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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

利根川進博士の理論(3)

2007年12月19日 10時26分18秒 | 鼻の手術

私が何故これまで50年間も、脳の神経に悩みながら其の原因について解明できなかった経緯をこれまで説明してきた。 昭和26年父が亡くなってから、毎晩夕食の際味噌汁の中に毒薬の粉薬を入れられ其の年の秋ごろより私の脳髄脱鞘が起こり、頭の思考力や感覚が異常になってきた。参考記事  ( 成人での脱髄は多くの神経疾患でみられ,局所損傷,虚血,毒物,代謝疾患による神経またはミエリンの損傷に起因する。通常,広範囲のミエリン消失に続いて軸索変性としばしば細胞体変性が発生し,どちらも非可逆的なことがある。しかし,多くのケースでミエリン再生が生じ,神経機能の修復,再生,および完全回復が急速に起こる。回復はしばしば多くの末梢神経障害の特徴である節性脱髄後に生じ,この過程は多発性硬化症の再燃および寛解の説明になることがある。)  学校の同級生で今まで知らなかった人物がここで登場する。 其の男が急にこの頃私に私に接近、金沢国立病院で鼻の手術を受ける事を執拗に勧めてきた事は何度も記述した。私はそのころ上記の様に脳髄神経の脱髄が起こり、頭が狂いだし、困っていたのである。 この中村某とは上戸小学校の裏にある真言宗の坊さんで、金沢国立病院の鼻の手術台の上に上がって初めて手術する医師が実は、この坊さんである飯田高校の国語の先生をしていた臨時教師中村晃章であり、種村龍夫院長に代わって手術することとなった真言宗の寺の坊さんであり、医師の国家試験に落第し、飯田高校の国語の教師を勤めていた。 しかもこの男は私が預けられた家の弁谷栄と、父の株の名義を入手すする手続きについて話をしているのを、私が見ていた事をこれまでのブログで書いた。 私の父は苦学生を援助するために、康楽寺財団の金の一部を教育育英に資する事にしていたのである。 其の育英事業の手続きを、私が預けられた家の主人が代理でおこなていたのである。従って地元の教育委員会にたいして強力な力を掛ける事が出来、この偽医師が高校の当初は臨時採用されその後正式に採用されたのであろう。従って授業は下手糞で全然聞いていても、勉強の意欲が沸かなかった。このような国語の講師を戸籍上の父が採用させた理由は、私の鼻を手術させる事にあったのである。 其れまでは実に立派な国語の先生が居て、大変ためになる授業を受けたいたが、何故か急に転校していった。私は非常に残念な思いをした。 もう一人は英語の先生で、全然英語の素養が無く、間違ったことを教えるので、私がいつも訂正を先生に求めた。 毎回の授業で私が口をはさむ物だから、先生もやり難かったと思うが何故かだまって私が口を挟むことが慣例となってしまった。 何故このような事になったのか分からないが、もう一人英語の先生がいて、高岡商業を出て、私の預けられた家に、先生一家が下宿していたが、私はこの先生に家で習った事は無く、私が高校に入った時、この先生が何故か一年生に一律に英語の試験をしたことがあった。其の時私は95点を取って皆が驚いていた。 二番目が65点であり、私がこの先生に教えてもらったとの話が教員室で話され、当の菊池先生は必死に否定していた。この先生が私の授業を受け持っていたなら、上記のような不様な英語の授業にならかかったのに、この菊池先生の担任には私が高校3年になるまで無かった。其の時は鼻の手術の後で、お前は高校1年の学力のまま止まっているとよく言われた。この英語の先生はお前が鼻の手術をした後、成績が落ちたことを強調していたが、其の事を授業の際、皆の前でよく話していた。この先生も転校していき、後に石川県教育委員会の委員となっていた。  白雲楼に宴会でよく来ていたようで、当時白雲楼に勤務していた貞造にしつこく其の事を追及していたようである。貞造は其の事で大分困ったようであるるが、菊池先生が私に連絡していないか確かめるように、先生が白雲楼でしつこいので困っていると話しものである。しかし菊池先生の話の内容には触れなかった。私の鼻の手術をした後、この偽医師の国語の先生が私の担任になり、私を執拗に鼻の手術に誘った浜谷徹夫を私の横に机を並べさせたのである。 私をいかに馬鹿扱いしていたか分かるであろう。私の頭脳は利根川博士の理論では修復できない事を、この偽医師や戸籍上の父親がよく知っていたからである。父の康楽寺の財団の資金が奨学金として、石川県の教育委員会に与えられたことが、私の戸籍上の父が飯田高校に采配を振るった背景である。 当時の石川県の教育委員長は坂本三十次氏であり、日本観光が倒産する際、別の日本観光を作り、ゴルフ場開発の免許を坂本氏に頼み許可をえたのである。 この別会社を作らなければ、当時の重役連中は皆背任罪に問われ、禁固刑を食らっていたであろう。 しかも許可を受けたゴルフ場がもう一つあり、今開業しているが、こんな田舎に二つものゴルフ場が成り立つわけが無いのである。しかもこの別会社の日本観光は熊谷組に20億円の保証を得て設立されたのである。
 このゴルフ場とは坂本氏の地元である、能登穴水である。

