白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

白雲楼、起雲閣「日本タイプライターの崩壊」(4)太田兄弟

2005年07月07日 08時58分58秒 | 延命順作

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

日本タイプ及び日本観光の崩壊はこの二人抜きに語れない重要な兄弟である。弟はに日本タイプの最後の社長桜井繁雄でで私の祖母の養女の入り婿で、元は太田姓である。兄太田秀雄は日本観光の代表取締役で経理を担当していた。この二人が父の書生として昭和18年頃より桜井家にいたのであるが、元は東急西武の箱根戦争の関係で父に頼ってきたのである。
父は箱根の山奥の山をこの二人の親から買ったと言う話もある。
この別荘は秋の紅葉がとても綺麗で、近衛元首相が自殺する前この別荘に永く静養していたというこてであった。
戦後その別荘はどこに言ったか知らないが、多分近藤荒樹氏の別荘となっていたと思われる。
この兄弟は父から二人とも大学を出してもらっている。父の死後日本観光の経理を担当していた太田は、日本観光のダブル株を発行して刑事事件になるところであったが、当時の経営陣のダラシナサで助かったのである。
日本観光は日本タイプの親会社であるから、日本観光を乗っ取れば日本タイプも手中に出来ると当時蒲生証券という弱小会社が日本観光の大株主に躍り出たのである。この裏にダブル株発行という事をしたのが太田兄弟である。社長の桜井清次が狙われて、女を抱かされ会社の内情を漏らしたのである。それで買占めが始まり、乗っ取られそうになったが、父の一人会社であるから太田等のダブル株発行が発覚して事なきを得た。ここで太田兄弟を首にすればよかったが、桜井清次にはそれが出来なかった。
日本観光の経理担当であった太田は名義株をもている名義人から密かに名義株を買い集め、日本観光を日本タイプから分離する準備を着着と進めていた。これは太田の悪知恵からの発想であろう。父の子供に株式が渡る事を阻止するためであるが、桜井清次他全取締役の合意があったからである。どうせ会社は子供に行くのだから潰してしまえというのがかららの発想である。私が日本タイプの元社長の延命順作に会ったとき云われたことと同じである。太田は日本観光の倒産の道筋をつけ、桜井清次とともに会社を退任している。勿論父から預かった日本タイプの株や日本観光の株を売却した金を懐にしてからである。これは昭和60年太田の弟の桜井繁雄が日本タイプをキャノンに身売りしてからである。この写真の右が兄の太田秀雄で左が弟の桜井繁雄である。この時には父の子飼いの日本タイプの重役はすべて亡くなっており、残っているのは近藤荒樹ぐらいしか居なかった。
このプログの写真は太田、桜井兄弟である。


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