財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
日本レミントンランド再考(16) ビル・ゲーツは当初インターネットがこんなに流行るとは夢にも考えなったらしい。事務機器と通信の融合は此処10年の間に急速に発展した。前のプログで述べた様に日本タイプは昭和11年に「印字電信装置」及び東洋文電送タイプライターの発信、受信装置のの特許を取得しており、今日のあるのをを予測していたのである。紙テープに鑽孔して、電送するシステムである。戦争に入ってからは戦前においてはタイプは小型化され、バッグの中に入れて運ばれた。戦後はテープ式自動モノタイプが日本タイプから出され,朝日新聞や大手印刷会社にに採用された。これによって文選の工程が機械化されたのである。この装置が電信に送られれば、新聞社での文選の作業を全社をとうして相当合理化されたのである。情報交換用の文字コードの体系は、昭和37年アメリカ規格協会で定められた。128文字のローマ字、数字、記号,制御コードで構成されている。日本ではカナ文字を収録したコード体系が「JIS X 0201」として規格化されている。漢字がコンピュターで扱えるようになったのは、昭和45年である。父がアメリカのレミントンランドとの合弁をかんがえたのは当初、オフセット印刷機であり、漢字とコンピュターの融合であった。パソコンとの融合はICの発達によりここ10年ぐらいの間で可能となり、インターネットの発達は目覚しいものがある。父はこの様な時代を想定して、日本レミントンランド株式会社を創立したわけである。プログの写真は戦場での和文タイプ