私が何故これまで50年間も、脳の神経に悩みながら其の原因について解明できなかった経緯をこれまで説明してきた。 昭和26年父が亡くなってから、毎晩夕食の際味噌汁の中に毒薬の粉薬を入れられ、其の年の秋ごろより私の脳髄脱鞘が起こり、頭の思考力や感覚が異常になってきた。参考記事 ( 成人での脱髄は多くの神経疾患でみられ,局所損傷,虚血,毒物,代謝疾患による神経またはミエリンの損傷に起因する。通常,広範囲のミエリン消失に続いて軸索変性としばしば細胞体変性が発生し,どちらも非可逆的なことがある。しかし,多くのケースでミエリン再生が生じ,神経機能の修復,再生,および完全回復が急速に起こる。回復はしばしば多くの末梢神経障害の特徴である節性脱髄後に生じ,この過程は多発性硬化症の再燃および寛解の説明になることがある。) 学校の同級生で今まで知らなかった人物がここで登場する。 其の男が急にこの頃私に私に接近、金沢国立病院で鼻の手術を受ける事を執拗に勧めてきた事は何度も記述した。私はそのころ上記の様に脳髄神経の脱髄が起こり、頭が狂いだし、困っていたのである。 この中村某とは上戸小学校の裏にある真言宗の坊さんで、金沢国立病院の鼻の手術台の上に上がって初めて手術する医師が実は、この坊さんである飯田高校の国語の先生をしていた臨時教師中村晃章であり、種村龍夫院長に代わって手術することとなった真言宗の寺の坊さんであり、医師の国家試験に落第し、飯田高校の国語の教師を勤めていた。 しかもこの男は私が預けられた家の弁谷栄と、父の株の名義を入手すする手続きについて話をしているのを、私が見ていた事をこれまでのブログで書いた。 私の父は苦学生を援助するために、康楽寺財団の金の一部を教育育英に資する事にしていたのである。 其の育英事業の手続きを、私が預けられた家の主人が代理でおこなていたのである。従って地元の教育委員会にたいして強力な力を掛ける事が出来、この偽医師が高校の当初は臨時採用されその後正式に採用されたのであろう。従って授業は下手糞で全然聞いていても、勉強の意欲が沸かなかった。このような国語の講師を戸籍上の父が採用させた理由は、私の鼻を手術させる事にあったのである。 其れまでは実に立派な国語の先生が居て、大変ためになる授業を受けたいたが、何故か急に転校していった。私は非常に残念な思いをした。 もう一人は英語の先生で、全然英語の素養が無く、間違ったことを教えるので、私がいつも訂正を先生に求めた。 毎回の授業で私が口をはさむ物だから、先生もやり難かったと思うが何故かだまって私が口を挟むことが慣例となってしまった。 何故このような事になったのか分からないが、もう一人英語の先生がいて、高岡商業を出て、私の預けられた家に、先生一家が下宿していたが、私はこの先生に家で習った事は無く、私が高校に入った時、この先生が何故か一年生に一律に英語の試験をしたことがあった。其の時私は95点を取って皆が驚いていた。 二番目が65点であり、私がこの先生に教えてもらったとの話が教員室で話され、当の菊池先生は必死に否定していた。この先生が私の授業を受け持っていたなら、上記のような不様な英語の授業にならかかったのに、この菊池先生の担任には私が高校3年になるまで無かった。其の時は鼻の手術の後で、お前は高校1年の学力のまま止まっているとよく言われた。この英語の先生はお前が鼻の手術をした後、成績が落ちたことを強調していたが、其の事を授業の際、皆の前でよく話していた。この先生も転校していき、後に石川県教育委員会の委員となっていた。 白雲楼に宴会でよく来ていたようで、当時白雲楼に勤務していた貞造にしつこく其の事を追及していたようである。貞造は其の事で大分困ったようであるるが、菊池先生が私に連絡していないか確かめるように、先生が白雲楼でしつこいので困っていると話しものである。しかし菊池先生の話の内容には触れなかった。私の鼻の手術をした後、この偽医師の国語の先生が私の担任になり、私を執拗に鼻の手術に誘った浜谷徹夫を私の横に机を並べさせたのである。 私をいかに馬鹿扱いしていたか分かるであろう。私の頭脳は利根川博士の理論では修復できない事を、この偽医師や戸籍上の父親がよく知っていたからである。父の康楽寺の財団の資金が奨学金として、石川県の教育委員会に与えられたことが、私の戸籍上の父が飯田高校に采配を振るった背景である。 当時の石川県の教育委員長は坂本三十次氏であり、日本観光が倒産する際、別の日本観光を作り、ゴルフ場開発の免許を坂本氏に頼み許可をえたのである。 この別会社を作らなければ、当時の重役連中は皆背任罪に問われ、禁固刑を食らっていたであろう。 しかも許可を受けたゴルフ場がもう一つあり、今開業しているが、こんな田舎に二つものゴルフ場が成り立つわけが無いのである。しかもこの別会社の日本観光は熊谷組に20億円の保証を得て設立されたのである。
このゴルフ場とは坂本氏の地元である、能登穴水である。
熊谷組は現在は破綻して銀行及び国家管理になっている。
坂本氏は元衆議院議員で海部内閣の官房長官であった。第二次中曽根内閣で 労働大臣を勤め、三木派であったが、日本観光の首脳陣と関係の深かった中曽根氏と接近したのである。
中曽根氏の縁戚である群馬県のプラスが日本観光の大株主となったり、日本タイプの大株主となっていた。その倒産やキャノンえの身売りに深く関与していたと思われる。
勿論ゴルフ場の日本観光は開店休業中で、本体の日本観光が破産宣告を受け、白雲楼が解体された今も別会社として存続している。今開業しているゴルフ場は中曽根系と言われている。