のんびり起業を目指す日々

好きなことを勉強しながら、のんびりとお惣菜屋さん開業をめざす毎日です。

取り戻す土地、取り合う土地

2016-06-07 06:43:00 | 日記

 皆様おはようございます。

 

今日の東京は静かな曇り空の朝です。

 

 昨日の夕刊に飯舘村が来年春に避難指示解除へというニュースが出ていました。

このニュースは、少し意外な驚きがありました。

 この飯舘村は、南相馬へ行くときに幾度となく通ったところです。

震災後、しばらくは原発周辺の道路は通行できず、東京方面からは東北道で二本松市あたりまで行き、

県道12号という道路等でこの飯舘村を通り抜けるのが最短のルートでした。

しかし、飯舘は避難指示地域で人は住んではいけないことになっています。仕事が終わってから夜間高速を走り、この地域を通過するころには夜中の1時、2時ということもありました。

あたりは、防犯の為真っ暗な中、警備のパトカーが青い灯りを回して警備にあたっていました。

それでも、もし対向車を犯罪者が運転していて道をふさがれ襲われたら、本気でそういう思いもよぎる状況した。

夜中の長距離運転は好きで良くしていましたが、日本で車を運転していて、初めてそういう気分になりました。

 すると不安の中、県道から離れた一角に明かりがありました。工場のようでした。

後々調べると、特例を受けて操業を続けてきた工場でありました。この工場があると無いのでは、本当に大きな違いであったと思います。

パトカーが巡回しているとはいえ、治安にも大きな違いを与えていたと思います。

 南相馬でも話や状況を聞いて感じていたことですが、やはり今、時間がたつほど人が戻りにくくなってしまうということもあって、

一般的に言われている問題よりも、今はそういった時間との戦いもあるのでしょう。

 

 飯舘村は実は震災前にも訪れたことがありました。競馬場めぐりという変なライフワークがあった時、この飯舘に山形県の競馬場の場外馬券売り場があり、ある時より道をしてみたのでした。

 場外馬券場というとあまり明るいイメージはないのですが、そこは違いました。皆、競馬はあまり関心がない様子で、世間話に花を咲かせていました。

村人の社交場となっていました。

後で新聞記事などにより知ることになるのですが、この村は村長さんががんばっていて、「までい」(丁寧な)という地元の言葉を合言葉に活気のある新しい村づくりをしていたそうです。

南相馬の小高のある人も「あの村は村長ががんばっていて本当にいいところだった。」と一目を置く村であったようです。

 その馬券売り場へ行った時も、田んぼは夏の日差しを浴びてぴかぴかと稲穂がひかり、あたりは静かな時間が流れていました。

何もないのだけれど、何かひかれる、他とは違う感じがしました。

避難指示解除は政府の方針で3月にという報道なので、正式にどうなるかは住民と話し合いなどをしてからと思います。

私は、飯舘村には知りあいはいなく、他人事になってしまいますが、少しずつでも良いときに戻っていって欲しいと思い、願っています。

 

 一方でわが区大田区は、埋め立て地の帰属をめぐっての江東区の争いが調停になるか、という記事がでていました。

この埋め立て地にはゲートブリッジなる橋がありまして、開通直後、運転手時代に何度か利用してみました。

その時気付いたのですが、この橋の上空は旅客機の着陸ルートの一つになっているようなのです。

轟音と共に飛行機のおおきな影が通り過ぎていきます。

もし爆撃機だったらと考えたりと、本当に恐ろしいなと想像してしまって、あまり好きではない橋になってしまいました。

ですから、この周辺も個人的には興味はあまりありません。

あまり争わず、決着してほしいものです。

 

今日は、土地に絡んでお話ししました。

 

それでは、皆様今日も1日がんばりましょう!