青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

「キック・ミー」のゲーム。

2013年04月18日 23時19分33秒 | 青裸々日記。
撫子の花(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人間、人に好かれたい、評価されたい、大切にされたいと、
 「自分をよくして欲しい」と思っているものです。

 ・・・というと、「なーんだ、当たり前のことじゃないか」と思う方が大半でしょう。
 しかしこれ、当たり前のようで、必ずしも当たり前でなかったりするのです。


 人間には「深層心理」というのがあります。
 読んで字のごとく「心の奥底で思っていること」を指すのですが、
 この深層心理が、頭で自覚している心理、自分で意識できる心理と違う場合があるのです



 たとえば、歩いていて、左に曲がろうと頭で思ったとします。
 しかし、心のどこかで「右に曲がろう」という意識があった場合、
 なんだか曲がっている最中に得体の知れない不愉快さが沸き上がってきたり、
 オーバーな場合、気を抜いた瞬間に、右に向かって歩いてしまったりもするのです。



 ただ、「歩く」ぐらいなら、こんな極端な話はないかもしれません。

 しかし、「自分のことをどう思っているか」とか、「人生の目標はどこにあるか」という、
 長い期間で形作られた考え方に関しては、「頭と心、そして行動がちぐはぐになる」ということも、珍しくはないのです


 さて。
 冒頭の「人に大切にされたいのは当たり前」という話です。

 そりゃ、もちろん、人に好かれれば嬉しいし、人に酷いことをされたら、悲しくもなるでしょう。
 しかし、「心の奥底では、どこか「どうせこんな自分なんて」とか「大切にされた経験がなく、実は下心や裏がありそうで怖い」と思っている」と、
 「大切にされたい」反面、「自分が大切にされることはおかしいこと」と内心どこかで思っていれば、
 人に対しても、どこか遠ざけるような行動、嫌われるような接し方をしてしまうのです。
 ちなみにこれ、心理学では「キック・ミーのゲーム」と言われ、
 「どうぞ嫌ってください」と、人を試したり仕掛ける、一連の心の癖のことを指すのですね。



 では、どうしたら、人を試したり、わざわざ嫌ってもらうために傷つけるようなことをせずに済むようになるのでしょうか?


 自分を大切に思えないのは、どこか必ず、自分を無価値だと思ったり、罪悪感があったりするからです。
 つまり、自分を尊重できないから、人にも尊重させないように仕向けているのに他なりません。

 しかし、自分を認め、尊重するのは、そんなに難しいことなのでしょうか
 たしかに、人間は様々な側面がありますから、自分の価値に疑問を抱くことはあると思います
 でも、人に嫌われるほどの影響力があるなら、その影響する力を、それだけ幸せな方向へも向けられることにはなりませんか


 人を傷つける人は、本当は自分を助けてほしいと願っている優しい人。
 ここを見抜けば、幸せはもう目の前です。

ヤマザクラ

2013年04月18日 05時14分12秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 秩父に言ったら、ヤマザクラが咲いてました。

 ソメイヨシノが散って淋しく思っていたので、
 また桜を見られて、うれしかったです。
 似た品種が交代で1年中咲いていればいいのに・・・


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「そういう人なんだ」。

2013年04月18日 05時12分18秒 | 青裸々日記。
八重桜の花(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「常識」という言葉には、ソフトな強迫観念があるものです。

 「知っていて当たり前」とか、「一人前になるには必須」、「できないことはありえない」、
 こういうプレッシャーを、「常識」という言葉から受けたりはしないでしょうか。


 もちろん、お互い人間同士ですから、「これくらいだとこうなるかな」という感覚があればこそ、
 相手の気持ちを読んだり、先行きを考えて、より適切な行動ができるわけですよね。
 しかし、「これくらいだとこうなるかな」という感覚そのものこそ、人によって違うものでもあるのです。
 なぜなら、周りにいる人、本人の感じ方、体質や習慣など、
 つまり、育ったり過ごしてきた環境だって、一人ひとり違っていて当たり前なのです
 それを、結局は一人ひとりが持つ「常識」が違うのに、「常識」という言葉ひとつでバッサリと人を裁くようでは、
 結局、どんな人間関係も立ち行かなくなってしまいます。


 相手とて、必ずしも悪気があって、こちらの理解できないことをしてくるのではありません。
 相手の中では、その「理解できないやり方や考え方」が、「常識」なのです。

 つまり、「そういう人」なんです。


 固い話になるかもしれませんが、人間関係では、お互いを尊重することが不可欠です。
 性格ではなく、まるごと相手を「そういう人」だと認めるのです。


 すると、不思議な感覚がしてきます。

 自分がラクになるのです。



 どういうカラクリかというと、
 「相手は相手」と、人を認めた分、「自分は自分」と、自分を許し、認めることができるからです。


 「常識」でも、「~~すべき」という考え方でもいいですが、
 縛られた状態には、自由がありません。
 そこを、お互いちょっと思いやりを持って、「そういう考え方もあるよね」、「そんな時だってあっていいかな」と、
 気持ちをフッと緩める。
 そうすると、批判的な見方ではなく、「この人が生き生きする方法や環境ってなんだろう?」と、
 建設的、肯定的な見方が出来るようになるのです。


 どうしても変えたい相手や性格も、まるごと変えようとするのは、尊重や尊敬から外れた考え方であり、
 上手くやる前に、人間関係そのものを破綻させてしまいます。
 もし困った時は、「常識、常識」と言って批判的になったり変えようとするのではなく、
 「長所を付け加える」ぐらいに考えると、開ける道も、あるのではないでしょうか?

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