博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

赤頭巾ちゃんの時代 その後

2006年10月21日 | 思い出
 このグループの特色は、必ずしも思考が一枚岩でなかったことです。ですから社会問題について議論するときはいつも白熱していました。例えば自衛隊長沼ナイキ訴訟問題では、自衛隊違憲派の私と合憲派のS君とは、自転車で走りながら議論を闘わせ、最後はお互いに田んぼに落としっこになりました。S君はお父さんが自衛隊の幹部で防衛大志望でした。旧ソ連のミグ25亡命事件とか何か事件があると議論を闘わせていました。こういう . . . 本文を読む

赤頭巾ちゃんの時代 その4

2006年10月20日 | 思い出
17歳の誕生日が近くなった頃、時代が自分に何も残してくれなかったのなら、自分が何か作って時代に提供しなければいけない。ルサンチマンに陥っていてはいけない。と感じるようになりました。そう考えると意識が切り替わって世界が違って見えるようになりました。  で何をしたのかというと、何かに取り付かれたように友人たちに「僕らのコミューン」を作ろうと語りかけました。  コミューンとは何でしょうか。ヨーロッパ特 . . . 本文を読む

赤頭巾ちゃんの時代 その3

2006年10月19日 | 思い出
 私たちの校則改正運動は、髪型の自由(刈上げにしなければならないのがいやでした)とか服装の自由化を主な要求事項にしていましたが、はかばかしい成果は出ませんでした。生徒会が学校当局と団体交渉するという前例を初めて作り出したことが成果といえば成果だったでしょう。  運動が終息した後、指導者のH生徒会長と陰の仕掛け人であった美術部のo先輩から「後は諸君が好きなようにやれ」、「各自が思うところで自己実現を . . . 本文を読む

赤頭巾ちゃんの時代 その2

2006年10月18日 | 思い出
 塩崎氏のインタビューを読むと、氏が新宿高校在学中、自由な校風の学校を目指して生徒会でストライキを打ったり、社研(社会科学研究部)活動に邁進したり、砂川にベトナム反戦運動にでかけたり、『憂鬱なる党派』(高橋和己)や『共同幻想論』(吉本隆明)を小脇に抱えてジャズ喫茶で議論したりとか、とにかく自分の高校生活が「こうであったらよかった」という夢のような経験をなさっている訳です。しかも行動を共にした塩崎氏 . . . 本文を読む

赤頭巾ちゃんの時代

2006年10月17日 | 思い出
 内閣官房長官に就任した塩崎やすひさ氏御自身のホームページのインタビューを読んでいて非常に興味を惹かれました。URL:http://www.y-shiozaki.or.jp/profile/interveiw/index.html  塩崎氏は1950年生まれ。私と10歳しか年が違いません。それだけ若い世代が内閣官房長官に就任しているという事実もさることながら、これらの皆さんの世代の特徴です。ああ、 . . . 本文を読む