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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

白雲楼、康楽寺乗っ取り事件

2006年03月31日 11時18分56秒 | 桜井芳忠

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

 

私は本件の乗っ取り事件の主役桜井能唯が終戦後、弁谷家に軍服を
付けサーベルを帯びて、来たことを覚えている。
軍隊で覚えた敬礼をしたもである。
何故弁谷家に挨拶をしにきたかは、今後の身の処し方を相談に来たのであろう。
その後祖母の養女であった弁谷ハシの妹と結婚するこのになるのだが、
それによって康楽寺、白雲楼を乗っ取ることになる。
金沢地裁の康楽寺建物収去明け渡し事件を起こしたのは、この様な
背景があってのことである。
又この事件をおこした背景には、康楽寺、白雲楼を処分するために予め
金沢市に江戸村を売却する必要があり、その手続き上この裁判を起こしたものである。
この時起雲閣、白雲楼を経営する日本観光株式会社は百数十億の負債を抱えて、倒産寸前であった。
日本観光が倒産する前に、康楽寺の問題を片付ける必要があった。
裁判所で和解の勧告が出るまで、桜井能唯と弁谷貞造は馴れ合いの
裁判を平成6年から平成9年まで19回の口頭弁論を行っている。
その中身は空疎で、壇徒や信者もいない実質二人だけの空疎な口頭弁論に終始
している。
康楽寺の本殿の建物の位置は当時の宗教団体法により、仏舎利を本尊とする本殿の建築する位置であり、即ち
金沢市湯湧町へ19番地であるが、未だ本殿が建築されて
いないのに、建物の所在地は湯湧町へ19番地、ト27番地にに登記が
されているとして、登記簿謄本を提出している。
康楽寺は昭和19年に父個人の寺として、財団としての認可をえている
ものであるから、父個人の寺は登記の必要が無く、その土地は父名義
であり、財団の後継人がその資産を受け継ぎ、父の遺志に従い事業
即ち康楽寺の本殿を建築しなければならないのである。
現在の康楽寺は宗教法人ではなく、父個人の寺に過ぎない。
これを誤魔化すために、延々とマコトシヤカニ訴訟を馴れ合いで行っていたのが実情である。


康楽寺乗っ取り事件

2006年03月29日 08時57分50秒 | 桜井芳忠

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

 

之まで康楽寺が如何に乗っ取られたかを詳しく述べたブログは、2005年6月16日
「弁谷栄の作成した康楽寺の敷地図面」同年6月17日「桜井能唯が康楽寺の境内を
不法に取得した経緯」同年6月20日「弁谷貞造が康楽寺本殿と指定した場所」
同年6月21日「康楽寺本殿の敷地が百万石文化園に横領された経緯(1)~(3)」
同年6月21日~同年6月23日の通りであるが、今回のこの裁判は康楽寺の建物
のみどうしようもなく、裁判で決着をつけ、判決で建物を撤去させようとする桜井能唯
の目論見と、康楽寺を管理していた弁谷貞造が最後に父の資産の取り分の争い
と見ることも可能である。
桜井能唯は日本観光の50万株の過半数25万5千株を取得したとした、日本観光を
桜井清次が、裁判認知をしてこれまで温存しておいて切り札として利用価値がある、吉田宏明に渡し、桜井能唯が社長の座を降り
シュガーアイランドに会社の土地を抵当にして、60億の借り入れをし、桜井能唯は
42億円を取り、3億円はシュガーアイランドに手数料として渡し、残りは吉田広明が
取得、平成3年には桜井能唯が株式売却益の所得税として5億数千万円を納税、石川県高額所得者第一位になっている
その娘桜井康子は百万号文化園の社長として、2億円の所得税を支払った。この資金は日本観光が倍額増資し際、第三者割り当てを日本タイプライタ-に割り当て、日本タイプライターがキャノンに身売りする際、桜井清次、桜井繁雄、太田秀雄、逸見取締役等が日本タイプの父の持株(三和や安田信託が所有していた信託株)をキャノンに売り渡し、桜井能唯は日本タイプ所有の日本観光株を日本観光の資金で買い取ったのでであるが、桜井康子の壇風園の名義としたものでである。日本観光の代表取締役桜井能唯が、自己取引で自社株を取得して日本観光を乗っ取ったのである。
吉田宏明も同じく同年、1億数千万円の所得税を支払った。
上記会社の資産を抵当にした金の分配金である。
しかしここに弁谷貞造の名前がない。
康楽寺の建物だけはどうしても自分の物に出来なかったので、康楽寺の存在を
地上から消すため、桜井能唯と弁谷貞造が馴れ合いでこの訴訟を起こしたもの
である。
この訴訟で康楽寺の存在自体が、霧散し檀家、信徒の存在が元々ないのだから、
ウヤムヤになり、ここが裁判の欠点で、和解に至ったところで原告が訴訟を取り下げ決着している。
この過程で康楽寺の資産である西武鉄道関連の株式その他株式等が、処分されたか
事業投資組合に資金として投資をし、その残余分が弁谷貞造に渡ったものである。
この中には弁谷昌造も入っている。
この分け前は弁谷貞造の妻智子の相続に見せ掛けて、支払われた。または康楽寺が担保とした日本の四季を5億円の譲渡担保金としたり、日本観光株売却代金60億から、桜井能唯に渡った42億円の差額18億円等が弁谷貞造に入り、妻智子の相続として処理した。又康楽寺所有の10万株を桜井能唯が自分名義とし、合計25真万5千株を取得したのであり、自分の会社に抵当権とつけた60億円を分配したのである。これは吉田宏明が行った事になっている。しかし日本観光には200億以上の借財が残っており、日本観光の破産管財人が日本観光を放棄したのである。ここに管財人と弁谷智子、昌造の了解が存在している。

