白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

慶應義塾大学病院の天野隆弘医師(2)

2008年06月15日 12時57分43秒 | 白雲楼

私は慶應義塾大学病院の神経内科に10年近く通院したが、私の症状は最後まで隠し続けられた。Mri等の写真が隠されたばかりでなく、私の鼻の手術までも否定しており、上顎洞の手術さえなかったと書かれている。鼻の手術は上顎の前壁の骨を出来るだけ広く取り除き、上顎洞粘膜をすべて取り除くものです。医師ならば私の顔を見れば直ぐわかります。私は2回この上顎洞手術を受けております。一回目は私が17歳の昭和27年であり、この事件については本ブログで詳しく述べていますが、二十数年後に副鼻空に膿がたまり頬がはれ、慶應大学病院で受診しましたが、蓄膿症の再発と云われたが、病室が一杯で無理とのこと、田無病院を紹介されたが断り、東大病院で手術を受けた。先生は膿が副鼻空に溜まり酷い状態になっていると説明された。合計三回の手術で約一ヶ月東大病院で入院生活を送った。この時は私は本ブログでかいた西武不動産の住宅建築営業の嘱託であった。その後西武は首になったのであるが、その理由は私が桜井兵五郎の子供であると金沢家庭裁判所に申立たのであるが、裁判官が最後になってから急に私の申立を理由なしとして、却下したのである。当日は双方から証人を申請することになっていたのであるが、突然の裁判官の変身に驚かされた。丁度このころ西武では私の首をきったのである。その理由は本ブログでかいた様に黙って会社を休んで、金沢の家裁の通っていた事にあったのである。

今回の慶應大学病院の神経内科に通っていた時、堤義明がこっそり入院しており、辨谷貞造が入院していたことを本ブログでかいている。その直後堤義明の逮捕があり、マスコミは堤の行方をさがしていたがまさか慶應病院の病室に隠れていたのである。

当時の慶應の主治医は天野隆弘医師であり、私の頭の中が破壊されたことなどおくびにも出さず、私の症状を隠したのである。それが鼻の手術の形跡がないと助手に書かせていることを知った。

 平成21年11月30日 神経内科伊澤助手の治療を受けた時、鼻の手術を受けた形跡がないと2003年同じ助手の伊藤医師がカルテを書いているとして私の前で読み上げた。

関連記事

http://blog.goo.ne.jp/stendhal_ht/e/a946739f67cc2cbb0e0662684e753bc6

http://blog.goo.ne.jp/stendhal_ht/e/8a0cfd3c4cafeeccae55ca8144f9e615


最新の画像もっと見る