白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

上戸の長者竹端仁作(10)益谷秀次、堤康次郎

2007年04月30日 10時29分37秒 | 鼻の手術
竹端仁作と父桜井兵五郎の関係は、父の友人布施丑造氏の子息が竹端仁作の兄弟の家に養子にきていた関係である。布施家は能登の名家で資産家であったが、昭和初年の恐慌の関係で、能登産業銀行が破綻したことは以前話したが、布施氏は鳳至銀行の頭取でもあり、また高岡電灯の監査役でもあった。能登産業銀行が不調で、布施氏はその職より退任した。そのかわりに竹端仁作が高岡電灯の監査役となったのである。当時日本最大の日本電力の子会社であり、日本電力は
電力業界再編製の中心となり、日本発送電の要となって日本国内の電力を纏め、戦後の電力会社は、すべてここからの出資と現物によりわかれたのである。
父は戦後電力と
観光に力を注ぎ、尽力した。
父の資力の中心は電力と観光であった。布施丑造氏は父より少し前に亡くなったが
竹端仁作の弟の家に、丑造氏の息子が養子に入ったのも父との関係からであった。
丑造氏と父が亡くなり状況が一変したのである。父の事業は日本電力の持ち株会社
日電興業と関係深く、日本発送電の再編に深く関わりがあったのである。
日本発送電の戦後の再編は、父の死後であったので、父の資力を狙ったのが私の鼻の手術の原因となったのである。
私の記憶を思考力を喪失させる為、残虐なことを平気で行った。

鼻の師骨を砕いた時、三叉神経を傷つけ、
頭蓋骨を二箇所強打し、眼から鼻より頭にかけての人間の社交力や思考力、の神経を破壊したのである。


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