財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
私がこの建物を訪れたのは、昭和33年の頃である。
この建物は父の妻桜井すず名義になっており、昭和18年妻すずが死亡してから、父の名義になっていたのであるが、起雲閣買収後別館として
経営されていた。
部屋数も少なく、確か5~6部屋であったと思う。
熱海の裏の小高い山の上で、二階建てであった。
熱海の市街地が一望に見渡せて、夜の熱海の夜景は素晴らしかった。
この別館の一階から二階に上がる階段が、非常に急勾配であって
昇るのが恐ろしい位であった。
一階のロビーの間取りからそうなったと思うが、美人がツントシタ鼻の高さの感じでもあったようである。
起雲閣本館より静謐で、眺めも一流であるから、馴染み客のみであった。ここの女中頭をしていた人が、日本観光倒産時の社長の母親であった。
ここには有名な作家がよく泊まりに来ていたようである。
太宰治もそうであった。
愛人と雲隠れした時、新聞では大騒ぎとなったが、ここに滞在していたようである。
山の上の小さなホテルは絶好の隠れ家的存在である。
又武田泰淳がここで長期滞在して、「貴族の階段」を書いたそうである。
この貴族は近衛公爵をモデルにしたものらしい。
昭和34年に書いたものであるから、私がここに泊まったころでろう。
この小説が映画化され、森雅之が主演したといううが、私は見なかった。森雅之の映画は随分と見ているが、何故か印象が残っていない。
なんとなく暗い感じの性であろう。
京都で一度森雅之に散歩中会ったことがあった。
其の頃はまだ45,6歳であったと思う。
私は大学時代で、鼻の手術の後遺症で苦しんでいたころである。
なんとなく辨谷栄に似ていたといっても、そんな男前ではなかったが、
冷酷そうな感じが似ていたので、彼の映画の主演したものは殆ど覚えていない。
この起雲閣の別館は昭和50年代に売却された。
この頃は日本観光が40億の負債を抱えて、居た時代で倒産の危険が
あった時である。
其の頃の日本観光の社長は桜井清次で、私の戸籍上の母の弟である。
この頃から会社は急に傾いて来ていた。政権は10年で腐敗するといううが、桜井清次は25年以上も社長の職にいて、会社を倒産さける方法を桜井能唯や辨谷貞造等と考えていたのであろう。
別館を売ってシコタマ懐が暖まった桜井清次は会長になり、桜井能唯を社長として、会社を倒産に導いていくのである。
起雲閣、白雲楼は日本観光株式会社として、父の一人会社であった
ものを、日本タイプに違法な第三者割り当てを行い、又無償増資を行い
桜井能唯が過半数の株式を取得、辨谷貞造は起雲閣を数十億を掛けた改造して、抵当物件に仕上げるのである。
起雲閣、白雲楼は差し押さえ禁止物件である。
何故ならこれ等建物な父個人の資産に属しており、抵当権が付けられない物件であるからである。