BS見てたら、グールドがでてた。(・∀・)ニヤニヤ
1957年、もちろん冷戦下のソ連にグールドが自分から志願していったのでつ。
ギレリスやオイストラフが北米に行って演奏会をやったのに北米からは誰も行っていないからという名目で行ったらしい。
ゴールドベルク(その1)でデビューして間もなくのことで、ソ連では誰もグールドのことを知りませんでしたとさ。
当時のソ連は、宗教が駄目駄目君だったので、ソ連の人たちは基本的にバッハも聴けなかったのでつ。
もちろん、音楽家や音楽を勉強している人たちは知っていましたが。(そりゃそうだ。バッハを知らんで音楽の勉強もないもんだ)
そして彼のモスクワデビューの日、演奏会の曲目は「フーガの技法」
はっきり言ってこの曲、長いしつまらん。大胆にも程がある。
コンサートホールは半分も埋まっていなかった。好奇心のある演奏家や音楽学校の学生だけが聴きに行ったのら。
さて、青白い顔をした青年(24才)が例の異常に低い椅子に座って演奏が始まると、そりゃあもうみな驚きまくり。
聴きに行った人たちの多くがグールドを宇宙人だと思ったそうだ。「地球人にはこんな演奏は出来ない」というのがその理由。
アシュケナージもそう思った。(本人談)
さて、「フーガの技法」の演奏は長く、途中、かなりの休憩時間があった。
演奏を聴いた人たちは電話口に殺到。
知り合いに後半だけでも聴きにくるようにと伝えるためなのら。
というわけで、後半は大入り満員。
演奏終了後はリヒテルが長々と拍手していたそうでつ。
その後の演奏会では、ゴールドベルクをやったということで、こうなるとモスクワの人たちが大熱狂したことは誰でも予想できちゃうわけだにゃ。
(といってもあまり大騒ぎできなかっただろうけど。ソ連だから)
基本的に演奏を聴いた人たちの口から出たのは「奇跡」という言葉でした。
そのあとベルクなどの演奏やレニングラードでの演奏会の話も続くんだけど、こりゃいわんでもいいやね。
グールドはソ連にはかなりこだわりがあったらしく、芸術が軽んじられているということでソ連に抗議したそうだ。
ソ連の国民がそんなことしたら大変なことになっていただろうけど。(ソ連だから)
カナダ人でよかったね。
アシュケナージとかロストロポーヴィッチとか話してて面白かったずら。
(グールドはあまり出てこなかったけど)
リヒテルの言葉
「私はグールドのようにバッハを上手に演奏することが出来るよ。でもなぜしないかというと、そうするにはグールドのようにたくさん練習しなければいけないからさ」
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