白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

白雲楼、起雲閣「日本タイプライター」(9)宮本三郎画伯の「日本の四季」

2005年07月20日 10時17分39秒 | 辨谷貞造

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

宮本画伯の日本の四季は平成4年7月2日宗教法人康楽寺が日本観光にたいして5億円を貸した担保にしていた。宗教法人康楽寺は見せかけの実態のない法人であることはこれもでも述べたとうりであるが、肝心の真の相続人である私が金澤国立第一病院で頭を破壊ざれ、記憶を喪失していてため、真の相続人である事を主張できないで居た。その為宗教法人は日本観光の何ら株主ではないものによって、会社を乗っ取る手段として利用されてきた。宮本三郎画伯の日本の四季の壁画6枚のキャンパスをまんまと弁谷智子の手に渡ってしまい宗教法人康楽寺の5億円は行方不明となった。勿論これは宗教法人康楽寺の父の資産を横領するための芝居である。弁谷智子はさきに5億円の所得税を支払い、石川県の額所得者となっている事は前に述べた。。これには裏があって宗教法人康楽寺の財産をすべて処分するための弁谷貞造の工作である。このことに付いては前のブログで述べたとうりである。父の戸籍上の子供は他人の子供であった、真の相手ではなく日本観光の株主総会では総会屋を連れ込んで暴れまくり、会社を倒産に導く手段として利用価値があった。父の死後吉田を裁判認知し、戸籍の子供等と対峙させ、日本観光を倒産させるため弁谷貞造は退任に、裁判認知された吉田を日本観光の社長として、こどもが会社を潰すのだからといいう筋書きを作り実行したのである。 弁谷貞造の妻は延命順作の差金で嫁に来た者である。延命は之までも述べたように、三和銀行の頭取渡辺忠雄や日鉄の社長稲山嘉寛や名鉄の社長等を自分の陣営に引き入れ、父の財産を狙ったことははなした。延命順作が何故このようなことが出来たかといえば、私の父の秘書として絶えず父の後に付いてきたからである。 弁谷貞造の妻の父親にもそのような関係で知り合いであった。弁谷智子の父親は川崎財閥と知られた川崎八郎右衛門 の秘書をしていたひとである。川崎財閥は金融財閥としてしられ、三菱銀行や三菱信託に川崎財閥は合併したのである。私の父と川崎財閥の関係は、能登の石膏である。戦時中は石膏の輸入は途絶え、能登の石膏鉱山が脚光をあびた。日本一の生産量でセメント接着剤としてなくてはならないものであった。この仕事を川崎八郎右衛門とくんだんだのである。この石膏の量は膨大なもので、その収益は三菱銀行や三菱信託に入ったものである写真は宮本画伯の日本の四季の「伐採」冬である。


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