
財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
日本レミントンランド再考(4)私の父の妻鈴子はバイリンガルな女性であったと以前のブログで書いたが、英語、フランス語を津田英塾や東和学院等に学び、当時外国の富豪が来日するとその通訳をした。その中にロック・フエーラ氏もいたようで、ダイヤモンド等宝石類を貰ったといううことである。そのせいかどうか分からないが、ロック・フエラー氏は大変な日本贔屓で、ニュウヨークで日本館と建て、日米交流に熱心だった。そうゆう関係もあったせいか、レミントン・ランドは日本タイプとの連携を熱望した。しかも日本レミントン・ランド株式会社は契約においてな20年存立することとなっていたのである。日本レミントンは従って昭和45年まで契約が存在していたのである。会社は富士銀行系となっても三井物産系となり、日本タイプと関係が無くなっても株主は父でありその相続人は私であるから、日本タイプの取締役等は日本レミントンを解散したくてもその手続きができなっかたのである。日本タイプの取締役はその事実を隠し知らぬ顔をしとおし続けた。富士銀行はその事実を知っていたろうが、日本レミントンの銀行となることによって、チェス・マンハッタンの日本総代理権を手に入れたのである。しかも日本タイプの倒産のお手伝いまでしてそ知らぬ顔をキャノンと一緒になってしているののである。踏んだり蹴ったりされたのは、私と父である。ブログの写真はロック・フエラーの孫が金澤市を尋ねた時の写真