わたしたちの涙で雪だるまが溶けた<o:p></o:p>
-子どもたちのチェルノブイリ-<o:p></o:p>
(梓書院:1995年6月初版一刷発行。菊川憲司訳。チェルノブイリ支援運動・九州監修)<o:p></o:p>
抜粋による連載(第26回)<o:p></o:p>
【第四章 わたしは生きる 】<o:p></o:p>
私にふるさとを返して
ジアナ・バルイコ(女・十五歳)ミンスク経済中等学校九年
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覆いをはぎとられたこの世の神経は
あの世の苦しみを知っている
V・ビソツキー<o:p></o:p>
遠くで誰か家族の声がする。「息が苦しいよ。ラードチカ」
私は夢の中でつぶやく。「おばあちゃんなのね、行かないで、お願いだから。私はおばあちゃんが好きなのよ。もっともっといろんな話がしたいのよ」
「大地の揺れる音が聞こえるかい。ラードチカ」
「いえ、聞こえないし、何も感じないわ。私は今、病院の七階に寝てるの。ここの窓からは、煙があがっている工場の煙突と、屋根がのこぎりの歯のように連なった新築住宅が地平線まで続いているのが見えるわ」
「生きている者には、これがわからないのかい」おばあちゃんは、苦しそうに寝返りをうち、うめき泣きながら、そう叫んだ。
「おばあちゃん、生きていたの? 二年前に、ブラ―ギンの墓地におばあちゃんはまいそうされたんじゃなかったの」
沈黙があった。
「おばあちゃん、どこなの」 だが返ってきたのは、静けさだけだった。私は虚脱感に襲われ、はっとして目が覚めた。恐ろしかった。ドアのガラスのむこうの、長く暗い廊下の突き当たりではぼんやりとした明かりがぽつんと光っていた。町の上には、灰色の朝の光が上がってきた。<o:p></o:p>
われに返ったように、私はおばあちゃんを抱きしめようと、手を伸ばした。しかし、手に触れたものは、ガラスの壁だった。空気に突き当たったかのように感じた。
あの世のおばあちゃんと、この世の私をわけるガラスの壁だ。
「忘れないようにしてね、何もかも、覚えていてよ・・・・・・」
一九八六年四月の終わりのころ、大好きな猫がいなくなってしまった。そのときのことを私は今でもよく覚えている。五月のある非、私が家の外の椅子に座っていると、突然、白っぽく毛がぼろぼろになったものが、ニャーと物悲しく鳴いて私の膝にどすんと倒れた。
「うちのルイジューハじゃないのかい」 おばあちゃんが叫んだ。
「どうして。どうして、赤い色だったのに、白くなっチャったの」 私は聞いた。
「白髪になってしまったんだよ。なにか、恐ろしい、取り返しのつかないことが起こったんだよ」
私は猫を胸に抱いた。なつかしいにおいがした匂いがした。「ごめんね」 聞こえるか聞こえない程度の声でささやいた。
「私しゃもうすぐ死ぬ気がするよ。あそこにいたんだもの。おなかがものすごく痛いんだよ。あそこにいた人は、生きていけないのさ」
その時には、おばあちゃんが何故そういうことをいうのか、何もわかんなかったが、この世の裂け目の淵に立っているような気がした。私はその四月に全てが始まったことを、事故が起き世界が崩れていることを、何故、今まで知らなかったのだろう。<o:p></o:p>
一九九二年二月、私はブラ―ギンからゴメリの病院に送られた。病室の四人は全員同じ白血病患者だった。うち二人は忌まわしい死をやがて迎え、私とオーリャノ二人が残った。
ある日おしゃべりをしていた時だった。オーリャが突然顔を曇らせて、私に質問してきた。
「あなた、生きていたい? ラ―ダ」
私の両手は音もなくひざに落ち、目から涙がこぼれた。
「泣かないで、お願いだから。ごめんね、悲しませて」 オーリャは静かに言った。
「でも、私はあなたに何もしてやれないのよ。私はまもなく死ぬわ。どう思う、死ぬって怖いかしら。死っていろいろあるわね。楽な死もあるし、苦しい死もあるし。私を待っているのは恐ろしい死ね」
「そんなふうに言わないで」
「あなたは死なないわよ、聞いているの、オーリャ」 私は叫ばんばかりだった。<o:p></o:p>
真夜中、夢の中で、恐ろしい叫び声と医者の声がしたが、目wp覚ますことができなかった。朝になると、ベッドが一つ空になっており、私の中で何かが崩れた。私は何もたずねなかった。即座に全てがわかった。私は泣かなかったし、叫びもしなかった。うつろな目で天井の黒い割れ目をながめた。それは夜のうちに、以前より広がったように見えた。心配そうに、医者が私のところに二回も来た。看護婦さんも何度も来た。私には彼らの話は何も聞こえなかった。私は虚脱感に襲われていた。<o:p></o:p>