弁谷昌造と智子は、父が私に信託受益金としてつけた康楽寺建設財団の受益権利を、弁谷ハシを使って私から白紙委任状を騙し取り、父の康楽寺資産を日本観光の200億円以上もある借金と棒引きをたくらんでいる。

平成5年には弁谷智子は5億円の相続税を支払っている。桜井能唯に次いで、石川県高額所得者となっている。

これは上記の企みがあり、これまでの白雲楼の倒産はあくまでも見せ掛けだあって、実際は康楽寺の資産と横領である。
このカラクリはライブドアーと同じく、事業投資組合を使ったのである
。弁谷智子の実家は桜井能唯や弁谷貞造等が投資している投資組合の社長に売却している。弁谷智子の実家は堤義明の麻布の家の直ぐ裏にあり、桜井能唯等の投資したこの会社は前阿部総理の側近であった。


康楽寺建物収去土地明け渡し事件(3)

2006年03月28日 09時41分23秒 | 桜井芳忠

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

 

康楽寺は之までもブログの中で記述うぃたが、父が個人の寺としての認可をうけたものであり、父の資産を全て寄付して、将来康楽寺の本殿の建築及び付近一帯の50万坪
を境内とし、白雲楼や起雲閣を含めて美術、保健、宗教の殿堂とすることを寄付行為
に定めている。
日本タイプライターは日本文化の元である日本語の規格化、合理化、機械化及び
アジア諸国との文化のつながりとしての言語の標準化をも目的としていた。
仏教文化を共通としするアジア諸国との、美術、宗教を基盤とする日本の文化を守り
育て、健全なる国民の心身ともに発展して行くことを目的として、康楽寺を創立した
のである。
昭和19年に財団としての認可を受けて以来、戦後の復興を待って十数年掛けて
事業を完成することになっていた。
昭和19年に金沢市内にあった元横山男爵家を買いうけ、白雲楼に並んで康楽寺
の仮殿を建築したのである。
従って康楽寺の建物は父個人の所有になるもので、その土地も父名義であった。
康楽寺の建物は登記がなく、当時の宗教団体法怜に基づき石川県庁に届け
られたいるものである。
康楽寺の所在は従って本殿が建てられる、石川県石川郡湯湧谷村湯湧へ19番地
である。
この土地は整地され本殿が建てられるような広さがあった。
この土地に昭和40年になってから、江戸村が突然建築され始めたのである。
父が死去しおてから14年経過している。
金沢地裁の土地明け渡し請求の原因のなかで、桜井能唯は父が江戸村を建てる
こと指示していたと書いてある。
つまり何時までも父の康楽寺建築が実行されないので、担当官庁である文化庁
より、事業着手の要請があった為の口実を作る必要があったのである。


康楽寺建物収去土地明渡事件(2)

2006年03月26日 11時11分31秒 | 堤義明

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

 

