博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

赤頭巾ちゃんの時代 その4

2006年10月20日 | 思い出
17歳の誕生日が近くなった頃、時代が自分に何も残してくれなかったのなら、自分が何か作って時代に提供しなければいけない。ルサンチマンに陥っていてはいけない。と感じるようになりました。そう考えると意識が切り替わって世界が違って見えるようになりました。
 で何をしたのかというと、何かに取り付かれたように友人たちに「僕らのコミューン」を作ろうと語りかけました。
 コミューンとは何でしょうか。ヨーロッパ特にフランスの最小の行政単位(必ずしも最小でもないらしいですが)です。しかし歴史的には独特な意味があります。1871年のパリ・コミューンです。普仏戦争下のパリで民衆が蜂起して誕生した平等な民衆の共同体。マルクスが注目し、未来の社会主義社会のモデルとして見なしたあれです。あるいは団塊の世代の方なら記憶されていると思いますが、1960年代末から70年代初めにかけて「部族」と呼ばれる若者達が八ヶ岳、諏訪瀬島、国分寺などに形成した共同体(大麻付き)を思い起こされる方もいらっしゃるでしょう。
 私が思い描いたものは、後者に近く農業を基盤とした自給自足の共同体です。20人位で農山村の廃屋を借りて、10人が放棄された農地を耕す。残りの10人が外の社会で違うことをします。そして時々入れ替わります。
 同時に周囲の地域社会と音楽や芸術などの活動を通じて交流を行うといった構想でした。そんな話をクラスの友人達に熱心にしますと、数人が乗ってきました。今でも付き合いのあるY君は「地域FM局を作って我々の主張を社会に届けよう」という構想を語りました。だんだん人数が増えてきてあらゆるテーマで議論がなされるようになりました。いつもこの話をするメンバーで自転車通学が始まりました。たまたま皆帰る方向が一緒だったためです。片道1時間位の行程を議論しながら帰りました。田舎の道だからできたことですね。
 以前私はこの懐かしい母校で、在校生を相手に講演をする機会がありましたが、その時に「そういうわけで、この学校で16歳から17歳にかけて社会、文学、芸術、音楽のあらゆる方向に関心がパノラマのように広がりました(でも勉強だけはしなかったんだけどね)」という話をしたことがあります。

Catalystさん、お疲れ様でした。今日はたいへんでしたね。

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