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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

白雲楼、起雲閣、「日本タイプ」(36)再建整備計画(20) 三和とプラス

2005年10月11日 10時52分25秒 | プラス

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

日本レミントンランド再考(13) 世界最初のコンピューターENIACは昭和21年2月15日に発表された。開発費500億円の大半はアメリカ陸軍が出している。こうゆう関係でレミントンはアメリカ国防関係を主体にして発展している。日本タイプも国家機密の特許をかなり所有しており、ジェットエンジンの開発や特殊兵器の開発に携わってきている。この様な関係があり、アメリカの国防と深い繋がりがあるレミントンランドとの日米合弁会社が出来たものである。昭和25年には商用の世界最初のコンピューターUNIVERSE-1が開発され、日本タイプとのレミントンランドとの合弁会社が誕生したのである。日本タイプライターは昭和11年に東洋伝送タイプライターの発信装置、受信装置、印刷電信装置の特許を取得しており、第二次大戦中は日本陸海軍の最前線において、情報の収集の電信装置によるIT活動が行なわれていたのである。前のプログせ説明したように、日本タイプとれミントンランドとの合弁の目的は即ちIT産業の設立にあった。しかし父の目論見が失敗した事の経緯は之まで説明した通りである。日本タイプの取締役連中即ち日本観光の取締役達は、会社を自分のものとしか考えず、私利私欲に流されて、会社を売却することばかりを考えていた。即ち昭和48年5月日本観光は子会社である日本タイプに14万株を割り当てた。子会社である日本タイプに親会社の株式を28%わりあてた。これで日本タイプと日本観光の取締役は互いに決議権を喪失したことになる。しかし昭和51年には三和銀行がプラスにその持株を肩代わりさせている。三和銀行は戦後日本タイプの再建に大いに尽くし、日本タイプは企業整備の旧債権者として三和銀行と深い繋がりがあり、父の旧債権を管理しており、三和銀行の株式も父の名義株式であった。
即ち三和銀行は父の財産の管理会社であり、三和銀行名義の株式は実際は父の所有になるものである
従って三和銀行がプラスに株式を肩代わりすることは出来ないのである。即ち相続人の承諾なしには不可能である。
また仮に三和が所有していたとしても、大株主の移動は取締役会の取締役会の承認を必要とする。しかしながら、親会社の日本観光即ち日本タイプの取締役はお互いにその議決権を喪失している。従って三和銀行の名義株のプラスえの移行は不可能でしかないのである
昭和60年に日本タイプがキャノンに資本と販売提携した際、日本タイプの日本観光の14万株が124千株になっている。
ここで初めて14万株を持っているとお互いに会社の決議権を喪失することが判り、慌てて変更したものである。
しかしそれと同時にプラスが日本観光の株式を数万株を取得しているカラクリは三和銀行名義の日本タイプ名義をプラスにしたと同じである。
即ち三和銀行が日本観光の父の株式を管理していたからである。
実際上は14万株であったのである。
プログの写真はれミントンランドの世界最初のコンピューターENACである。 


白雲楼、起雲閣「日本タイプライター」(21)再建整備計画(5)取締役の議決権

2005年09月01日 10時24分51秒 | プラス

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

日本タイプの崩壊(21)日本タイプライター株式会社の再建整備計画(5) 七尾造機株式会社の財団化について(1) 七尾造機株式会社の財団については先のブログで書いたが、父桜井兵五郎は私を父の替わりにわりに賃貸人にしたのである。私はその頃というと昭和24年頃七尾に行って、父と戸籍上の両親と4人で会ったことがあった。この時に各種手続きが行なわれた。私は未成年であるから後見人の承諾と賃貸任即ち両方とも父であるが、私が工場財団の賃貸人となったのである。昭和24年10月には父は自由の身になっていたし、能登に新しい事業を立ち上げる準備をしていなたのである。当時は未だ白雲楼は日本国の管理化にあり、父の考えでは北陸鉄道に管理を任せる考えでいたが当時取締役だった桜井能唯がどうしても自分に管理をさせて欲しいと父に懇願したのである。そこで父は桜井能唯から白紙委任状をとり、父の株を与え白雲楼の支配人にしたのである。
桜井能唯は辨谷家の縁者で、海軍の経理学校を出て海軍主計官(中曽根元主相と海軍で同期)であったが、辨谷栄に頼み白雲楼に就職、弁谷ハシの妹、当時は私の祖母桜井トキの養女となっていたそ入婿となったのである。この男が私の金沢第一国立病院で飯田高校の先生で中村と云う医師の国家試験に落第した偽医師を使い、私の頭脳を破壊したことは以前のブログで書いたとおりである。
白雲楼を倒産させ、日本タイプをキャノンに売り渡し、父の創業した一切の会社を抹殺した。父はこの様な結末を予想し、北鉄興行株式会社を創立し、白雲楼や起雲閣を委託し、自らは康楽寺の本殿を建設、地域一体を宗教、美術、保健の殿堂にする事を考えていたのである
話は戻るが私が東京から能登の延命順作が引きこもる能登の鹿島まで会いに行った事は日本タイプの崩壊(17)で書いたが、その時延命の言った言葉は、母親を探すなら会社ぶっ壊す、という言葉であった。これは昭和47年9月30日のことであった。延命の指示により、日本観光が日本タイプえの第三者割り当てを行なっている。勿論これは法律が禁じている増資であって無効である事は云うまでも無い。之を行なったのは翌年の昭和48年である。子会社が親会社の株式を28%も多量に取得することは商法で禁じられている。たとえ日本タイプが日本観光の株式14万株を取得したとしても、その取得は当然無効となる。父が日本タイプの過半数を支配する株主であることは先のブログで説明した。また父が日本観光の一人株主であり、名義は取締役や将来建設した康楽寺の信者等に分散してあり、白紙委任状もとってあった。

