財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
父の持株会社は北陽産業株式会社であったが、戦後の持株会社排止令により、北陽産業株式会社はその持ち株を子会社の経営者の名義株とし、戦後の経済の疲弊から立ち直りつつあった昭和25年頃より父の悲観であった大東亜寺から寺号を変えた康楽寺の本殿の建築に掛かる予定であった。 完全子会社は日本観光株式会社、日本タイプライター株式会社、北辰化学株式会社、北陽土地産業株式会社等である。今回は北陽土地産業について述べる。 昭和初年世界経済が破綻し、日本にも押し寄せてきた頃である。現在もその不況の波から逃れられないいでいる平成不況と同じで、土地神話が崩壊、株式の大幅な下落に伴い20年近く未だその影響から脱し切れないでいる。 昭和初年頃も同じであり、時の三井、三菱をも凌駕すとまで云われた鈴木商店が崩壊した。これが台湾銀行の破綻になった。この時活躍したのが父の所属する民政党であり、父はその幹部として対策に当たったのである。 一方土地長者で三菱、三井に劣らぬ土地を東京に持っていた土地長者が、浜口内閣の片岡蔵相の失言で、全国で銀行の取り付け騒ぎが発生、その土地長者の銀行が震源地であったため過剰に融資していた土地長者の銀行は破綻し、日本橋界隈に持っていた土地を手放すことになった。 しかしあまりに膨大な土地資産であってので、いっぺんに放出すると経済が混乱する。父は第一次大戦時代にソーダ業界で、莫大な儲けをしたのである。丁度この頃父は日本橋で化学会社を経営していた。ソーダの輸入が途絶えたので、ソーダ会社をおこしたのである。父はおもてには現れなかったが、同郷の志と計らい大会社に後に成長する。父はその資金で国の債券を買い、一部昭和不況で倒産した土地成金の土地の手当てを行い、破産した不動産成金の更生会社会社を設立、広島県で土地の造成工事を行っていた・当時は山陽土地株式会社で昭和2年設立であった。この会社が北陽土地産業株式会社の前身で、日本橋界隈の土地を随分と持っていた。この土地がプログの写真の土地であり、現在新八重洲ビルデングとなっているUFG銀行の入っている土地である。プログの土地は現在の所有者に譲渡をしている。当初日本タイプのビルを新八重洲ビルの土地で建てる予定であったが、日本経済の回復が出来た頃と考えていた。現在の日本タイプの土地もこのような形で入手したもので、安田信託の不動産子会社日本橋興行の名義となており、徐々に日本タイプの土地名義になっていくのである。それを管理していたのが北陽産業株式会社を贈与された弁谷栄で昭和29年に亡くなるとその子供である弁谷貞造が引き継いだ訳である。起雲閣、白雲楼の土地もおなじであるが、土地の管理権は持っていてであろうが、所有権はない。従って抵当権の設定は出来るわけがないのである。所有権は父が持っていたからである。