財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
宮本画伯の白雲楼の食堂の壁画は、父が宮本三郎画伯に依頼して書かせたもので、白雲楼の洋食堂の全壁がとしてはめ込まれていた。私が小さい頃は毎年白雲楼に滞在していた。いつも夏か冬休みの時長期滞在していたが、宮本三郎画伯が白雲楼の食堂のホールで絵を描いていたことを知っている。私の遊び場所は食堂のホールが格好の広さだったので、いつも此処で遊んでいた。しかしこの時はホール一杯を画伯の仕事部屋として「四季の絵」を長期描き続けていたことを覚えている。この内容は北陸中日新聞の記事とは全く違っている。所有者と偽っている者の嘘の発言である。
父の本邸である麻布の屋敷は当時蒋介石の公邸として貸しであり、一方熱海の起雲閣は蒋介石の私邸として使われていた。白雲楼は昭和21年5月より米軍第三師団の高級将校の保養所として、使われるようになていた。宮本三郎画伯は昭和19年頃より故郷石川県小松市に帰っていたがその頃より白雲楼の食堂の壁画を描いていた。アメリカ軍が進駐してくることを予想していて、宮本画伯に日本の四季を壁画としてかかせていたのである。戦後は白雲楼を北陸鉄道の直営とし、アメリカ軍を迎えたのである。昭和24年5月日本国政府より返還されるまで白雲楼は日本国政府がアメリカ軍に貸与した形とななっていた。この壁画は平成4年7月日本観光が資金不足になって、偽者の宗教法人康楽寺から5億円の担保としてその質権を宗教法人にとられたのである。この平成4年には日本観光の副社長であった弁谷貞造は会社を退任、また日本観光の会社の株式を買い取るとして日本観光の土地に抵当権を付け、60億円をノンバンクから借り桜井能唯の過半数の騙し取った株式を買い取った栃木県の弱小会社シュガー-アイランドの社長も弁谷貞造と同時に会社代表権を辞任している。 シューガーアイランドの社長佐藤充男は日本観光の株式をを買い取る金がないからである。これは弁谷貞造と佐藤充男の共同謀議であったのである。弁谷貞造はシュガーアイランドの日本観光の株式買収の時も日本観光の副社長として、桜井能唯の株式の受け渡しに立ち会っている。日本観光は父の一人会社であることを知っていた第一勧業銀行は、権利関係の不明な土地には金を貸さなかった。この事実関係を一番知っているのが弁谷貞造である。しかし弁谷貞造は会社を破産に向けて動かしていくのである。平成10年に日本観光は倒産し、康楽寺の質権の有する宮本三郎画伯の壁画は白雲楼内から姿を消していた。弁谷貞造は父の戸籍上の子供を全部会社の取締役等にして、自分は会社から逃げ出してゆくのである。しかも宮本三郎画伯の日本の四季の6枚キャンパス画は弁谷貞造の妻智子が金澤地裁に自分の所有権を申し立てみとめられていたのである。この時は白雲楼のなかの全ての美術品が管財人により競売に付され、裸にされていたのである。写真のブログは宮本三郎画伯の「日本の四季」の内「酪農」春である。
しかしこの修復された絵は余りにも煌びやかすぎて、私が何時も見ていた絵はモット土くさい香りのする
全体に田舎を表した色彩で、ジィット眺めて初めて華やかな色合いが見えてくるものであった。そしてそのコントラストがなんとも絶妙な感覚を見ている者に与えるのである。