財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
近藤荒樹氏の息子荒一郎氏は日本レミントンランド株式会社の整理に付きチェスマンハッタン銀行より依頼を受けて日本タイプにはいったと近藤荒樹氏は私に云ったしかしこれ全くの嘘である。この爺さんは私を馬鹿にして嘘ばかりを云い続けてきたのである。金のなる木のあるところに寄ってくるのがこの種の人間の本質である。桜井家の内紛にかこつけて一儲けするつもりてあったろう。当時日本レミントン株式会社は日本最初の日米合弁会社であり、マッカーサー元帥がアメリカ本社の会長をしており、英文タイプや計算機等事機器の製造販売を行なっていた。これまでも話してた延命順作が日本タイプを乗っ取ろうとして、各種謀議をしていたのであるが、日本レミントンの社長も兼任しており、贈賄等を繰り返し日本レミントンの内情を知ろうとしていた。日本タイプの社長を父が私にすることを自分の部下達に依頼していた。日本レミントンも同じである。そこで延命順作は部下を使い、父の柳田村の役場に放火をさで、父の戸籍を消失させた。このことを近藤は知らない筈はなく氏は一儲けを企んでいたのであろう。私は残念ながら頭を破壊されたため、過去の記憶を喪失しており、私はこの爺さんに手玉にとられ面白がられていたのであろう。結局日本レミントンランドは日本タイプと袂を分かち、三井物産の産業部門のなかにはいってしまった。日本レミントンのアメリカの取締役はコンピュータ会社の日本ユニバックにうつり、日本タイプは排除されて、東芝三井物産が主力になって新会社が設立された。私の父が私を日本タイプの社長や日本レミントンの社長にして会社を発展させることを望んでいたのであるこうすれば日本タイプもこんなに早く身売りすることもなかったでろう。私を馬鹿息子にするために金澤国立第一病院で鼻の手術の際脳天をメスで叩いて破壊したのもこれ等のグル-プが背景にあってからである。たとえば近藤荒樹氏は日本テニスクラブの理事長であり、わたくしの鼻の手術をした金澤国立第一病院の種村院長は北陸地方の日本テニスクラブの副会長である。父の資産の乗っ取りを企んでいた延命順作の狙いの一つは元日本タイプの事務所があった一等地である。この日本タイプの事務所があったブリジストンの横の空き地に延命はパチンコ屋をたて自分も毎日パチンコに励んでいた。このプログの写真はパチンコ屋の建つ前の空き地である。現在の新八重洲ビルデングのあるところである。近藤荒樹も延命順作のような禿げたか一味であった。