今日は、レストランカフェ「ホイリゲ」で「鮨と蕎麦の会」がありました。
福岡市・長浜にある名店「吉富寿司」の大将が鮨を握り、境先生が究極の蕎麦を打つ。今日は晴天。「ホイリゲ」のある耳納山麓から見下ろす田主丸の町並みが美しい。気心の知れた友人たちと集い、美食を味わう。なんと贅沢なことか。
吉富さんの鮨を握る姿、境先生の蕎麦を打つ姿、どちらにも共通するのは美しさだ。心を高め、神経を集中した手の動き、それは一点の迷いもなく舞うがごとく軽やかに動く。その動きがまず美しい。そしてまた器に盛られたものが美しい。
境先生の切り終えた蕎麦が漆箱に次々と並べられるその姿は、まさしく一糸も乱れず。茹で上がり笊にのった蕎麦はツヤツヤと輝きながらも渋い色合いで、日本人の英知と奥ゆかしさを感じたりする。
吉富さんが次々と握り並べる鮨は、高さも幅もまったく同じで実に整然としている。だから同じネタでも微妙な表情の違いが浮き出てきて、まるでこれは一幅の絵画だ。
美しくて、旨くて、楽しい。
今日もシアワセな一日を過ごしてしまいました。
福岡市・長浜にある名店「吉富寿司」の大将が鮨を握り、境先生が究極の蕎麦を打つ。今日は晴天。「ホイリゲ」のある耳納山麓から見下ろす田主丸の町並みが美しい。気心の知れた友人たちと集い、美食を味わう。なんと贅沢なことか。
吉富さんの鮨を握る姿、境先生の蕎麦を打つ姿、どちらにも共通するのは美しさだ。心を高め、神経を集中した手の動き、それは一点の迷いもなく舞うがごとく軽やかに動く。その動きがまず美しい。そしてまた器に盛られたものが美しい。
境先生の切り終えた蕎麦が漆箱に次々と並べられるその姿は、まさしく一糸も乱れず。茹で上がり笊にのった蕎麦はツヤツヤと輝きながらも渋い色合いで、日本人の英知と奥ゆかしさを感じたりする。
吉富さんが次々と握り並べる鮨は、高さも幅もまったく同じで実に整然としている。だから同じネタでも微妙な表情の違いが浮き出てきて、まるでこれは一幅の絵画だ。
美しくて、旨くて、楽しい。
今日もシアワセな一日を過ごしてしまいました。