熊谷組は現在は破綻して銀行及び国家管理になっている。

坂本氏は元衆議院議員で海部内閣の官房長官であった。第二次中曽根内閣で  労働大臣を勤め、三木派であったが、日本観光の首脳陣と関係の深かった中曽根氏と接近したのである。

中曽根氏の縁戚である群馬県のプラスが日本観光の大株主となったり、日本タイプの大株主となっていた。その倒産やキャノンえの身売りに深く関与していたと思われる。

勿論ゴルフ場の日本観光は開店休業中で、本体の日本観光が破産宣告を受け、白雲楼が解体された今も別会社として存続している。今開業しているゴルフ場は中曽根系と言われている。  


利根川博士の理論(2)

2007年12月14日 14時10分25秒 | 鼻の手術
先に脱髄症状と免疫システムについて述べた。二人の医師が私の顔を見ながら、通り過ぎた何の変哲も無い話である。 しかし私にとってこの事が重大に意味を持つ事になる。金沢の国立病院で私は鼻の手術の際脳天を強打され、利根川博士の理論が働かなくなった事を話した。 ここでは何故眼科医が登場するのかについて述べるものである。慶応の細菌研究所を卒業し、監獄の医師としてまた、中国の衛生研究所に勤務して、帰省して開業した内科医は脱髄を起こし、人間を痴呆にする薬を調合し、それにどのような刺激を与えても決して目覚めない麻薬を調合したそしても、利根川博士の証明した免疫システムが働くはずである。 ここに眼科医の必要性が出てくるのである。眼科医は顔、頭の構造について詳しく知っているはずである。眼を手術する時どうしても脳の深部に関連するからである。 私の手術をした医師は偽医師であり,彼が私を手術する際横に種村院長が付いていないと手術できなかったのに、三回目の手術のさい、私を眼科医の診察台のようなところに座らせ、散髪の際髭をそる形で、顔の皮膚を剥がし、上顎洞裂孔を砕いてメスで私の脳天の強打を何度か繰り返したのである。この時は種村龍夫院長が居ないだけでなく、看護婦も付いてなく、この偽医師中村晃章が一人でこの行為を行ったのである。 鼻の手術の際種村医師の指示に遵わなければ手術が出来なかったのに、今回な何故一人でこの行為を行う事が出来たのか! 其れは眼科医から詳しく脳を強打する方法をこの偽医師が学んだからである。眼科医はこうゆう事をすることは朝飯前であろう。偽医師はこの脳強打の行為を難な実に手際よく行ったのである。(実はこお偽医師は731部隊で実験を行ってきたこたが後で分かった) この親戚の眼科医は婿入りであったが、眼科病院を経営しており、金持ちであった。ただ博打が大好きでヤクザの出入りもよくあり、直ぐカットなる様であった。私の預けられた家の横で、大きな眼科病院を開いていた。 私はこの預けられた弁谷家でその頃突然トラコーマに掛かり、この眼科医からたっぷりと、鼻痰疽菌を振りかけられたのである。預けられた弁や家と同じく金のためなら何でも行う医師としての失格者であた。ノーベル賞を受けた湯川博士とは親戚関係とのことであった。湯川博士をいえば理研で武見太郎と一緒であった。武見太郎と言えば私の父の主治医であったので、なんとも不可解な気持ちにさでられるのである。

