というタイトルからいきなり(少し)外れますが、結構前の話ですけど、ツイッターで「東大卒」とプロフに書いている立派な方がとても立派な発言をしているのを見かけました。
「一億総活躍社会」に、文句を言っていたわけです。もちろんそこまでは問題ないですが。
発言の一つは、「頑張りたくても体が動かないなどの理由で頑張れない人もいる。こういう人は支援しなければならない」というもので、これはまっとうですね。
あとがですね「競争が苦手な者、負け癖がついている者、こういう人は支援してはいけない」というやつ。
「あ~、東大出ると発想がこうなるのか。なんか最近こういうの多いよね」と思ったのですが、なんで「競争」なのでしょうかね。
「頑張る=競争する」って思ってしまっているこの発想がかなり残念なのですが、なんでこうなるのでしょうね。
頑張ることなんて競争だけではないですよね、どう考えても。というか考えれば考えるほど。
たとえば、受験なんて決められた通りの競争ですからね。
競争なんていうのは概ね決められたことに従っているわけですよね。
と、そこで本題です。
以前も書いたのですが、タイトルの件は新自由主的な発想の人たちが好む社会のことです。
彼らの好みは「競争をした→結果が出た→おれたち勝ち組、いえい!」ってとこですか。
まあ、無政府状態ならこれでいいでしょう。
そのあとどうなるかは神のみぞ知るです。
お金持ってたら襲われたりするでしょう。
全て自己責任です。
しかし、法律がある場合だとどうでしょう。
「競争をした→結果が出た→おれたち勝ち組、いえい!」までは同じでも、ここで、お金を持っていても襲われない社会を法で作ることが一応可能なわけです。
そうすると一度勝ち組になってしまった(この場合はおカネをたくさん稼いだ)人は、その法律に守ってもらえばいいということになります。
実際、そういうことになってますよね、新自由主義の社会では。
一応、アメリカや日本は、表向き法治国家で、人を殺したり怪我させたりお金やものを他人から盗んではいけないという程度の法律はありますからね。
ええと、長くなるので続きます。
これ書きかけのやつなんですが、なんか一度書きかけてから間あけると、ものすごくモチベーションが落ちて全然進まなくて参っております。


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