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博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

赤頭巾ちゃんの時代 その3

2006年10月19日 | 思い出
 私たちの校則改正運動は、髪型の自由(刈上げにしなければならないのがいやでした)とか服装の自由化を主な要求事項にしていましたが、はかばかしい成果は出ませんでした。生徒会が学校当局と団体交渉するという前例を初めて作り出したことが成果といえば成果だったでしょう。
 運動が終息した後、指導者のH生徒会長と陰の仕掛け人であった美術部のo先輩から「後は諸君が好きなようにやれ」、「各自が思うところで自己実現を進めよ」と申し渡されました。そういわれても、どうすればよいのか分かりませんでした。o先輩にこれからどうするのですか尋ねると、隣のT市にあるT商業高校に転校するとおっしゃる。何でと聞くと、ここがど田舎の男子校で女子が全然いなくてつまらないからということでした。あーあ。
 H生徒会長はというとバンド活動に力を入れるらしい。とりあえず自分の道を探さなければならなくなりました。しかし昨日書きましたように自分の周りには塩崎氏が体験されたようなものが何も無いことを「発見」していました。何か大事なものを失ったような、楽園から締め出されたような喪失感を感じていました。
 その頃「朝日ジャーナル」とか「現代の眼」、「流動」、「世界」などの雑誌を読み、小田実、羽仁五郎、本多勝一といった方々の著作に読みふけりました(うん、典型的なあれですね)。「赤頭巾ちゃん気をつけて」を実際に読んだのもこの頃です。岩波新書(青版の時代です)はこの頃1冊150円位でしたから通学の帰りに買って読むのに最適でした。いろいろな文庫もその当時は平均200円から300円位で買えましたし。近所のo市立図書館からも借りまくっていました。親友のT君の影響でピンクフロイドなどの洋楽を聞き出したのもこの頃です。最初に自分の小遣いで買ったアルバムが輸入盤の「原子心母」でした。
 教師からの影響も大きかったです。世界史のH先生がキリスト教誕生の説明の際に、ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」の紹介をされますと早速、池袋の名画座(この言葉も死語かも)に見に行ったり、担任で英語のK先生が授業の中で60年代アメリカの公民権運動の話、特にワシントン大行進の話をされると、早速、キング牧師やマルコムXなどの本を読み出すという具合で、肝心の勉強はさっぱりしませんでした。

Catalystさん、ありがとうございます。昨日は大変でしたね。
「ぼくの大好きな青髭」も読みました。実家にぼろぼろになった中公文庫が残っているかも。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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まだいいですよ (Catalyst)
2006-10-19 22:03:08
ぼくなんか、能美先生より3年あとに生まれてるんですから。



よかったじゃないですか、大学でいろいろ経験できて。



朝日ジャーナルはさすがに高校で卒業しましたけど、あとで廃刊になっちゃいましたねぇ。ぼくが大学で変な方向に行かなかったのは、たぶんあれらの本を読んで、朝日ジャーナルや学生運動を何となく相対化していたからだと思いますね。
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