財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
日本レミントンランド再考(11)
三井物産が解体されたのは昭和22年7月3日である。昭和25年に三井物産第二会社として日東倉庫建物株式会社が設立せられ、昭和27年に三井物産株式会社を称号変更する。第一物産と三井物産が合併するのが昭和34年2月である。第一物産が昔の
レミントンランドの統計機を輸入していたのである。
しかしその時は既に日本レミントンランド株式会社の日米合弁会社が出来ていたのである。
三井物産が戦前レミントンランドを取り扱っていたとは云え、単なる輸入である。合弁会社とは違う。
戦前にあった合弁会社といえば日本NCRである。戦時中は敵性財産として没収せられ日本側が運営をしていた。
レミントンランドの統計機は吉沢審三郎氏が吉沢会計機株式会社を創って、統計機のアフターサービスを行なっていた。同氏が日本レミントンランド株式会社に取締役として入り、コンピューターの体制が出来ていた。
昭和34年になって、第一物産が三井物産と合併してコンピュータに参入してきたのである。といううより日本タイプはこの部門に手を付けなかったのである。吉沢会計機株式会社がその輸入に当たっていたのである。日本タイプが担当すべきなのにソッポを向いていた。それで三井物産に丸ごともって行かれたのである。
日本タイプは極東全域の販売代理権を持っていたにも関わらずである。肝心の柳田専務が馬鹿息子を言い出すのであるから始末に負えない。百年二百年の先まで会社が繁栄することを願った父のことを我欲で忘れている。会社を次から次えと破産状態にして会社を抹殺していくとはどうゆう心境なのか分からない。政治家に裏で金を渡して、馬鹿息子に金を渡すなと言っている。日本は自由主義国家ではなく、社会主義、共産主義国家になっている。