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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

白雲楼、起雲閣「日本タイプライター」(28)再建整備計画(12)日本レミントン

2005年09月13日 13時18分02秒 | 延命順作

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

日本レミントンランド再考(5)ノンホイマン式コンピュター第一号機が開発されたのは、1949年であり実用計算機もレミントンによって発売されている。日本の最初ノミントンのユーザーは東京証券取引所であり、ついで野村證券であり、本来なら日本タイプがその導入をする立場にあった。これは昭和28年頃であり、父もその将来性を考えて、証券などの印刷との融合を考えていた。しかし日本タイプの取締役は、父の子供に会社を渡してなるものかと、レミントンのコンピュターの導入に反対した。しかしコンピューターはその後どんどん日本の国鉄や諸官庁に導入され出したのである。ここで三井物産に戦前からレミントンのパンチカードシステムを扱っていた吉沢審三郎氏が日本レミントンに取締役とした入ってくるのである。しかし日本タイプの取締役達は皆反対し、同士を追い出してしまうのである。延命順作の発言である会社をぶっ潰すの言葉どうりいかにして会社を私物かし、会社を倒産させる事のみを考えて取締役達は仕事をしていた。従って日本文化の元である漢字のデジタル化については考えようとしなかたのである。日本タイプは戦前から漢字の電信化に成功しており、父はコンプーターとオフセット印刷の融合化を考えであたのである。これが証券業界のコンピュタ化につながるのである。しかし日本タイプの取締役は自分の会社に対する業務を怠り、資産の売り食いのみ考え会社を発展させる義務を放棄していたのである。このブログの写真はユニシスの日本語処理機である。


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