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(ども 火星人です。レイシストお断り)
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アベ君たちが好むものの一つに教育破壊が挙げられます。

なにしろ、学問・教養・知性が大嫌いのようですね。
強要は大好きみたいですが。

高校の社会の必修科目に「公共」というものが出来ることになりました。
いや、今の政権の間にこういう動きがあるともういかにも胡散臭そうですが、
例えば、自民党改憲草案
第21条2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
こんなふうになっていますね。
もちろんここは、「公益」ですから公共とは違うのですが、少なくとも現政権は区別ついてないですからね。何も。
そして文科省はこのところ一貫してバカですからね。

とりあえずこんな感じです。
「公共(仮称)」
例えば
(2)自立した主体として国家・社会の形成に参画し、他者と協働するために
ア 政治的主体となる私たち
イ 経済的主体となる私たち
ウ 法的主体となる私たち
エ 様々な情報の発信・受信主体となる私たち


気になるのはまず「国家」という言葉。社会だけで十分です。
「協働」というのもうざいです。
「近年、この協働の概念は日本の地方自治の分野で、まちづくりの取り組みに不可欠なものとして唱えられている概念のひとつである。」とwikipediaには書いてあります。

先生には政治的に中立であることを求めているわけですよね。
高校生がデモに出たり政治活用をする場合は届け出ろとかうるさいのに、なんですかね、「政治的主体となる私たち 」とは。
「私たち」が気になりますよね。
さらには「経済的主体となる私たち」。ここまで来るとうるさいですよね。

個人はどこに行ったのだ?と思ったら最初に書いてましたね。
「自立 資料12-1 した主体とは、孤立して生きるのではなく、他者との協働により国家や社会など公共的な空間を作る主体であるということを学ぶとともに、」と。
だから駄目なんだろうね、これ。

結局「個人」がないんですよ。
社会は何のためにあるかというと、個人のためにあるんですよ。
孤立して生きるのはこの狭い社会ではかなり無理があるとはいえ、全否定することではないですね。
そして徹底的に個人がない。
北欧の社会民主主義というのは、そもそもかれらが「個人主義」であることから出発しているわけですね。
それがこの公共では

※ 様々な主体となる個人を支える家族・家庭や地域等にあるコミュニティ
⇒世代間協力・交流、自助・共助・公助等による社会的基盤の強化

こうですからね。これは頭悪い。
個人を支えるのは家族らしいです(笑)
お前は日本会議か。
そして「自助・共助」が社会基盤の強化になるらしいです。
これだと確実に社会が主体で個人はそれを支える駒でしかないわけですね。
自助は自分のためであって社会のためじゃねーよ、ボケナス。

というわけで、やっぱり根本的に駄目でしたね。
家畜養成授業です。
これからこの授業を受ける生徒たちが不憫でなりません。
授業がただ退屈なだけならまだしも、虫唾が走るような内容なわけですからね。
この授業に眠気を感じるか憤りを感じるか、はたまた家畜精神を植え付けられるか、大きな分かれ道になりますね。

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