いてないけど、ドゥルス・ポンテスはどうしているのでしょうか?
「プリメイロ・カント」は大好きで何度も聴いたものです。
ショーターのソプラノも素敵だし、良いアルバムでした。