利根川進博士の理論

2007年12月12日 11時24分02秒 | 鼻の手術

1987年ノーベル医学・生理学を受賞した同氏の理論によると外部から進入する各種の病原体から身を守るため免疫と言う複雑な防御システムを分子生物学の立場で解明したのである。どのような外敵に対してもピッタリとした抗体が作られ、その為には何百万種類もの抗体作る事が出来ることを発見したのである。そこで思い出すのは私が鼻の手術で脳天を強打されたがその目的はモヤモヤ病だけでなく、利根川博士の免疫理論が働かなくする為であることが分かった。人間には免疫防御システムがあるでで、毒部がが入って神経が障害されても、自然に回復するのが普通である。が、その働きを妨害するために、鼻の手術の際メスで脳天を叩いたのを思われる。私は脳天を強打される前に、薬物で脳神経のニュウロンの髄鞘の脱髄をきたしていたのである。ニューロンに流れる電気信号が漏電し正常に流れなくなり、その為痴呆症を呈する事になるのである。本来なら髄鞘は自分で修復し再生が出来、神経機能が正常に戻るのである。これは利根川博士の理論が証明している。 しかしこの理論である免疫が機能しなくすると、髄鞘のしたにある神経線維が破壊され神経が基の状態に戻る事ができなくなる。
それだけではなく、逆に自己免疫疾患をおこし、反って病気が悪くなるのである。このことは桜井能忠の妻と私の戸籍上の母た、手術後は病気が悪化すると話をしていたのを、私がたまたま聞いたのである。当時はまさか私のことを話しているとは夢にも思わなかった。二人は私に話を聞かれた吃驚した様子であった

 私は晩食の味噌汁の中に薬物を入れられ、高校1年の春頃より夜7時になると眠くてたまらず就寝したが、夜は強烈な性的興奮を覚えたが決して眼が覚めることはなかった。 その秋ごろより症状が出始め、頭から顔にかけて焼け付くような痛みを時々感じるようになり、思考力を失い非常に疲れやすくなったのである。勉強する気力を喪失していた。これが脱髄が起こったことを意味し、つまりニュウロンから流れる電流が髄鞘で電流がもれ短絡していたのである。このままであると利根川博士の理論で、病原に対する抗体が出来、完全治癒が突然おこるのである。 そこで私の学校のある人間が執拗に鼻の手術をせまるのである。それについては以前のブログで詳しく記述した。同級生の浜谷徹夫なる男が執拗に私に鼻の手術を迫るのは、この事件の2ヶ月から3ヶ月後の事であり、今回の話は私が白痴状況になった当初でであり、つまり薬の効果が現れ始めた頃である。私はいわばカラクリ人形のようなもので、云われたままに行動するようになってからのことで、その年の初秋のころ家の玄関に立って外を見ていろと言われ、其の通りにしたのだが、其の時二人の医者が私の顔を見ながら歩いていった。 ただ無言で私の顔を見ながら歩いていっただけである。二人は同時ではなく一人一人歩いていったのであるが、この意味は何か分からないが、私の症状を顔で確認するためだったのであろう。一人の医師は金沢大学の医学部を出、慶応大学の細菌研究所に研究し、海外の衛生研究所に勤務の後,帰省して開業した医師で、もう一人は眼科医師であった。この二人が私が飲んだ毒物を調剤したのであろう。二人が歩いていった方向は竹端家の方向であった。勿論皆縁戚同士である。 下記関連記事so-net2007年12月11日の記事は、 父の鎌倉の土地に関した記事であるが、其の主役井上きく(本名 幸)は戸籍上の母の妹であるが、父を生涯恨み続け、私と実の母との関係に金を配り邪魔だてをおこなったのである。また上記の慶応大学細菌学部を卒業した医者とは義兄弟の親戚関係であり、これまで述べた地元の有力者益谷秀次とも縁戚関係においても深い関係があった。http://blog.so-net.ne.jp/hakuun_r  鎌倉の土地と六本木ヒルズの関係