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朝顔(東京都武蔵野市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
人として生きていくために、最低限必要なことはなんでしょうか!?
衣食住が足りているなら、私は「人の痛みがわかること」だと思っています。
人間、自分がかわいいものです。
人に与えた10の痛みよりも、
自分が受けた1の痛みのほうが、
痛みの大きさとしてはより強く感じるわけです。
それだけに、
「他人の何倍も苦労してきたんだ」
「本当の被害者は自分だ」
こんな風に思ってしまいがちです。
しかし。
人に痛みや苦痛を与えてしまったのでは!?という想像力がないと、
いずれはコミュニケーションが成り立たなくなってしまいます。
コミュニケーションはよくキャッチボールに例えられますが、
受け手が取りにくい球、
受け手の方を向いていない球、
そしてなによりも受け手に怪我をさせてしまうような球、
こんな球を投げていては、そこに築くことの出来るハズの関係だって壊れてしまうのは、
もはや自明の理ですよね。
それを防ぎ、力を合わせ、心を支え合うために必要なのが、
「人の痛みに対する想像力」なのです。
自分の受けた傷はさておいて、
「誰にどのくらい、どこまで深く傷を付けてしまったかな??」
「自分に非はなかったかな!?」
こんな想像力を持つことで、初めて人を大切にする第一歩を踏み出せるのです。
もちろん、こんな考えを持っていれば、
心は辛くなります。
「罪悪感」というやつです。
しかし、その「罪悪感」も考えようです。
罪悪感を感じないようにするか、
罪悪感を払拭すべく、自分に向上心を持つか、
このどちらかで、話は全く変わってきます。
そう、人の痛みを想像し、疑わしき言動が出たら、
それを修正していけばよいだけの話なのです。
その姿勢こそが、自分を磨き、ひいては他人と上手くやっていくための貴重な指針を生み出すのです。
誰だって、自己中心的な生き物です。
そんな自分に待ったを掛けて、
いかに人の気持ちをわかってあげるか。
罪悪感に負けて、人の痛みに関心がいかなくなってしまう人がいます。
罪悪感は厄介な感情ではありますが、
なんのことはない、抱え込むのではなく、
「もう二度と自分は毒にならないぞ!」との決意を持てばいいだけです。
人間ですから、過ちはあるものです。
それを自分なりにでも償うよう、ベストを尽くすことが求められるわけです。
ここがポイントなのです。
つまり、過ちを解消することではなく、
1%でも解消しようと努力することが大切なのです。
罪悪感は引きずるためではなく、自分を磨く砥石として使うのです。
そういう姿勢で絶えず自分の言動に修正を加え、変わり続けられる人こそが、
つまりは「人の痛みわかる人」と言えるのではないでしょうか。