@じゃんだらりん

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小里城跡

2006-10-08 | 【歴史】戦国
>小里城は、天文3年に土岐康流の子小里光忠によって築かれた。

>美濃・三河に侵攻した武田信玄は、美濃諸将らと合戦となった。 この戦で明知城主遠山景行や小里光忠も討ち死にし、岩村城・明知城も武田氏が占拠した。

>天正2年、織田信長が岩村城攻略のため、小里城の修築を命じた。 天正3年、織田勢による岩村城奪還が成ると、小里城修築も不要となり工事は中止となった。

>天正10年、本能寺で織田信長が討たれると、東美濃の諸将は金山城主森長可に反旗を翻したが、森長可によって掃討され、小里城も攻め落とされた。 

>小里光明は三河に逃れ徳川家康に仕えた。 この落城後に小里城は廃城となった。
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岐阜県瑞浪市にある「未完成の城」正確には、改修工事の途中で放棄されただけで、城自体は昔からあった。

県道20号線と33号線の交差点側に、城への登城口があり(大きな案内板と石碑が道路脇にある)、山麓に大きく分けられた曲輪跡が確認でき、門跡といわれる大きな石垣、主の御殿跡の石碑も建てられている。

少し登ると、途中から山頂まで遊歩道が整備されている。山頂周辺は、切り出された石垣材がごろごろと散乱していて、知らない人は、「石垣が破壊されるほどもの凄い戦闘があったの」と思うかもしれないが、単に職場放棄された工事現場だ。

特に歴史的な名跡で世間に宣伝されてる訳でもなく、一部の物好きな人しか近寄らないので、こういう城跡は、一種の”廃墟探索”のように楽しめる。

いわゆる”つわもの共が夢の跡~”って雰囲気をしみじみと味わえるのがマイナーな城跡巡りの醍醐味だ。

もっとも怪我して動けなくなったら、下手すると数日間発見されずということも有りうるので注意が必要。やはり複数人数で巡るのがベスト。(今日は、岩村観光の名目で無理やり寄り道した。)


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