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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

白雲楼、起雲閣「日本タイプライター」(30)再建整備計画(14)日本タイプの特許

2005年09月19日 14時05分11秒 | キャノン

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

日本レミントンランド再考(7)之までも述べたように、日本レミントンは契約上は20年の期間があり、英文タイプライターその他の事務機器の製造、販売であり、会計機や計算機、書類のファイル用機器を日本国内の製造、販売の独占権を有していた訳である。事務機器の将来について日本タイプの取締役連中は、なんの見通しも持っていなかった。私が日本タイプに入社した当時は、日本では会計簿記の機械や計算機を製造販売しているところは一社も無かったのである。日本タイプはこれ等の製品に一顧だにせず、日本レミントンをタイプビルより追い出したのである。その間に三井物産と東芝がレミントン・ユニパックと日本ユニパック株式会社を設立したが、昭和45年まで日本タイプとの契約があるため、正式なものでは無かった。そのうち東芝がアメリカのGEとの関係で、レミントンとGEは競合関係なのでレミントン・ユニパックから脱落したのである。IBMが猛烈にレミントンを追撃し日本市場においても、先頭に立っていた。事務機としての日本市場に於ける日本タイプの力には、三井物産は到底及ばなかった。しかし肝心の日本タイプの取締役は、今の地位に連綿として進歩性が無かったのである。しかし日本タイプは先進的技術を有しており、茨城に大工場を建て日本ビクターに工場をレンタルしていたのである。日本タイプは戦前より光の先進的技術を研究しており、その技術を応用したものである。キャノンが日本タイプを濡れ手で粟で入手したのも、この茨城工場の魅力である。現に日本タイプがなくなり、キャノン・セミコンダクターとなったのも日本タイプの技術があってからのためである。技術が実用化されるまでには延々たる年数が必要であるが、基本となる技術の特許が最後にものを言うのである。この技術が日本タイプにあったのである。単なるタイプライター屋では無かったのである。この小型和文タイプは柳田良作氏の発案により政策、販売されたが、時代は変わりつつあった。


白雲楼、起雲閣「日本タイプライターライター」(16)取締役会の議決権

2005年08月21日 10時55分02秒 | キャノン

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

日本タイプの崩壊(16)昭和60年7月19日の日本タイプライター株式会社の取締役役会でのキャノン販売えの株式売却決定の無効について 桜井繁雄、桜井清次、桜井能唯各取締役、監査役太田秀雄等の退任に伴う、株式のキャノンえの売却決定は無効である。日本観光株式会社は日本タイプライター株式会社の親会社である。資本的にも人的支配においても、日本観光株式会社は日本タイプライター株式会社の親会社であることは富士銀行をはじめ三和銀行の取引会社であえり大株主も認めるところである。ところが昭和47年12月20日株主総会を開き、日本タイプライター株式会社にたいして増資新株発行を行う事を決議した。それと同時に資本金一千万円を1千八百万円に無償増資し、総額二千五百万円とするこ事を決議した。即ち日本タイプライター株式会社に対して、700万円14万株の第三者割り当てを行なった。総株数50万株に対して子会社に14万株を発行することにしたのである。この比率は子会社である日本タイプライター株式会会社の親会社日本観光株式会社の持分比率はなんと28%である。子会社が親会社の株式を所有することは商法で禁止されているところである。これでは親子関係である親会社が子会社を支配する権限を放棄したのも同然である。しかし表題の日本タイプライター株式会社の取締役会はキャノンに日本タイプライター株式会社を売却する決議をしている。お互いに四分の一以上所有している会社は、お互いに相手の会社の決議権を失うのであるから、日本タイプライター株式会社は日本観光株式会社の大株主であり、取締役は日本観光株式会社の取締役であり、日本タイプライター株式会社を支配しているのでるから、上記取締役会の決議は無効であり、このの取締役会の決議に従い、日本タイプライター株式会社を買収したキャノンの行為は無効とならざるをえない。表面上は業務提携であるが実質は買収である。キャノンはこのブログの写真で示すように日本タイプの株式を200万株取得している。その中身は日本タイプ代表取締役桜井繁雄の株式と日本観光名義の株式である。


日本タイプライター株式会社延命社長

2005年05月19日 10時35分42秒 | キャノン

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

私の父と堤康次郎氏の関係の項で述べた様に、父の後継人達は戸籍上の妻子を相手に訴訟を起し、父から名義人として預かった後継人の名義株を全て自分のものにしてしまった。 日本観光株式会社だけでなく、日本タイプライター株式会社の名義株の全て自分のものとした。日本タイプライター株式会社は昭和57年頃までは120億の売り上げを維持していたが、この裁判が決着してからは、急に売り上げが、下落その売り上げは数分の一に減少、大赤字となり大阪駅前にあった同社所有の広大な土地を、株主である丸紅に売却したのである。 それと同時にキャノンと業務提携と称して、父から名義を預かっていた桜井繁雄、桜井清次、桜井能唯や日本観光名義であった株式合計200万株をキャノンに売却、当時資本金6億5千万の株式千三百万株の15%をキャノンが取得、、キャノンのみに増資を繰り返し、数億だった資本金が見る見る数十億の資本金となり、キャノンが全ての増資を引き受けて、日本タイプライター株式会社の膨大な土地資産や各種特許を取得したのである。今では日本タイプライターの社名さえ無くなり、その膨大な土地資産はキャノンの不動産会社のものとなったのである。 日本タイプライターは戦後、三和銀行より莫大な借り入れにより、旧勘定を処理して、再建されたのであり、従って三和銀行が大株主であった。この写真は父が亡くなった直後、社長に延命氏が踊りでた時のものである。左側が日本remingtonの社長である。 私は延命氏が能登に引っ込んでいた頃、同氏を訪ねた事があった。私はそのころ未だ記憶が戻ってなく、母親を探していた。それで延命氏に母親の所在を尋ねに行ったのである。同氏は私の話をじっと聞いていたが、帰りがけにもうこれ以上母親を探すならば会社をぶっ潰すと意気込んで言ったものである。私は呆れて同氏の家を後にした。