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広島の原爆被害者たちを看病した女性の話

2017-07-13 18:02:35 | Weblog
今日はコーラスの日で、重い楽譜の入ったリュックを背負って暑い中を出かけました。久しぶりで、友人たちも増え、仲良く挨拶を仕合、良い雰囲気です。

去年12月まで見えていた90歳の女性が、今年1月に1週間臥せっただけで亡くなったっとのこと。私はお顔は思い出せないのですが、確かあのあたりに座っていた方だなと思います。長患いなさらず、恵まれておられたと思います。

さて今日はコーラスを早めに抜けて、家の近くで毎週木曜日に元都議会議員だったかたのお宅である集まりに出かけました。

今日は講演会があったのです。講師は広島に原爆投下があったとき、15歳で山口の赤十字病院で看護学を学んでいた学生さんです。当時正式な看護婦は戦場に駆り出されておらず、まだ学生だった彼女たちが広島へと送られたのでした。投下後2日くらいしていたと思うと言われています。
広島の街は焼け野原であたり一面何もなく焼け焦げた死体や、まだ死にきれず水、水!と小声でつぶやく人々の焼け焦げた
体が横たわっているような状況だったそうです。

広島市は焼け野原だったので、少し離れ、焼け残っていた小学校を収容場所にして、板敷に毛布を1枚だけ敷いた上に被爆者を運び入れた。
当時は薬もなく、ヨードチンキを塗る位しかできなかったようです。目が目がと言う患者さんがいたので、目を開けてみたら眼球はなく、空いた穴にウジ虫がいっぱいいたのを1つずつ取り除いてあげるくらいしかできなかった。勇気がいったでしょうと思います。まだ15歳の少女ですよ。

一人また一人と収容した人々は死んでいった。もう一人の女性と看護していたそうですが、ある日来なくなったので聞いたら、突然毛が抜け、丸坊主になり、翌日多量の血を吐いて亡くなったとのこと。ショックだったでしょう。原爆にあっていたのですね。

まだ15歳に少女がこれだけの体験をしたら、どんなにかその後の人生に影響を与えたことでしょう。原稿用紙にすべてまとめて書いたのを読んでいらしたのですが、よくまとまっていて素晴しい表現力だと感服しました。

私たちは今また戦争をしかねない状況に置かれています。核兵器廃絶条約から抜けるような唯一の被爆国、日本。
今日の話を聞きながら、おかみは何を考えているのか?怒りがこみ上げてきました!