この裁判は平成6年6月13日から平成9年3月18日まで、19回の口頭弁論を経て突然
取り下げられた。
原告は株式会社百万石文化園代表取締役桜井康子、被告康楽寺代表役員前田昌範
となっている。
被告百万石文化園は昭和40年に、父の名義の康楽寺本殿の建設予定地地であるか金沢市湯湧町へ19番地に日本観光の資金で江戸村を建設し始めたのである。
その名目は父が康楽寺の本殿を建築するため、父の資産を康楽寺に寄付していたが
その資金が足りないので、江戸村を建設しその入場料金を康楽寺本殿の建築資金
に当てることを目的としている。
当時は佐藤内閣で文部省から、文化庁が内局として分離され、初代今長官が就任
している。
この時に父の康楽寺本殿の建築の計画をもちっだしたのである。
これは明らかに父の資産の乗っ取りを企てたものである。
本来私が父の後を継いで康楽寺本殿の建築を、昭和26年から始めなければ
ならなかったのである。
その時は弁谷栄、ハシは本殿計画は変更され、無かったことにした偽造文書を
作成、私を金沢国立病院で偽医者をつかった鼻の手術の際、私の脳を破壊し、
私の記憶を消したのである。
次いで吉田宏明なるものを桜井清次等が、父の死後裁判認知をしたのである。
この背後には桜井清次の後見人であった堤康次郎がいたと思われる。
堤が父の後継人と共謀し」今日に至る白雲楼等を倒産さすべき、計画が立てられたのだ。堤康次郎の後継人堤義明もその中にはいっていたのであろう。
このようなセコイしかも残忍な計画は、先のブログでかいた重役連中だけでは不可能である。
堤康次郎が後年自分の名前がヤスジロウと呼ばれるのを大変嫌ったそうである。
つまり康楽寺の康と自分の名前がダブった為、かっての大恩人であるべき
父を裏切ったことえの人間としての良心が疼いたのかも知れない。


平成6年(ワ)第184号金沢地裁 建物収去土地明渡事件

2006年03月25日 12時42分18秒 | 桜井芳忠

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

 

桜井能唯が日本タイプが所有する日本観光株式14万株及び康楽寺が所有する
日本観光株式9万9千900株の合計24万株を、日本観光の子会社である百万石文化園が取得し、その後百万石文化園を自分の会社とするのである。
そのカラクリは投資事業組合を通じて、資金をプール、還流させたものであろう。
日本観光の過半数の株式を不法な手段でえたことを考えれば、簡単なことである。
桜井能唯は25万5千株を取得したとしているが、全て父の康楽寺え寄付した資産
である。つまり横領である。
24万4千株も横領なら、残りの1万5千株も横領である。
父が名義株として桜井能唯等の名義としたのであるからである。
この後はマスコミが報道したとおりである。
桜井能唯は吉田宏明を使い、横領した株式を
シュガーランドに売却、白雲楼の土地建物に60億の抵当権を
付けた。
この頃は未だ日本観光は息絶え絶えに存在していた時、桜井能唯が
康楽寺に対してその土地の明け渡しを求めた裁判である。
先のブログで説明したように、日本観光と日本タイプの取締役は兼務であり、
日本観光が親会社であった。
これら取締役達が集まり、日本観光を売却する同意を互いに取り交わしている。
この時は日本タイプは既にキャノンに売り渡した後である。
日本観光を如何に処分するかがこれら取締役の最大の関心事であった。
先ず日本タイプをキャノンと業務提携に見せかけて売り渡し、その際日本タイプに
不法に割り当てた日本観光株14万株を、桜井能唯が社長の百万石文化園が取得、
勿論その金は日本観光の資金を充当したものである。
次に康楽寺の株式10万株を同会社が取得するのである。
勿論この株式は父が財団康楽寺に寄付したものである。
そこで康楽寺は全て桜井能唯に資産を奪われたのである。
康楽寺の建物は勿論父のものであり、その土地も父の名義であったが、昭和56年に父の
戸籍上の妻子をあいてに、生前の父がこう言っていた、ああ言っていたとして
弁谷栄、ハシの書いた、康楽寺本殿計画が取りやめになったとした偽造文書を
証拠書類として提出、父が生前、康楽寺の土地はお寺の土地にしなさいといっていた
と勝手なことを
桜井能唯や弁谷貞造が証言、貞造は日本観光の総務部長として
つまり実務者として、土地のことは前任者より引き継いでいると証言、父の土地を裁判所をだまして横領してしまったのである。
しかし康楽寺は父個人の寺であり、その相続人は祭祀相続人である私である。その後日本タイプをキャノンに売り渡し、日本観光の所有していた日本タイプ株式
即ち父が康楽寺に寄付していた株式をキャノンに売り渡したのである。
その後上記の取締役が集まって、日本観光を如何に処分するかを相談し、桜井能唯が社長の座を吉田宏明に渡したのである。
この男は父の死後、桜井清次等が裁判認知をさせたもので、この場面に出番が来た
のである。
日本観光が既に40億円以上の借財があり、それに吉田宏明が60億の借り入れを
行い桜井能唯より株式25万5千株を上記の手段で、一旦日本観光の子会社百万石文化園の所有とし,ついで百万石を自分の会社とし、つまり横領したのである。
会社は当然倒産の運命にあったが、康楽寺を処分することが出来ず、上記の裁判を金沢地裁におこしたものである。