しかし延命のこの言葉の通り父の会社を全部地上からその姿を消したのである。しかも法律に違反した行為によってである。正に悪魔に魂を売ったった悪行である。それに当時の社会の上層部が協力一致したのだから驚きである。法律とは無縁な、無法者がまかり通る社会になったのである。いま云われる会社のコンプライアンスとは無縁の社会であった。百万石文化園が康楽寺を相手とって、康楽寺建物の収去、土地明け渡しを要求する金澤地裁平成6年(ワ)第184号事件桜井能唯が日本タイプの14万株の日本観光株式を日本タイプから取得し、日本観光の過半数の株式を取得してからである。それで桜井能唯は日本観光の所有株式即ち父の株式200万株をキャノンに売り渡した。昭和60年のことである。私の承認もなしにである。私の父は松平家に養子に入り、その後結婚のため桜井家に戻ったのであるが、父の松平家の除籍簿の中に私を入れ認知したのであるから、私の姓は松平家でなければならない。その手続きをしないで、私から白紙委任状を騙し取って父から名義を変えることは、違法であり私文書、公文書の偽造である。キャノンがこの様な手続きによる日本タイプの株式の取得は当然無効となる。キャノンがこの事の不知であったとしても、富士銀行や三和銀行等十分知っていたのであるから、十分調査が可能だった。
しかし三和銀行はこの時プラス株式会社に所有株式を肩代わりしていた。
三和銀行は父の株式等の管理銀行であり、日本タイプや日本観光の父の株式を管理していたのである。その会長である渡辺忠雄氏は延命順作と能登にゴルフ場等を立ち上げている。ここに三和からプラスえの日本タイプの名義変更のカラクリがあるのである。
即ちプラスが日本タイプの事情を知る立場にあったといって良い

昭和51年は三木内閣時代であり、地元の議員の派閥で延命順作が資金的に後押ししていた。
また日本観光が倒産して同名の日本観光を設立したのも同じ地元の延命順作の支援する議員の地元であり、その関係でゴルフ場の認可を取ったのである。
三木内閣の有力議員とは辨谷貞造は極親しい間柄であった。
ここに三和銀行がプラスに変わった原因がある。三和銀行は父の資産の管理銀行であったからであり、その裏に延命順作がいたのである。
これで日本タイプのキャノンえの売却の株主工作が完了したのである。
しかも日本タイプは日本観光の14万株を所有している。
この14万株があれば桜井能唯は日本観光の過半数の株式を手に入れる事ができる。
キャノンに経営権が移ると同時にキャノンは日本観光株14万株を桜井能唯に渡し、
日本観光は日本タイプ株200万株をキャノンに渡したのである。
しかしこの株式は全て父か桜井兵五郎の個人の寺である康楽寺に寄付したもので、
日本観光の名義株にすぎず、日本観光の取締役が自由に処分出切るもではない。
日本観光は日本タイプの実質上の親会社に当たり、お互いに相手の会社の議決権を
喪失しているから、キャノンえの営業提携等の決議をしたとしても無効になる。
従ってキャノンが日本タイプの株式の取得は無効であり、日本タイプとの資本、営業の
提携は存在しないことになる。
しかしキャノンは取得したとしている日本タイプ株200万株を自分で自社にたいしてのみ増資を繰り返し行い、日本タイプを数十億円の金で数百億の資産のある日本タイプをキャノンのものとしたのである。濡れてに粟とはこのことを指す。キャノンは当然違法な行為で日本タイプを手に入れた事になり、それを隠す為か日本タイプをキャノンセミコンダクターに変更し日本タイプの資産をキャノンの会社に分割した。

他の株主がキャノンの違法行為を指摘しなかったのは、
日本観光即ち私の父が日本タイプの殆ど全を株式を所有していたからに他ならない。即ちキャノンが十分上記の事実を知った上での買収である事を示している。
ブログの写真父の建設を祈願していた康楽寺のビルマ式アナンダ寺院 仏舎利を奉納する康楽寺をアナンダ寺院に模して建築するのを父は生涯の望みとしていた。