夜、突然、震えが始まった。冷や汗にぬれ、頭を枕にうずめていると、おし殺したおばあちゃんの声が聞こえた。
「泣いてごらん。楽になるよ」
私は子どもの頃のように奇跡を期待した。私の身に起こったすべてのこと、チェルノブイリの事故も、白髪になった猫も、いとしい人たちの死も夢であり、すべてが昔のままであってほしいと思った。
明日。十五歳にになる。今日、医者がなぜか暗い顔で私の退院を告げ、そして母は泣きだした。<o:p></o:p>
ブラ―ギンの家に帰った。母が自分の妹に男の子が生まれたので、行って支えてあげなければならないと言っていたが、私にはさっぱり分からなかった。「支える」とはどういうことなのか。赤ちゃんの誕生は、喜びであり、幸せなのに。そのうえ、おばさんのところは長いこと赤ちゃんを待っていたのに。赤ちゃんが生まれて一ヶ月半たった今、それがどういうことだったのかを初めて知った。
「がーリャ。ガ―ロチカ」
母はおばさんを抱きしめた。突然激しく赤ちゃんが泣きだし、おばさんはゆりかごから赤ちゃんをとりだして、抱いた。私はぞっとした。赤ちゃんの頭は開き、脈を打っているのが見えるのだ。私は外に飛び出し、暗闇の庭を走り抜けた。私はもう少しのところで気を失いそうになった。私たちに何が起こっているのだろうか。どこのどんな深い裂け目にころがっていくのだろうか。どうして、自らこの世の終わりに近づいているのだろうか。家の中では赤ちゃんがひっきりなしに泣いていた。この世に生まれたことを嘆いているかのように。<o:p></o:p>
私はそこから、町から逃げ出した。私にも何かが起こるのではないかという不安で、気がおかしくなりそうだった。私は野原に駆け込み、そこの冷たい、湿った土の上に倒れこんだ。大地がくやしさで叫び、泣いているのが感じられた。苦い涙が私の目から流れた。五月の苦い放射能の雨も、私と一緒に泣いた。私は暗いむなしさで叫んだ。
「私にふるさとを返して! はだしで草原を歩きたいわ」「湖の水を飲みたいわ」「きれいな土の上に横たわりたいの」「暖かい春の雨で顔を洗いたいの」<o:p></o:p>
神様。私の言っていることが聞こえますか。<o:p></o:p>
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【3月13日のニュース】
柏崎刈羽原発1・7号機で東電・政府が再稼働にむけたストレステストでつまずき!関西電力・大飯原発、四国電力・伊方原発の再稼働を止めて、運転原発ゼロに追い込もう!
3月13日、「地元の合意の前に4閣僚政治判断で運転再開・再稼働を判断し、最終決定する」と先日表明した枝野経産相が、停止中の柏崎刈羽原発1・7号機の再稼働のための東電のストレステスト結果報告に対して「大量の誤記載」の発覚に色を失い、東電をなじる会見を行った。枝野経産相は、「東電の作業の質全体に問題があったと疑念を抱かざるを得ない」とし、東電が再発防止策をまとめるまでは審査に入らない考えを示した。閣議後の記者会見で明らかにした。
東電報告書には、2月までに見つかった158カ所に加え、新たに81カ所の誤りがあったと原子力安全・保安院に報告。使用済み燃料プールへの注水機能を維持できる揺れの強さの計算ミスなども含まれ、デタラメは合計239カ所にものぼる。
枝野は会見で「誤りの数が桁違いで、内容も本質にかかわりかねない。安全性に対する企業姿勢について、しっかり見直す」などと言っているが、東電の最大原発電力である柏崎刈羽原発の再稼働にむけたなりふり構わぬ「急ぎ働き」の犯罪的なデタラメさは許しがたいが、枝野が東電をなじるのも、とんだお門違いというものだ。国策としてあくまで「再稼働」ごり押し強行を政府意思として表明し、東電を急かせ叱咤激励してきたのは一体誰なのだ。枝野が言っていることは、“4月には全国原発54基がこのままでは全部停止に追い込まれかねない中で、政府挙げて、再稼働強行へ舵を切っているのに、当の東電がすぐ露見するようなミスだらけのストレステスト報告書を出すような手抜きをやるとは何事だ”とあたり散らしているに過ぎない。
そもそも、この柏崎刈羽原発は、今回のストレステスト報告以前に、昨年3・11以来、保守点検を行わず、放置し続けている計器が704もあるのだ。
定期検査で停止中の原発は、1次評価結果について国から妥当との判断を受けることが再稼働の前提となっている。東電・柏崎刈羽原発の再稼働で政府・東電は(自失・・・私たちからいえば敵失で)窮地に立った。関電・大飯原発3・4号機、四電・伊方原発3号機の再稼働は絶対反対で闘いを爆発させれば阻止できる。再稼働阻止・原発全廃へ闘おう。