どうもPCの接続がおかしくて、この頃あまりネットにつなげてません。
それはともかく、最近、お金に関する悪い話題ばかりなので、お金について別の角度から考えてみようと思いまつ。
経済については「ど素人」以前の状態なのでどうなるかなあ。
お金を目当てに悪いことをしたりずるいことを考えたりというような風潮が嫌だと思う人は少なくないわけですが、そもそもお金を目当てにするという行為はありえるのだろうか。
お金を得るためにお仕事をするというのは、至極当たり前になっているけれども、それって当たり前でいいのだろうか。
そもそも人類が地球に登場したとき、お金は無かったのだ。
でも、生きていくことはには問題なかったわけでつ。(あたりまえだw)
ではお金は何のためにできたか。
ぼくの中学校の時の社会の先生は教えてくれなかったぽこ。
というわけで自分で考えてみませう。
お金というのは時代と共に形態が変わっているでつが、これは、どのような形態になってもお金として存在できるということなわけでつ。
それはどういうことかというと、つまりお金というものは実態を持たないわけでつね。よ、お金、かこいー。
お金はどういうふうに生まれたか考えてみませう。
今はお金でものを買ったり労働力を買ったりしていまつが、そもそもお金が無い時はどうしていたのだろうか。
もちろん、物々交換でつね。労働っていうものがいつ生まれたのかが分からないので(つまりお金より先に生まれたか後に生まれたかがぼくには分からない)、ここは物のほうだけ考えます。
海の近くの村に住んで魚をとったり塩を作るのが上手な人と、山のほうに住んで、獣を捕まえたり野菜をとったりする人がいて、彼らがどこかで出会えば、お魚や塩とお肉や野菜をお互いに少し欲しいと思うはずだ。
そこで物々交換するがはじまるわなー。
交換率はお互いに自由に決めるでしょう。
ところがいつも、そのものが十分にあるわけではない。
今、自分の持っているものを相手が希望するとは限らないし、自分の欲しいものを相手があまり持っていない場合もあるわけでつね。
ある年は不作だったり豊作だったり、不漁だったり豊漁だったりするわけだ。
そこで便利なのが、中間媒体だべさ。
おっとここで考えることがあったでつ。
それは、昔のお金はそれ自体に価値があったということでつね。金(gold)や宝石などを使ったりしてましたね。(そうでないのもあるけど)
それ自体に価値があって、もともと中間媒体とはいえないもの、つまりもともとは物々交換の対象だったものが、お金としての意味を持ったわけでつ。
これは、ずっと残って腐らないものだということでしょうか。
今年稼いだお金は来年以降でもつかえる、これですね。
単なる物々交換よりも長期的に有効なもの、それがお金なわけだ。おー、お金マンセー!
といいつつあとは自戒に。じゃなくて次回に続きます。
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