八重桜の花(東京都中野区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「~~をしてみたいです」という表現は、意外と誤解を生みやすいものです。
「してみたい」というのは、気持ちがあるだけなのか、これから行動するのか、どちらの意味にも取れます。
ということは、「やってみたいです」と人に言うと、本人は「できたらいいな」と軽い気持ちがあるだけのつもりなのに、
相手には「そっかぁ、じゃあ、準備をしないと」などと、気を持たせてしまうことにもなりかねないわけです。
逆に、「よし、やるぞ」という意気込みがあっても、相手からすれば「まあ、そんな気持ちがあるだけなんだろうし」と肩透かしにされ、
それが、すれ違いを生んでしまうこともあります。
最初から、「なんて細かい話だ」と思われた方も、いらっしゃるでしょう。
しかしこれ、実は、自分自身に対しても、無意識にやってしまっていることなのです。
ただ願っているだけなのか、実際にやってみる気があるのかをハッキリさせると、
明るい意思や前向きな思考を上手く活かしたり、
嫌な気持ちや暗い心を、早いうちに鎮めることができるのです。
長くなりましたが、ここまでは、前置きの話だと思って下さい(すいません(笑))。
人間、自分の気持ちや意思を、自分自身が完璧に把握しているとは限りません。
やりたいことや欲しいものでも、どこかを我慢しなければ、社会生活は成り立ちません。
あるいは、わがままで自分勝手な気持ちをあらわにすれば、人を傷つけ、人間関係も冷え込むのが普通でしょう。
そうすると、「願望を持つこと自体」が悪いことのように、錯覚をしてくるのです。
しかし、本当は、「願い事があること」と「わがままなこと」、「気持ちを人にぶつけること」は、
全く別問題、別物の話です。
そこが曖昧になるから、表現も行動も曖昧になる。
曖昧だから、人に誤解を与えたり、どこか不完全燃焼のような、奥歯に物が詰まったような感覚になるわけです。
さあ、皆さん。
もし、誰にも迷惑がかからないなら、やりたいこと、欲しいもの、ぶつけたい心、
こんなものを、存分に考えてみませんか。
自分が本当に望んでいるもの、本当に欲しいものは、
案外、素直になったほうが、手にしやすい道が見えたりもするのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「~~をしてみたいです」という表現は、意外と誤解を生みやすいものです。
「してみたい」というのは、気持ちがあるだけなのか、これから行動するのか、どちらの意味にも取れます。
ということは、「やってみたいです」と人に言うと、本人は「できたらいいな」と軽い気持ちがあるだけのつもりなのに、
相手には「そっかぁ、じゃあ、準備をしないと」などと、気を持たせてしまうことにもなりかねないわけです。
逆に、「よし、やるぞ」という意気込みがあっても、相手からすれば「まあ、そんな気持ちがあるだけなんだろうし」と肩透かしにされ、
それが、すれ違いを生んでしまうこともあります。
最初から、「なんて細かい話だ」と思われた方も、いらっしゃるでしょう。
しかしこれ、実は、自分自身に対しても、無意識にやってしまっていることなのです。
ただ願っているだけなのか、実際にやってみる気があるのかをハッキリさせると、
明るい意思や前向きな思考を上手く活かしたり、
嫌な気持ちや暗い心を、早いうちに鎮めることができるのです。
長くなりましたが、ここまでは、前置きの話だと思って下さい(すいません(笑))。
人間、自分の気持ちや意思を、自分自身が完璧に把握しているとは限りません。
やりたいことや欲しいものでも、どこかを我慢しなければ、社会生活は成り立ちません。
あるいは、わがままで自分勝手な気持ちをあらわにすれば、人を傷つけ、人間関係も冷え込むのが普通でしょう。
そうすると、「願望を持つこと自体」が悪いことのように、錯覚をしてくるのです。
しかし、本当は、「願い事があること」と「わがままなこと」、「気持ちを人にぶつけること」は、
全く別問題、別物の話です。
そこが曖昧になるから、表現も行動も曖昧になる。
曖昧だから、人に誤解を与えたり、どこか不完全燃焼のような、奥歯に物が詰まったような感覚になるわけです。
さあ、皆さん。
もし、誰にも迷惑がかからないなら、やりたいこと、欲しいもの、ぶつけたい心、
こんなものを、存分に考えてみませんか。
自分が本当に望んでいるもの、本当に欲しいものは、
案外、素直になったほうが、手にしやすい道が見えたりもするのです。