財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
日本観光の破産時の借り入れは、石川銀行8億4千5百万、日貿信29億6千万円、三和銀行29億6千3百万円で三和グループが合計67億3千8百万で、負債総額120億(別除権付債券のみの元金)約56%になる。第一勧銀系の株式会社住宅ローンサービス(現住宅金融債券管理機構)9億7千9百万,北国銀行 4億1千2百万,興能信用金庫6億8千4百万で20億7千4百万、合計の17%の内興能信用銀行の分 3千万円とあわせて合計13億4千万を弁谷貞造が保証している。その他タクトエース32億6千6百万、全体の27%で合計120億円となる。ブログの写真で示すように辨谷家専属の金沢弁護士会所属の中山博之弁護士から弁谷貞造の債権の(銀行保証)の届けが出ている。この様な多額の借財に弁谷貞造が取締役として承認したのであるから、債務保証をしないと会社の多額の借財を承認したことで刑事罰がかけられるところである。当時は弁谷貞造は代表取締役副社長であれば尚さらである。 昭和58年4月30日の決算書によると長期借入金が25億あり、その支払い利息だけで2億円を支払っている。当期利益が800万円である。売上の売上高は17億円である約1.5倍の借り入れをしている。これでは会社の経営の行詰りは目にみえている。昭和59年に上記住宅ローンサービスから20億円を借り入れている。結局平成元年ころには40億以上の借財があったのである。これで平成2年に60億を借り入れたのである。桜井能唯の偽の日本観光の株式の購入資金である。これで会社が倒産しないはずはない。熱海の起雲閣は熱海市に10億で破産管財人が売却したが、焼け石に水で白雲楼を丸裸にして美術品を競売し、白雲楼は破産管財人が財団から放棄したのである。負債が100億以上の場合は大会社に該当し、監査法人が入り会計検査をすべきところ破産管財人はその義務を怠り、破産財団から白雲楼を放棄したのである。
この金額は利息を入れていないもので、当時は金利だけで元金近くなっており、なほ同名の日本観光を30億借り入れて設立したのである。
会社は同名でも別会社そしているのである
別会社を作らないと金利をいれると200億円を超え、公認会計士を入れなければならなくなるので、どうしても別会社の日本観光を作る必要性があったと思われる
それに三和銀行が手を貸したのである、つまり資金の融通をしたのである。
融通したとゆうか父の資産を預かっていてカッテに使い込みをしたと言ううに過ぎない